貴女のせいで
「ほら、立てますか?雪」
そう言って理子はその綺麗な手を伸ばしてくる。陽の光に照らされて、白く光っていて、まるで天使のようだった。
私はその手を掴んで、そっと立ち上がる。
「……ありがと、理子」
いえ、と微笑むその顔が愛おしかった。私なんかの側にいてくれるのが、本当に嬉しかった。
「そういえば、雪は高校、どこに行くんですか?」
「んー、そうだな……」
帰り道、二人で歩幅とリズムを合わせる。どちらもズレないように、なるべく長く側にいられるように。
「理子は、どこ受けるの?」
「私は、北高です」
北高。ここら辺じゃ一番優秀な高校だ。うちの部活の先輩も何人か受験したが、合格したという話はあまり聞いた事がない。
「理子は優秀だからなぁ……」
「ふふ、そんな事ないですよ。」
相変わらず理子は自分が凄いなんて思っていない。努力も才能も、全部無意識なのだから。
それなのに人当たりも良くて、おまけに超美人。きらきら輝くようなその笑顔は、そんな謙遜すらも綺麗に照らす。
「私は、西高かなぁ。そんなに難しいとこにも行けないし。っていうか北って自校作成だっけ」
「はい、そうです」
「……やっぱり理子はすごいよ」
二人、揃って歩く。夕日がすぐそこまで迫っているのではないかと思うほど、やけに夕焼けの色が色濃く記憶に焼き付いていた。
「……っ」
そんな記憶の中で、私はふと足を止める。
遅れた私の影に、やがて理子も数歩先で足を止めた。そして、ゆっくりと振り返る。
「……あのね、私」
喉の奥に引っかかった声を絞り出す。
「ずっと、理子と一緒にいたい」
愛の告白か、なんて突っ込まれてしまいそうだ。別にそれでもいい。
私はただ、理子の隣にいる時間が好きだった。いつでも話を聞いてくれて、一緒に笑ってくれて。
そんな理子と離れたくなくて、今になって私は忘れかけていた言葉を手繰り寄せたのだ。
声がそのまま溶けて消えていくうちに、私は今言った言葉を激しく後悔する。恥ずかしくて死にそうだ。
「ふふ、そうですね」
私の顔が熱くなっているのに気付いたのか、私を見つめていた理子の顔はやがて向こうの方を向いた。
「別に私は、何処へも行きませんよ。高校は離れてしまいますけど……いつだって会う事はできますし」
そう言って振り返った理子は私に手を伸ばす。ほとんど無意識に、そこに手を伸ばした。温かくて、心地が良い。
「ですから、一緒に帰りましょう」
「そばに、居てくれる?」
「もちろん」
夕の風に、未だ揺られている。
「……ありがと」
揺さぶられるように、どこからか声が漏れた。なんだか照れくさくて視線を逸らす。
理子は優しく微笑んで、私の視界に飛び込んできた。
「ね、雪」
揺れた髪の香りが空気に移る。彼女を追いかける、ほんの数センチ先の焦点もブレてしまいそうなほどに私の心は引っ張られていた。
その口が何か言葉を発する間に、私は少し明日を思い出していた。
__
「えー、昨日から原田くんが家に帰っていないと原田くんのお母さんから連絡がありました。もし何か知っている方がいたら、先生に教えてください」
なんてことない朝のホームルーム、そこで聞こえてきたのは非日常とも言い難い、どこか引っかかる言葉。
昨日の放課後のことは鮮明に覚えている。そう、原田くんは、
理子に、殺された。
「私の邪魔をしないでください」
その言葉と共に彼女の笑顔が消えた。何が彼女にそうさせたのかはわからない。そこまで、することだったのたろうか。
しかし、その事について詳細に問い詰めることはもうできない。
理子は
「私が」
私が殺した。今度こそ。もうあれは、衝動なんてものではなかった。
もう二度と、理子が他の子を見ないように。他の子に笑顔を向けないように。確実に殺した。
今でも手に残る、あの時の肉を裂く感覚。切れ味の悪いカッターで切り開いていくのは、何物にも代え難い、形容し難い気持ち悪さがあった。
別に私は大きな肉塊を切ったり魚を捌いたりしたことはない。でも、そんなのよりもっと気分の悪いものだろうというのはわかっていた。
……そう、気分の悪いもの。
人を殺しているのだから、そのくらいの心地はする筈だった。なのに何故か、私は全く嫌な心地がしなかった。
それはきっと、理子を私のものにできる、なんて思っていたから。殺せばもう、私だけになる。
「好きな子がいるんです」
「っ……」
あのときの理子の顔を思い出す。何かすごく嬉しそうだった。まるで、理子が好きだと気付いたときの私みたいに。
その顔が許せなかった。理子は、私だけでいいのに。
理子が誰を好きなのかは気になった。気になったけど、知ってしまうと私が壊れてしまう気がした。何も言わずに心のうちにしまうだけで。
「はぁ……」
吸った息を吐き出す。
