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 違和感。いつもの雑踏の中に、ほんの少しの違和感があった。何か大切なものが、知らぬ間に指の間をすり抜けていくような感覚。それが何かもわからないまま、私はいつも通りに学校へと向かっていた。

「昨日の夜から、橘さんが帰っていないようです。何か知っている人がいたら教えてください」

 朝のホームルームに響いた、聞きなれない言葉。それは、普段フルネームで呼ばないからその響きが珍しく感じた、とかそういうものではなかった。

 行方不明。それは、ほんの少し前のあの男子のときと同じ。でもあれの真相は知っている。

「巫理子……」

 あの女が。

 はっ、と何かを思い出して顔を上げる。そうだ、巫理子は。

 見渡しても彼女はいない。席にあるのは、空白だけ。詩乃が行方を眩ませたのは、きっと彼女が関係している。

 あのときの、束の間の惨劇を思い出していた。あまりにも現実に似つかわしくない鮮血。夕暮れに染まる階段で、まるで別世界のような光景が広がっていたのを直視した。そこには、男子と巫理子の死体。そして、それを虚ろな目で見つめる詩乃。

 あの次の日、どうしてか巫理子は何事もなかったかのように学校に登校した。私は見た。そんな中で、詩乃の顔が青ざめていたのを。

「あの、先生。巫さんは」

「巫さんも、お休みの連絡が無くて。ほんと、どうしちゃったんだろうね……」

 きっと何かがある。そうじゃないとおかしい。

 そう感じたからには、じっとしているわけにはいかなかった。


 何も考えずに飛び出してきてしまった。二人がどこにいるかなんて何もわからないのに。手がかりすらない状態で、私は自分の力だけを信じることにした。

 私には、生き物の魂が視える。そして、微かだがその痕跡も。だから私には、巫理子が人間ではないとわかったのだ。一目でわかった。彼女の魂は、人間の形をしていなかった。どうして、今の今まで気付くことができなかったのだろう。

 校門を出て、微かに感じる詩乃の痕跡を頼りに、そんな後悔を膨らませながら駆け出していた。未だ残っている、詩乃の匂い。追いかけた先で進んでいたのは、詩乃から聞いていた家の場所とは明らかに違っていた。

 そうして辿り着いたのは、周りとは一回り、二回りも違う大きな一軒家。表札には「巫」の文字。

「やっぱり、ここに繋がるんだ」

 ようやく、確信へと変わった。やっぱり巫理子が関わっている。もう何を言われても引き下がるつもりはなかった。

 玄関のドアへと手を伸ばす。勢いよく引っ張って、その境界を跨いだ。

「ぇっ」

 どこかで感じたことのある、あの嫌な鉄の臭い。真っ赤な床が、そこに広がっていた。倒れている二人の男性は、警察官の制服を着ている。きっと、これも全部巫理子が。

 生気を失った目は、虚無を見つめ続けている。慣れはしない、二度目ともなっても、やはり死体には慣れない。慣れたくなんてないけど。

 ただ、今はもっとすべきことがある。

「ごめんなさい」

 見捨てたような気がして、私はもうそこにはいない誰かに謝った。


 家の中には誰もいなかった。特別荒れた形跡もない。ただ、家全体であの鉄の臭いがするのが気になった。きっと脳裏にこびりついてしまったのだろう。しばらくは忘れられなさそうだ。

 二階の部屋には、詩乃のスマホがあった。画面を付けてみると、おそらく母親のものであろうメッセージが大量に放置されていた。

 

『大丈夫?』

『帰ってきて』

『心配してるよ』

『何かあったの?』

『怒らないから早く帰ってきて』

 

 一気に飛び込んできたそんな文章に、私は胸の痛みを覚える。詩乃のお母さんが今どれだけ心配をしているのか。そんなことを知りもしないくせに、私は勝手に同情してしまっている。

