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第二十一話

 百花がしまった、と思ったときには遅かった。これは完全に、新樹に朝食を食べさせてあげる流れではないだろうか。


 いや、航平が新樹の怪我を心配し、食事を一人でとれるかと確認したうえで、「あ~んしますか?」なんて聞くから、百花がその役を買って出たのだ。


 食事はまだ消化のいいものをという医師の指示に従い、おかゆを用意した。ほかほかと白い湯気が立ち上るおかゆは、見るからに熱そうだ。


 ひと匙すくって、ふぅふぅと息を吹きかけ、それを新樹の口元まで運んだとき、違和感を覚えた。

 新樹が怪我をしたのは左手だが、彼は右利きである。


 もしかして、百花がこうやって世話を焼かなくても、彼は一人で食事ができるのではないだろうか。

 しかし目の前の新樹は口を開けて待っているし、航平もその様子を見守っている。それを突き放して「自分でお食べください」なんては言えない。


「熱いですから、気をつけてくださいね」


 意識し始めたら、顔が熱くなってきてしまう。

 新樹はゆっくり瞬きしてから、差し出された匙をぱくりとくわえた。


「どうですか? 熱くはなかったですか?」


 沈黙に耐え切れず百花が声をかけると、彼は「問題ない」と意味を込めてコクコクと首を縦に振る。

 ひと匙、ひと匙、すくって新樹に食べさせていると、胸の奥にぽっと光が灯るような感じがし始めた。


 昨夜は、ぐったりと力なく横になっていた新樹が、今では身体を起こして食事をしている。

 彼を失うかもしれないという恐怖に襲われ、いてもたってもいられなかったあのとき。今はそんな不安など微塵も感じない。


「おい、百花。泣いているのか?」

「え? いえ。泣いていませんよ?」


 百花は慌てて頬をぬぐったが、涙が流れた様子はなかった。


「あぁ、悪い。なんか、泣きそうな顔をしていたから」

「つまり、百花さんは泣きそうなくらい嬉しいってことですよ」


 航平が割って入ってきたため、百花はその言葉に同意した振りをしてコクコクと頷いた。

 新樹の元気な姿を見たら、胸が熱くなったのは事実。


「あ、新樹様。それだけ元気なら、自分で食べられますよね!」


 百花は急に恥ずかしくなり、お茶碗と匙を新樹に押し付けて、立ち上がった。


「新聞の確認をしてまいります。他にも読みたい本などがありましたら、用意いたしますが」

「いや、いい」


 右手でしっかり匙を握りしめる新樹は、ぽかんと百花を見上げていた。


「では、新聞をとってまいります」


 軽く頭を下げて新樹の部屋を出たところで、百花は自分がお仕着せ姿であったと気がつく。昨夜、新樹の看病のために動きやすい服に着替えようと思ったら、これしか思い浮かばなかったのだ。


 百花は一度部屋に戻ると、ワンピースへと着替えた。最初は足元がすぅすぅしてなれなかったが、こうやって着慣れてくると、これはこれで楽なのだ。


 執務室に入ると、新樹の机の上には新聞が置かれていた。影月が取ってきたのだろう。


 百花は新聞を広げて、記事にざっと目を通す。昨日の人狩りの件は一面記事になっており、帝国六家の暁陽家と瑞雨家が人質を助け、人狩りを捕らえたと、そういった内容が書かれていた。


 だが、百花の視線は瑞雨家の名前で止まった。瑞雨加恋、彼女が百花の心をかき乱す。


 特別、何かをされたわけではない。挨拶がなっていないと注意を受けただけで、あれ以降、百花もスカートの裾を持ち上げる挨拶を、マナーの本を読んだり、航平に教えてもらったりしながら、なんとかできるようになった。


 次、加恋と会ったときには、しっかり挨拶するつもりだ。


 それでも加恋の存在は、百花にとって得体の知れない脅威となっていた。新樹を奪われてしまうのではという、負の考えが浮かんでは、頭を振ってそれを否定する。

 新聞をめくり、他に帝国六家と関係しそうな記事がないかと読み進める。


(あ……この記事は……)


