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第六話

 手芸店でぬいぐるみの材料を手に入れたところで、百花の目的は達成された。となればあとは帰るだけなのだが、もう少しこのままでと思う自分がいる。


「百花。この後、時間はあるのか?」


 手芸店を出てすぐに、新樹が尋ねてきた。


「は、はい」


 今日は百花の仕事休みの日だから、時間があるといえばある。


「俺の買い物に付き合ってくれ」

「はい」


 返事をする声は無意識のうちに弾んでおり、それに気づいた百花は顔が熱くなった。新樹は特に何も指摘してこないから、この顔は見られていないと思いたい。


「じゃ、こっちだ。行くぞ」


 さりげなく新樹が手を差し出してきたので、少しだけ躊躇ってからその手を取った。

 身体は百花より小柄な新樹であるが、握りしめた手のひらは厚く、指もごつごつと骨ばっている。彼と手をつないだのは二年ぶりだが、あのときは手ももっと小さかったはず。


 新樹の成長を目の当たりにし、百花の鼓動も微かに乱れた。


 来たときよりも車道には多くの自動車や馬車が音を立てて走っており、歩道も人で賑わっている。新樹と並んで歩くものの、人が多くて視線をどこに置けばいいのかわからない。まだ藤澤商店が活動的だった頃も、幼かった百花は街の中を歩く機会などほとんどなかった。


「おい、キョロキョロするな。真っすぐ前を見て歩け」

「は、はい……」


 慣れぬ訪問着姿に下駄を履いているせいで、歩幅はどうしても小さく、ちょこちょことしたものになる。


 新樹についていこうと必死になっていると、車道側を歩く彼の歩みが少しだけ遅くなった。


(もしかして、私の歩調に合わせてくれている……?)


 百花はそっと新樹の横顔に視線を向けたが、彼はこちらを見ようともせず、表情も変わらない。


(やっぱり、勘違い……?)


 礼を言おうとした言葉が喉の奥で引っかかったまま、結局何も言えずに足を進める。


「着いたぞ」


 人を避けつつも、珍しい街並みをちらちらと確認していた百花は、いつの間にか昔ながらの店蔵つくりの建物の前まで来ていた。


「ここは?」


 まるで藤澤商店を思い起こさせるような建物は、釘を使わずに太い材木を組み合わせただけの造りで、商家に多い様式だ。


 珍しいものではないはずなのに、百花の胸の奥がざわっと刺激される。


「呉服店だ。おまえの着物を仕立てる」

「え? 私のですか? 新樹様のではなく?」


 新樹はどこか不満そうに眉間にしわを寄せた。


「おまえが粗末な格好をしていると、俺の気が利かないように見えるだろう」


 一気にまくしたてた後、顔をそむけたが、耳の下あたりがほんのりと赤く染まっているのが見えた。


「で、ですが……」


 せっかく着物を仕立ててもらっても、百花には着ていくような場所はない。この訪問着だって女中頭が用意してくれたもので、百花のものというわけではない。


「いいから。おまえは黙って俺に従えばいい。着物も俺が選ぶ」


 百花の手を力強く握りしめたまま、新樹は呉服店の中へと入っていく。

 するとすぐに店主が飛んできて「これはこれは、暁陽様。お待ちしておりました」と、ペコペコ頭を下げ始めた。


「彼女の着物を仕立てたい」


 店主が値踏みするような視線を向けてきたため、百花はまるで蛇に睨まれた蛙のように動けなくなる。


「こちらの女性は……?」


 店主は百花を疑っているのだろう。暁陽家当主が連れてきた女性となれば、興味が湧くのも警戒するのも当然だ。


「俺の大切な女性だ。それ以上は、察しろ」

「はっ、はい。失礼いたしました。では、奥にご案内いたします」


 店主は先ほどから蛇になったり蛙になったりと忙しく態度を変えている。その豹変ぶりに、百花の胸がすっと軽くなったような気がしたが、それ以上に新樹が頼もしく見えた。


 奥の畳敷きの部屋に上がると、店主たちがいそいそと反物を並べ始める。


「こちら。最近、手に入りました反物でございます。お嬢様の雰囲気に合わせて選ばせていただきましたが、他に気になる模様やお色などございましたらなんなりとお申し付けください」


 店主は現金なもので、新樹に向かって揉み手をしながら、腰の低い態度を見せる。


「これなんか、どうだ?」


 ひと通り反物を眺めた新樹は、一つを指差して百花に問うた。薄紅色の素材に、くるりと巻かれた愛嬌のある蔦模様と、大きな鉄線の花が描かれており、同色系でまとまっているせいか落ち着いた印象がある。