「……詩乃のバカ」

 一刻も早く詩乃を見つけて帰さないと。

 私は念のためスマホをポケットに入れた。何に使うかもわからないのに。

 そして私は家を出る。ここから続く、二人の痕跡を追うために。まだ痕跡がそこまで薄くないから、そう時間が経っていないことはわかっていた。たったそれだけが救いだった。

 きっと、そんなに遠くへは行っていない。

 ピッ、と自分のスマホを改札にかざす。駅のホームまで、道が続いているのだ。その先に、何が待っているかなんて考えられなかった。


 不意に、詩乃の気配を感じて開くドアから外へ出る。一面に広がるのは深い緑。私以外に降りる人はいなかった。

 何回か通過したことはあれど、降りたことはない、降りる気も予定もどこにも存在しないような駅へと降り立った。私はそこに、しばらく見ていなかった二人の痕跡を見つけた。

「……ここだ」

 正解の道を引き当てたのに、素直に喜べない。それはきっと、何か嫌な予感を察知しているからだ。

「なんでこんなところに……」

 独り言が自然に漏れた。なんで、なんて考えている暇はない。早く二人に追いついて、話を聞かなければいけなかった。

 _

「はぁっ、はぁっ」

 道のない緑の中を掻き分けながら進む。鳥の囀りが響くばかりで、その他に私の足音以外何も聞こえない。気付いたときには、今まで追いかけていたものが途切れてしまっていた。

 見失った。完全に。

 森の中は生命が多い。だから、二人の痕跡が認識できなくなってしまったのだ。スマホを開いても、圏外。唯一残った衛星情報から得られる位置情報だけが頼りだった。

 本当に二人がここを通ったのかさえわからない。この先進み続けて、詩乃に会えるかすらわからないのだ。

 木々に囲まれた、形のない道を一歩ずつ踏みしめながら歩いていく。こんな場所を歩いていて、段々とひとりぼっちになっていくのを感じる。

「嫌だ」

 何か、詩乃に置いて行かれる感じがして思わず言葉が漏れる。置いて行かれるなんて、変なことを考える。

 詩乃は、私の友達だ。いつも話していると、そんな当たり前のことすら忘れてしまう。そう、友達だから大切なんだ。

 早く、見つけないと。友達のためにも。

 覚悟を決めた私は、気付けば走り出していた。どこを目指すわけでもなく、ただ前に向かう。詩乃の居場所はわからないけど、今はただ前に進むしかないと思った。

「ぁっ」

 突然視界が開ける。舗装された道と森との境界に躓いてしまう。

「うっ」

 前に倒れていく身体、地面が近付いてくる視界に、思わず目を瞑ってしまった。衝撃だけが、私の身体に打ち付ける。痛かったけど立ち上がる。痛みよりも、この身体よりも大切なものがあるから。

「はあっ」

 立ち上がってふと上を見上げてみれば、空はすっかり薄暗くなっていた。夕暮れと少し、冷たい風が肌を撫でる。擦りむいた脚の傷を触らないように、その周りを少しだけ抑えた。涙が零れるのは、きっと痛みのせいだ。

 どうやら森を抜けて小さな町に出たらしい。まばらに付いた家の明かりが、まるで夜の街灯のように輝いている。普段見ている街明かりよりもいくらか明るい気がして、どこか私は安心していた。

「……詩乃、こんなとこにいるのかなあ」

 少しずつ落ち着きを取り戻していた心を胸に、私は行く当てもなく道なりに進んでいた。その先に、見慣れた看板を目にするまで、何も考えずに歩いていた。

 とりあえず、あそこのコンビニへ行こう。これからのことはそれから。


 そうして私は、まるで遠くのものに手を伸ばすように、その先の光に追い縋っていた。


「梯さん?」


 唐突に名前を呼ばれ、頭がフリーズしてしまう。こんなところまで来て、実に想定外のことが起こったのだから。

「へっ」

 間抜けな声を上げ声のした方に振り向く。

「は?」


 そこには、巫理子がいた。


「なんで」

 気付けば口にしていた、そんな言葉。どうして、なんて、最初からそうだった。

「どうして、ここに」

 そう彼女が言葉を連ねるよりも先に、私は彼女の方へと近付いていった。

「巫さん」

 

 目を見つめる。今にもその中に吸い込まれてしまいそうだ。

 きっと、彼女はこうして詩乃を。


「詩乃を」

 そう、詩乃。


「詩乃を、どうするつもり」

 その瞬間、彼女の目がこちらを鋭く睨んでくる。魂が揺れるのも見た。この輪郭、やっぱり人じゃない。

「それは、一体どういう」

「誤魔化さないで」

 

