第2話:帝都の片隅、無名の令嬢が再起する
冷たい朝の空気が、鼻をつく。
瓦礫まみれの通りを抜けた先、小さな鍛冶屋の軒先で、私は深く息を吐いた。
「……ふう、ようやく“人間らしい”空気ね」
ここは帝都の南東端――工廠街“第四層地区”。
貴族どころか市民ですら立ち寄らぬ、最下層の労働者たちが暮らす場所。
泥と煤に塗れた空間は、かつて舞踏会で光を浴びていた私とは正反対の世界だった。
でも、私にはこれがちょうどいい。
――いまの私は、もう“令嬢”ではないのだから。
「ちょいとお嬢さん、本当にできるのかい? うちの炉は“魔導”なんて上等なもんじゃ動かねぇよ」
「ええ。確認しました。火力の安定性は単純な魔石炉心よりも、演算制御型の方が格段に優れています」
私は、持参した木箱の蓋を開けた。
そこには、手のひらほどの黒銀色の装置。
銅線と魔導紋で組まれた、魔導式演算制御ユニット――“エーテリアル・コンダクタ”。
「これを使えば、魔力量に頼らず、一定の火力を維持できます。素人向けの調整ですが、鍛冶炉には十分です」
「……お、おい、こりゃ本物だぞ。動いてる! 火が、安定して……!」
職人たちが色めき立つ。
この工房は、借金を抱えた鍛冶屋の末期だった。炉の魔石が枯れ、魔導技師も雇えず、廃業寸前。
けれど――たった一つの小さな技術で、火は甦った。
「なんだこりゃ……あの貴族連中に笑われた“魔女の技術”じゃねぇか。こんなもんが本当に使えるなんて」
「ふふ、魔女でも亡霊でも構いませんわ。実際に使えるかどうかがすべてでしょう?」
私は笑みを浮かべながら、炉の計測値を確認する。
火力、安定。消費魔素、3割減。排熱、誤差範囲。
問題ない。この世界で最も信じられるのは、“理論と計算”だけ。
名前も捨て、身分も捨てた私は、今や“ただの無名技師”。
仮の名で、エレナではなく――**E・G**と名乗っていた。
それから数週間。
私の“技術”は、静かに広まっていった。
鍛冶屋、紡績工房、魔導炉修理業者、酒場の冷却器……。
どれも貴族たちが見向きもしない、労働者たちの現場ばかり。
でも、彼らは“結果”に誠実だった。
見た目や家柄ではなく、**「本当に動くかどうか」**で私を見てくれた。
「E・G様、うちの弟が使ってる足車、直せないでしょうか。戦争で怪我して、片足が……」
「やってみましょう。魔導補助脚なら、構造さえ合えば可能です」
そうして、私は“貧民街の魔導技師”として、少しずつ名を上げていく。
だが――その裏で、私の存在が帝都の上層にまで届きつつあることを、この時の私はまだ知らなかった。
一方、王宮。
「……最近、工廠街で『E・G』なる技師が目覚ましい成果を上げていると?」
「はい、陛下。魔導式浄水器、低出力補助炉、義足用補助装置……。全て民間で使用実績が出ております」
「E・G……。貴族籍にそのような名はないな?」
「確認しましたが、身分も素性も不明。ただ、その技術は――“かつてのグレイスフォード侯爵家”のものと酷似しております」
「……まさかな」
皇帝の声が低く響いた。
その傍ら、王太子レオンが表情を曇らせる。
「……エレナは、死んだ。あの日、処刑令に従って追放したはずだ」
だが、疑念は拭えない。
“魔導研究”を理解する者は少ない。しかも、あれほどの技術力を持つ者など――
(まさか……あの女が、生きているのか?)
やがて、王宮は動く。
“E・G”を招き、帝国技術局の顧問として招聘せよ――との命が下されたのだった。
――その時、誰も知らなかった。
この無名の“亡霊技師”が、
やがて帝国の命運を握る存在となることを。