空っぽになった前の席を眺めながら、先生の話を聞き流していた。
ガラガラ
と、扉の開く音がする。静寂を裂くように響いたその音に、何気なく振り向いた。
「…………は?」
扉の向こうには、
「……理子……?」
理子が、立っていた。いつもの笑顔で、傷一つない身体で、鞄を持って。
「すみません、体調が優れなくて少し遅れてしまいました。」
「あ、巫さん。連絡ないから心配してたよ」
「はい、すみません」
そう言って彼女は私の前の席へ向かう。
不意に、私の方へ視線をやった。何も言わず、微笑む。
「えー、巫さんのためにもう一度説明しますが、原田くんが昨日から家に帰っていないようです。もし何か知っていれば先生に教えてください」
「どうしたんだろうね、原田くん」
理子の隣の女子が言う。
「……どうしたんでしょうね。心配です」
殺したのは理子のくせに。そんな事、思ってないくせに。
「言いません」
まただ。あのときの理子の顔が、優しく微笑んだ顔が過る。もしかして理子は、同じように何も思っていないんじゃないか。彼に対しても、私に対しても。
ずっと見ていてほしいのに。
そんな言葉を抱えたまま、目の前に座る理子の背中を眺めていた。
もう生きていないはずの、その背中を。
息を吸って吐くたびに、微かに肩が上がっては下がる。そうして身体中に送り届けられる酸素によって、理子は未だに生きている。目の前の現状を受け入れられないまま、時間だけが過ぎていった。
――
「ねえ、詩乃」
いつもと違う帰り道。私がぼーっと理子に着いていくだけだったその途中に理子は口を開く。
「……ぁ」
何の話をされるかは、薄々気付いてはいた。拒みたいはずなのに、変わらず私の体は理子を求めている。こんなの、呪いみたいだ。
振り向いた彼女の目に視線が吸い寄せられる。まるで金縛りにあったみたいに動けなくなる。息をするのも忘れて、ただ彼女の言葉を受け入れていた。
やっぱり理子は綺麗だなあ、なんて。心のどこかでそんなことを考えながら。そんなことを思っている場合じゃないのはわかっているのに。
「また、殺し損ねましたね」
「……そうだね」
――
そう。私はまた、殺し損ねた。入念に、心臓まで刺したはずなのに、どうしてか今も目の前で理子が生きている。これは、私の失敗以外の何物でもない。
また、殺せなかった。理子の期待に、応えることが
――
「はっ」
何かに意識を飲み込まれそうになる。違う、私が考えるべきなのは、
「どうして理子は、殺してほしいの?」
そんな見当はずれを、口にしていた。
「……そうですね、愛を、識りたいからです」
いつもみたいに微笑む。不気味なはずなのに、愛おしかった。
「詩乃」
理子が歩み寄ってくる。手を伸ばし、私の顎へ手をかける。そうして、私の顔を覗き込んだ。
理子より少し背の低い私は、ほんの少しだけ理子を見上げる。
鼓動が早くなるのを感じた。音が漏れ出て、彼女に聞かれてしまわないか。そう思ってしまうほどに、心臓が暴れる。どっどっどっ、と、近すぎる距離に思考を切らしていた。
そのまま、理子の顔が近付いてくる。目の奥が見える。そこにある宇宙が、私だけを見つめていた。
「ふふっ」
理子は微笑み、私の顔から手を離した。
「やっぱり、詩乃は可愛いですね」
次の瞬間、理子の手が私の口に突っ込まれる。
「んぅっ!?ぐっ、ぉぇっ」
指が喉の近くまで入り込む。吐きそうになるのを我慢しながらもがいた。それなのに、何かに押さえつけられて身体が思うように動かない。
「ぐっ、ぁあっ、ぅ」
理子の手が、舌を掴んだ。うまく呼吸すらできず、涙が溢れる。滲む右目の視界にも、理子の顔ははっきりと映った。
「……詩乃」
理子の手が私の舌をすごい力で引っ張る。感じたことのない感覚に、私の身体はどうすることもできなかった。
「私の可愛い詩乃」
ブチッ、という鈍い音が頭の中に響いた。それと同時に激しい痛みが口内を襲う。何が起きたのかはわかっていた。でも考えたくもなかった。
「あ……ぁ……」
震える身体と定まらない目で目の前を見つめる。見たくもないのに、私は自然に理子を捜してしまっていた。
その手には、おそらく私の舌だったものがあった。
「ひっ」
その小さな肉塊に思わず悲鳴を上げる。それと同時に口の中に溢れる鮮血を吸い込んでしまう。
「ぅっ、ごはっ、げっ、ぅっ」
「貴女のせい、なんですよ?」
何か言っているがよく分からない。理解を拒むほど、今の私は痛みに支配されている。
「詩乃、大丈夫ですか?」
変わらず微笑む理子が、私に手を伸ばす。苦しみに囚われた私は、思わず救いに縋ってしまいそうで。
他でもない、彼女のせいなのに。
また私はその腕に、手を伸ばしてしまった。
次回更新予定
三月八日 正午