 一歩後ろに下がった彼女の手を、私は逃すことなく掴んだ。逃がしはしない。

「答えて。あなた、何者」

 少しの間私の目を見つめてから、いつもの調子で笑ってみせた。

「何って、私は巫理子で」

「違う」

「違くは」

「じゃあ」

 今までずっと引っかかっていたこと。彼女を疑うようになった、そもそもの原因。

 ここまで踏み込んだ後で、自分がどうなるかはわからなかった。想像もつかなかった。けど、前に進むためにはこうするしかないと、私の直感がそう答えた。

「どうしてあなたは、死ななかったの」

「……え?」

 ここから先、もう私の安全はない。だったら、踏み込めるところまで踏み込んでやろう。

「私、見たの。詩乃が、あなたを殺しているところ。そして、それでもあなたが死ななかったこと」

 掴んだ腕が少しずつ震えるのがわかる。きっと、見られていたことに気付いていなかったのだろう。

「答えて。あなたは何なの」

 また一歩、彼女の方へ踏み出す。腕を掴む力を強くして、丸く開かれたその瞳孔の奥の奥を睨みつけた。


 そんな状態のまま、少しずつ時間だけが流れる。体感の時間は何倍、何十倍にも膨れ上がる。

 しばらくして彼女は完全に諦めたのか、はあ、とため息をついて私の手を振り払った。

「バレちゃってたんですね。じゃあ仕方ない」

 その声色は、最早巫理子と呼べるそれのものではなかった。何処かノイズの混ざったような、嫌に耳の奥に響く音。次第に溶けて混ざり合っていく彼女の顔は崩れ、原形を留めていなかった。

「……化け物」

「ひどいなあ、梯さん」

 少し、後ずさる。一時も目を離さぬよう、溶けていく「それ」を見つめながら。

「私はね、私は……なんだっけ」

 声が直接頭の中に響く。そんな感じ。音としての性質がなかった。語りかけてくるようで、ものすごく不快だ。

「自分がなんなのかはわからないけど、もうずーっと昔から。何百年も前から、あなたたち人間のことを見てる」

 やがて右半身がすべて溶け落ちて広がる。粘土か、あるいは絵の具のように、形を変えていく。きっと、形が定まっていないのだろう。

「人間の真似事?」

「うーーーーーん、まあ、そんなところかな」

「どうして」

「私ね」

 その瞬間、残った左目が見開く。まるで子供のように輝かせた目は、憧れか何かを語るようにまっすぐに見てきた。

「愛が知りたいの。今までずっと、わからなかったから」

 愛。人間の真似事をする化け物に、そんなものが理解されてたまるか。

 目の前の彼女……いや、「ソレ」に、私はそんな言葉を吐き捨てた。

「だからって、どうして理子に」

「それは、」

 足元まで広がってきた「ソレ」を避けつつ、残った巫理子の左半身に近付いていった。

 

「教えません」


 その瞬間、視界が揺らぐ。倒れないようふらつきながら、私は「ソレ」の気配がする方へと顔を上げた。

 

「お前は」


 パン、と何かが弾ける音がした。


 何もわからないまま、痛みが身体に広がる。崩れ落ちて初めて、自分の意識が遠のいていることに気付いた。

 倒れていく刹那。あれの後ろに人影が見えた。あれは……そう、詩乃。ずっと、捜していた――

 _

 倒れる早苗の行く末を見届ける。頭から血を流す彼女は最後に、私を見ている気がした。

 理子の帰りが遅くて、心配で追いかけてきた先で、どうして早苗がここにいたのだろう。私たちを、追いかけてきたのだろうか。しかしもう、そんなことはどうでもよかった。理子が殺したんだ、きっと私たちの邪魔をしにきたんだ。

「詩乃」

 ゆっくりと振り向く。その顔は紛れもなく、いつもの理子だった。そのはずなのに。


 誰?


「ほら、行きましょう」

 手を伸ばす。


「……ぁ……」


 怖くて、その手を掴めない。


「……行きましょうか」

 手を下ろした理子はそう言って、一人で歩き出した。


 初めてだった。あの子が、私を置いて一人で行くのは。

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