「こちらのものは、帯を変えるだけでも雰囲気がぐっと変わります」


 店主の隣に立つ女性が、帯を用意して並べ始めた。

 どれを選んだらいいのかわからないというのが、百花の本音である。


 しかし新樹は「黙って俺に従えばいい」と言っていたから、その言葉を信じてみよう。


「帯は、それとそれと……それからこれもだ」

「さすが暁陽様、お目が高いですね。こちらの帯はこの柄に合わせると、華やかになります。着物の柄が落ち着いておりますので、これくらい華やかでも問題はないかと」


 黒地に金糸と銀糸で羽模様が描かれた帯は、目を引くようなデザインだった。


「それでは、採寸させていただきますね。お嬢様はどうぞこちらに」


 さらに奥の部屋を案内されるが、百花は心細くなりつい後ろを振り向いてしまう。新樹と目が合ったが、それは「心配するな」と言っているようにも見えた。


 肌襦袢姿にされた百花は、女性の指示に従って腕を上げたり下げたりと、まるで着せ替え人形のようにされるがまま。


「こちらのお召し物も着てみませんか?」


 採寸が終わり、彼女が差し出してきたのは薄紫色のワンピースである。


「あ、いえ……」


 洋装を着たことのない百花にとって、その提案はとても気が引けた。


「こちらも暁陽様から、頼まれているものでして……」


 にこやかに微笑む女性が新樹の名を出してきたら、百花は断れない。


「では、こちらで着替えましょう。下着はこれとこれを身に着けてください」


 和装と洋装では下着も違うようだが、さすがに人前で肌をさらすには抵抗があり、お風呂に入るのとはまた違う羞恥が胸に広がった。


 百花がもじもじしていると、彼女がさっと衝立を用意してくれたため、その裏で慌ただしく着替える。


「お、終わりました」


 そこから怒涛のようにワンピースを着せられ、髪型も三つ編みを解かれてやわらかなアップにまとめられた。


「まぁ、お似合いですこと」


 こういった商売人は人を褒めるのが仕事だというのは、両親や従業員たちを見ていたから百花もわかっているはずなのに、それでも悪い気はしなかった。頬がほんのりと熱を持ち始め、鼓動がトクトクとうるさい。


「えぇ、こちらも暁陽様の見立てなんですよ。靴も用意しておきましたので、お帰りはそちらをお履きください」


 着物といい、そしてこのワンピースといい、新樹の審美眼に改めて感心してしまう。


「新樹様、お待たせしました」


 百花もいつもより明るい声が出た自覚はあるが、羞恥はひとまず置いておき、とにかく新樹に礼を言いたかった。


 店の隅に用意されている休憩スペースは、畳の上に洋家具が並び、落ち着いた雰囲気の場所である。その肘掛け椅子に新樹は背中を預けて座っており、テーブルの上にはお茶やお菓子が並べられていた。


「百花。終わったのか? あぁ、洋装も似合うな」

「は、はい……」


 早く新樹にこの姿を見せたいと思っていた百花だったが、彼の近くに座る少女の姿が視界に入った瞬間、気持ちが一気にしぼんでしまった。


「そちらの方が、新樹様のお連れ様ですの?」


 まるで洋風人形のような少女が、百花を観察するようにじっとした視線を向けてきた。茶色い髪はゆるやかに波打ち、目はぱっちりと大きく、襟や袖にフリルのついたワンピースが彼女のかわいらしさを際立たせる。


「俺は用が済んだから帰る」


 少女の言葉を無視し、新樹はすっと立ち上がる。


「新樹様、わたくしにはその方を紹介してくださらないのですか?」


 頬に手を添える少女は、悲しそうに首を傾げる。

 面倒くさそうに新樹が小さく舌打ちしたのを、百花は聞き逃さなかった。


「百花。こっちが瑞雨(ずいう)家の娘、加恋(かれん)だ」


 瑞雨家も帝国六家の一つだと記憶している。


「俺と同い年というだけで、何かと俺に絡んできて鬱陶しい」

「新樹様、そういったことは言ってはなりませんと、何度も申し上げているではありませんか」


 客人の前でも不機嫌をまき散らす新樹を宥めるのは、航平と百花の役目でもある。


「はじめまして、お姉さま。今、ご紹介にあずかりました瑞雨加恋と申します。以後、お見知りおきを」


 新樹の暴言に慣れているのか、加恋はさほど傷ついた様子も見せず、立ち上がるとスカートの裾を持ち上げて優雅に頭を下げた。


「は、はじめまして……藤澤百花です」


 両手を前に添えて頭を下げた百花を、加恋は目を細くして睨みつける。


「挨拶もまともにできないような女性が、新樹様の近くにいると、新樹様の品位を下げるのではなくて?」

「百花、帰るぞ」


 新樹はすぐに店主を呼びつけ、着物ができたら暁陽家に届けるようにと指示を出すと、呉服店を後にした。


 彼の足は暁陽家の屋敷とは反対方向に向いている。それに、来たときよりも大股で、まるで怒りをぶつけるような荒々しい歩き方だった。

 歩道には人が多く、それを避けるように歩くと、彼との距離はどんどんと離れていく。


「新樹様、お待ちください」


 慣れぬ靴を履いた百花は、彼を追いかけようとして「あっ」と小さく声を上げる。どうやら、何かにつまずいて足をひねってしまったらしい。


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