(7)
わたしが快諾の返事をアイビーに託したその日の夕方には、ネコと――ルークが、アイビーに連れられて家にやってきた。
てっきりアイビーがルークの飼いネコだけを連れて帰ってくるものだと思い込んでいたわたしは、突然のルークとの再会にわかりやすく動揺してしまった。
あのとき……わたしに侍っていた花の騎士たちのほとんど全員に、わたしへの好意なんてなかったと知ってしまって以降、ルークとはまともに顔を合わせていない。
その後、わたしは王宮を出てアイビーとのふたり暮らしを始めて、家から一度も出ていないから、会う機会なんてなかった。
けれども、もしわたしが王宮にいたままだったら、ルークたち花の騎士と不意に顔を合わせる機会も訪れたかもしれない。
それを考えると、アイビーとのふたり暮らしを選んだのは正解だったかも、と思った。
ただ現実には、こうしてルークと再び顔を合わせることになってしまったのだが。
「お久しぶりです」
動揺を顔に出してしまったものの、どうにか儀礼的な言葉は絞り出すことができた。
飼いネコが入っているのだろう、トウでできたカゴを抱えたルークは、気まずそうな強張った顔で会釈する。
ルークのそんな顔を見るのは二度目のことだ。
「返事くらいしなよ? 急に押しかける格好になっちゃったんだからさ」
アイビーはそう言いはしたものの、口調自体は軽く、ルークを強く咎め立てるような声音ではなかった。
それでも、いつもわたしには優しいアイビーの、ルークへ向ける視線はどこか鋭く感じられた。
わたしはあわててルークと彼の飼いネコを家の中に招き入れることにした。
ルークの飼いネコは、スノーという名前の女の子だそうだ。
ルークが持ってきた、トウで編まれたカゴの中から出てきたスノーは、名の通り真っ白で、ふわふわとした長毛のネコだった。
ただ、ネコに詳しくないわたしでも、スノーの毛艶に元気がないのはわかる。
加齢のせいなのか、見た目にもちょっと毛がごわついている感じがするのだ。
それでもくりくりとした黒い瞳を向けられると、「可愛い」という感想が浮かんでくる。
けれどもスノーはカゴから外に出されると、すぐにソファの下に全速力で逃げ込んでしまった。
「すまん。スノーが慣れるまでしばらくいてもいいか?」
ルークの口調はぶっきらぼうだったが、その表情には不安と申し訳なさが浮かんでいる。
ルークはアイビーに向かって言ったものの、アイビーは視線をわたしに向ける。
するとルークも、恐る恐るといった様子で控えめな視線をわたしに向けた。
「大丈夫ですよ。そこのソファにどうぞ。紅茶でいいですか?」
ルークの目に迷いが走ったが、結局彼はなにか言うこともなく、わたしの言葉にうなずいて、ソファに腰を下ろした。
わたしが台所で三人ぶんの紅茶を用意すると、ちょうどよくアイビーがやってきて、ローテーブルまで運んでくれる。
アイビーがルークの向かい側のソファに座ったので、わたしも自然とアイビーの隣に腰を下ろすことになる。
すると見計らったかのように、ルークが座るソファの下から、スノーが出てきた。
ルークがスノーの名を呼ぶと、彼女は抗議の意味でもあるのか、鳴き声を上げる。
ルークに向かって、訴えかけるように鳴き続けるスノーを見て、思わずわたしは「大丈夫ですかね?」などと言っていた。
突然見知らぬ家に連れてこられて、スノーは不安なのだろう。
そんな状態のネコと、共寝できるのかどうか……わたしのほうも不安になる。
そんな気持ちを込めての「大丈夫ですかね?」というわたしの言葉に、ルークが反応する。
「あんたのほうこそ大丈夫なのか」
「アレルギーとかはないですよ?」
わたしの返答に、ルークとアイビーが同時に「そうじゃなくて」と言った。
わたしはふたりのそんな反応に、目をしばたたかせることしかできなかった。
アイビーは「やれやれ」といった風に目を伏せた。
ルークはやにわに「あんたに虫のいい頼みをしたのはわかっている」と言い出した。
「スノーは……もともとは俺の恋人の飼いネコなんだ。今はふたりの家で飼ってるが。俺が不在のあいだ、スノーが彼女を支えてくれたようなものなんだ」
ルークの言葉を聞き、わたしは居心地の悪い思いをした。
ルークには、恋人がいる。言い方からして、わたしと出会うよりも先に恋愛関係になって、同棲している恋人なんだろう。
その事実を突きつけられると、気まずく恥ずかしい思いが湧き立ってくる。
「……けれどもスノーももう長いこと生きてる。近ごろは元気がなくて……それであんたの『魔女』の力を思い出して、アイビーに仲介を頼んだんだ」
わたしがアイビー以外の花の騎士たちともう顔を合わせなくて安心したように、ルークだってわたしと会わずともよくなって安堵しただろう。
それでもルークは、弱っているスノーのために、アイビーに仲介を頼んでまで、わたしの――「魔女」の力を借りたかったんだ。
「……あんたが悪い人間じゃないのはわかっているし、被害者だということもわかっている。それでも俺はあんたに礼を失した行いをした。だから、こうして頼むのは虫がいいとはわかってる。それでも、頼む、スノーのために『魔女様』の力を貸してくれ……!」
ルークの言葉はたどたどしかったが、必死さは十二分に伝わってきた。
ルークはルークなりに、自分の言葉を尽くして、スノーを救おうとしているのだ。
思えばルークは、なにも考えていないわたしに侍っていたころも、口下手だった。
他の花の騎士たちのように、舌の滑りのいいことは言えなかった。
しゃべるのも、ましてやおべっかを使うのも、ルークは得意じゃないんだろう。
けれど今、恋人のために、スノーのために、言葉を尽くして頑張っている。
「……ルークが」
わたしはそこまで言って、一瞬言葉に詰まった。
けれども頑張ってなんとか、今のわたしの気持ちを伝えようとする。
……ルークが必死に、今言葉を尽くしているように。
「……ルークが、『ミモザの花みたいな明るい黄色の服が似合ってる』って言ってくれたの、覚えてるよ。わたし、元の世界じゃ暗い色の服ばかり着てたから……その言葉が、すごくうれしかったから……」
また、言葉に詰まってしまう。
それでもどうにか息を吸って、吐いて。
わたしの気持ちを言葉にする。
「……わたしも、ルークが悪い人間じゃないってわかってる。それから、あと、別にわたし、自分が被害者だとか思ったことはないです。……みんながわたしに優しくしてくれて、うれしかった。それだけは、ひとつも嘘はないので」
ルークは、ぽかんとわずかに口を開ける。
それでもすぐにそんな表情を引っ込めて、神妙な顔でわたしを見た。
わたしはそんなルークを見て、ようやくぎこちなさのない微笑みを浮かべることができた。
「……それで、スノーのごはんとかはどうすればいいですか?」
「あ、ああ、ここに持ってきてる。ひとまず一週間ぶんある。一日に二回くらい与えてくれ。ただ今は弱っているから、あまり食べないかもしれないが……」
「わかりました」
ルークは注意事項について書き綴った、三枚重ねられたメモ書きも渡してくれた。
「どうか、よろしく頼む」
ルークはそう言ってわたしに向かって深く頭を下げ、スノーを残し、帰って行った。