偶然の接点
放課後の教室は、誰もいないはずなのに、微かに机と椅子の軋む音が響く。
私は窓際に座り、ぼんやりと外を見ていた。
「A、あの……ノート貸してくれる?」
振り向くと、そこにはSが立っていた。
普段は笑顔を絶やさず、誰にでも優しいSが、今、私にだけ目を向けている。
心臓が一瞬、
跳ね上がった。
「え……あ、いいよ」
慌ててノートを差し出すと、Sは少しだけ微笑んだ。その笑顔はいつも通りなのに、なぜか胸に刺さる。
「ありがとう。助かる」
ほんの一言だけど、その声が、教室の静けさに響いた。私の心はざわつき、手のひらに汗が滲む。
Sはノートを受け取り、軽く頭を下げて自分の席へ戻っていった。
私もつい視線を追ってしまう。
戻ってくる途中、Sは友人に小さく笑いかけながら言葉を交わす。
そのささいな仕草ひとつひとつに、心がぎゅっと締めつけられる。
私はノートを握りしめながら、息を整えようとする。しかし、机の上に置いたペンが小さくカタカタと音を立てるたび、頭の中にはSの笑顔が繰り返される。
触れられない距離、でも確かに隣にいる存在。
次の瞬間、Sが振り返り、私に視線を向けた。
目が合う。
短い時間だったけれど、確かに私を見ている。
胸の奥が熱くなり、手が震えるのを感じた。
Sは微笑んだまま、すぐに友人の方を向く。
まるで何事もなかったかのように。
でも、私は知っていた。
Sの笑顔は誰にでも向けられるものだということも、私が特別扱いされているわけではないという現実も。それでも——その笑顔をこの目で見られるだけで、胸の奥が少しだけ満たされる。
教室を出るとき、廊下ですれ違ったSが私の肩に軽く触れた。
偶然の接触なのか、それとも意図的なのかはわからない。
ただ、触れられた瞬間、心臓が飛び出しそうになる。私は顔を少し背け、息を整える。
「……やっぱり、Sが好きだ」
誰でもいいわけじゃない。
Sだから、
私はここにいる。
距離が遠くても、特別扱いされなくても、この気持ちは揺るがない——そう自分に言い聞かせながら、私はゆっくり教室を後にした。