 経済記事では、異国の商会と取引を始めたが、言葉の壁によってこちら側に不利な条件で契約をする商店が後をたたないといった内容が書かれていた。


(新樹様もおっしゃっていたように、契約書をきちんと読むのは重要なのね)


 比較的、重要な記事に印をつけ終えると、新聞を手にして新樹の部屋へと向かった。

 ちょうど食事を終えた新樹を見れば、やはり百花が食べさせなくても、一人で食事ができたのだ。


 少し気まずい思いをしつつ「こちら、本日の新聞です。昨日の人狩りの件、一面になっておりました」と、新樹に手渡す。


「ありがとう。百花、今日の予定は?」

「はい。私は、例の天璃華語の契約書を確認する予定ですが……他に、何か急ぎのものがありましたでしょうか?」

「いや。それをそのまま頼む。内容がわかったら、俺に教えてほしい。それから、おまえも食事してこい」


 新樹の秘書として仕事をこなすようになってからは、新樹と共に朝食をとっていた。新樹はすでに食べ終えているので、百花は控え室にいかないと朝食にありつけないから、それを指摘しているのだろう。


「はい。では、食事に行ってまいります。それが終わったら、仕事のほうに取り掛かりますが……昨日、半分は終えたので、今日中にはすべて終わるかと」

「そうか。それは助かる」


 新樹が笑顔で応えるから、百花の胸の奥も花が咲いたように明るくなった。


 久しぶりに控え室で食事をしていると、他の使用人たちが新樹の様子を聞きたがった。元気で朝食をすべて食べたと答えると、みな、安堵の笑みを浮かべる。


 それだけ新樹が慕われているのかと思うと、百花もなぜか誇らしい気持ちになった。


 朝食を終えると、また新樹の執務室に足を向けた。


 早速、昨日の続きから契約書の解読に取り掛かる。


 昨夜は仕事をして気を紛らわせようとしても、目にうつる文字は、頭の中に入ってこなかった。

 だけど今は違う。一字一句、しっかり読み解き、さらに訳して内容も理解できる。


 新樹の様子一つで、ここまで変わるものなんだと、百花はくすりと笑った。とにかく、作業は順調だ。


 作業に没頭していると、扉をノックされ、百花の集中力は途切れた。


「百花さん、お客様なのですが……」


 遠慮がちに入ってきたのは影月である。


「お客様ですか? どちらの方ですか?」

「……瑞雨家の加恋様です」


 影月が言いにくそうにその名を口にしたが、加恋であれば新樹に会いにきたのだろうと、百花の中で何かが繋がった。


「新樹様はまだ……」


 医師は安静にするようにと言っていたが、加恋と話をするくらいなら問題ないだろうか。それでも加恋に新樹を会わせたくないという意地悪な気持ちも働く。


「はい、療養中のためお会いできないとお伝えしたのですが……だったら、百花さんに会わせろと」

「私、ですか?」

「はい。いかがなさいますか?」


 わざわざ影月が確認しに来てくれたのは、断ってもいいという意味も隠れているのだろうか。

 だが、百花は逃げたくなかった。加恋と会って、きちんと言葉を交わしたい。相手の狙いはなんなのか、なぜ百花に会いたいと思ったのか。その意図を探っておきたい。


「わかりました。お会いします」


 顔を引き締めた百花は、すっと席を立ち、背筋を伸ばす。

 朝のうちに着替えておいてよかった。このワンピースであれば、人と会うのに恥ずかしい格好ではないし、何よりこれも、新樹が選んでくれたものだ。


「では、ご案内いたします」


 影月の後ろを、百花は胸を張ってついていく。

 加恋の印象は決していいものではないが、その印象に縛られた状態で相手を見ていたら、本心を探れない。


「こちらに瑞雨家のご令嬢を案内いたしました。ただいま、お茶の用意を言いつけてまいります」


 応接室の前まで百花を案内した影月は、その場を去っていった。


 扉の前に立つ百花は、呼吸を落ち着かせてから扉を叩いた。


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