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(6)

「……手、怪我してます?」


 帰宅したアイビーを出迎えて、薄手のコートを受け取る。


 わたしに脱いだコートを渡す際に、アイビーがわずかに顔をしかめたのを認めてしまった。


 だから、お節介かなと思いつつも、見て見ぬふりをするのもなんだか居心地が悪く、そう聞いたのだ。


「うん、まあちょっとね」


 アイビーは一瞬、おどろいた様子で目をしばたたかせたが、すぐにいつもの微笑を浮かべる。


 けれどもその柳眉はわずかに八の字に下がっていた。


「手首をついてしまって、ちょっとひねってしまって。剣を握るとちょっと痛いかなあくらいの怪我だから、気にしないで」


 そう言って、袖に隠れていた手首を見せてくれる。


 ぐるぐる巻きにされた白い包帯が、アイビーの「ひねった」と言う手首を固定しているのがわかった。


 わたしはアイビーから受け取ったコートをハンガーにかけつつ、「治癒魔法とか……」と思いつきを口にした。


 けれどもアイビー曰く、差し迫った命の危機がない限り、怪我は自然回復に任せるのが一番とのことらしい。


 治癒魔法にも色々と、デメリットがあるのだとか。


 わたしが「魔法」という言葉から想像するほど、この世界の魔法は万能なものではないようだ。


「それじゃあ、わたしが共寝をすれば早く治るんじゃないですか?」


 以前教えられた、わたしの――「魔女」の力を思い出す。


 「魔女」は共寝によって相手に力を分け与えたり、引き出したりすることができる。


 自然回復力を上げるのも、「魔女」が持つ力のひとつだと聞かされていた。


 実際、怪我を負った騎士と共寝をしたときに、彼はすぐに「痛みが引いた」と喜んでいた記憶が蘇る。


 わたしに宿っているという「魔女」の力は、氷皇帝が退治されたことで弱まっていたが、すっかり消えてなくなったわけではないらしい。


 とは言えども、わたしは「魔女」自身であるから、共寝の恩恵を受けることはなく、よって共寝の力への自覚は最初の最初から、今の今まで薄いのだが。


 とにもかくにも、わたしはアイビーへ共寝をすればいいのではないかと提案をした。……軽率に。


 ただ、怪我が早く治ればアイビーはうれしいだろうと思って、あのときの失敗をいっとき忘れて、言ってしまった。


「ごめんね。そういうこと言わせるつもりじゃなかったんだけれど」


 アイビーが目いっぱい、気を遣ってくれたことはすぐにわかった。


 わたしはすぐに自分の失敗を悟り、何度か左右に、素早く首を振った。


「すいません。軽率でした」

「いや、ノノカが気にする必要はないよ。軽率だったのは私のほうだから」

「いえ、でも」

「断ったのは、まだノノカとそういう関係じゃないからだよ。――いつかは、そんな関係になりたいとは思っているけれどね」


 最後につけ加えられた言葉は、少し茶目っ気が含まれていた。


 わたしは安堵しつつも、アイビーのそういった気の遣いかたに申し訳なさを覚える。


 わたしが「共寝をすれば?」などと言い出さなければ、アイビーも無駄に気を回す必要はなかったはずだ。


 アイビーとの共寝は、今さら言及するまでもなく、王宮にいたころには何度もしてきたことだ。


 だから、アイビーとの共寝自体に抵抗感はない。


 アイビーはわたしの嫌がることをしないだろうという信頼感があるからだ。


 けれど――今、アイビーに共寝を断られたとき、あのときの失敗をちょっとだけ思い出して、心臓が痛むような気持ちになった。


 好意のない相手との共寝は、どれだけ彼らに苦痛を与えたのだろう。


 アイビーだけはわたしに好意があると言って、隠そうともしないけれど――。


 アイビーの怪我の話はそこで終わって、わたしが用意した夕食を囲む食卓でも、もう怪我の話も共寝も話も、またく出なかった。



 ――アイビーに共寝の提案をするのは、やめよう。


 わたしがそう密かに心で決めてからきっかり一週間後、いつものように帰宅したアイビーからある打診を受けた。


「ネコ?」

「そう。飼いネコが弱ってきて、加齢が原因だから獣医もお手上げ……だけどあきらめられなくて、ノノカの共寝を頼みたいってお願いなんだけど――」


 アイビーは困ったように微笑みながら言う。


「私の同僚のルーク……覚えてる? 花の騎士の……」


 じわじわと舌の根から口の中が乾いてくような気を味わった。


 それでもどうにか、ぎこちなくも首肯する。


「……さすがに、忘れてないですよ」


 あのとき――わたしに好意がないと明言した花の騎士はルーク本人ではなかったけれど、彼もまたあの場で特に弁明しなかったのは事実だ。


「氷皇帝を退けた、英雄なんですから」


 わたしの胸中に生じた、どうしようもない気まずさと、恥ずかしさを誤魔化すように、そう続けた。


 けれどもわたしの口から出てきたのは、口内と同じく乾いたような、皮肉にも聞こえそうな言葉だった。


 他人の心の機微にさといアイビーが、そんなわたしのぎこちない態度を見逃すはずもない。


「――断っておくね」

「……え?」

「ネコが相手と言えども、ノノカに嫌々『魔女』の力を使わせるわけにはいかないから」

「ちょっと待ってください。ネコは、どうなるんですか……?」

「……かなりの年齢だって聞いたから、このまま良くなるか悪くなるかは神様次第ってところかな。生きとし生けるものすべてに寿命はあるからね」


 アイビーのその言葉を聞いて、わたしの口を突いて出たのは「請けますよ」という上ずった声だった。


「ネコ、好きですし」


 つけ加えた言葉は、言ったわたしにすらどうしようもなく言い訳がましく聞こえた。


 生物としてのネコのことは嫌いではない。しかし特別好きと感じたこともなかった。見た目が可愛いというのは、普通に理解できるのだが……。


 アイビーの同僚の……ルークの打診を受ける最大の理由は、「ここで断って彼のネコになにかあったら後味が悪いから」というものだった。


 ここでわたしが断ったせいでネコになにかあれば、ルークに恨まれるかもしれないと、恐れたのも理由のひとつではあった。


 償いたいという気持ちもあった。


 ルークは花の騎士であるからして、彼とももちろんわたしは共寝をした経験がある。


 わたしが王宮にいたとき、色々と気を遣わせて、苦痛を味わわせたのだから、彼の飼いネコを助けるのは償いになるかもしれないと思った。


 その、見たこともないネコを助けたいという純粋な気持ちは、ほとんどなかった。


 すべてが後ろ向きな理由から、わたしはルークの打診を受けると言ったのだ。


 アイビーの目に、ためらいが浮かんでいるのはわかった。


 けれどもわたしは、そんなアイビーの気遣いを、申し訳なさを感じつつも、無視した。


「大丈夫ですよ」


 それは、わたし自身にも言い聞かせるような言葉だった。

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