(13)
「あの、あんまりこういうこと言っちゃダメですけど……兄さんとぼくたちとではうまれが違って」
以前、アイビーがこの国の人間は湖から生まれるひとと、女性から産まれるひとがいると教えてくれた。
両者に差はないらしいのだが、女性産まれの人間のほうが優れているだとか、そういう思想を持っているひとがいるということも。
エリンくんは、アイビーとエリンくんと、どちらがどういったうまれなのかまでは明言しなかった。
「兄さんは連れ子で……だからなのか、その、親はあんまり兄さんに構わないところがあって。別に、虐待とかネグレクトとかはないんですよ。でも兄さんをなんだか……空気みたいっていうか、なんだかあんまり構わないところがあるんですよね、うちの親は」
エリンくんは申し訳なさそうな、苦しそうな顔をする。
エリンくんからすれば、両親は悪いひとじゃないんだろう。愛着とか、愛情もあるんだろう。
けれどもエリンくんが敬愛するアイビーの、家庭内での扱いはいいとは言えず、エリンくんはそんな状況に今も苦しんでいるのだろう。
「でも、兄さんがぼくたちにいじわるしたことなんて一度もない。いつも兄さんは他人に優しくできる、立派なひとで」
「……はい。わかります」
アイビーはいつだって、わたしに優しかった。
なにも考えず「魔女様」だなんて呼ばれて、花の騎士を侍らせていたわたしにだって、アイビーは優しかった。
アイビーはわたしに自分の家族の話をしてくれたときだって、一度として悪くは言わなかった。
「わたしも……アイビーからたくさん、優しさをもらいました」
アイビーは不思議なひとだと思った。
わたしが、異世界にきても自分の価値がわからず不安に駆られ、ひとりでこっそりと泣いてしまったとき、それを見つけたアイビーは困ったような顔をして、けれど優しく微笑んでくれた。
――「今、あなたを幸せにしたいと思いました」。
……そんな言葉をわたしにかけたとき、アイビーはどんな気持ちでいたんだろう?
「嘘じゃないかとか、裏があるんじゃないかとか、思ったことはありますし、正直……今でもちょっと思うことはあります。わたしは強くないから。――けど、エリンくんの話を聞いて、やっぱりアイビーは嘘をつかないんだろうなって、改めて思えました」
エリンくんは、わたしを見てどこかほっと安堵したような顔になる。
「兄さんは、愛されているんですね」
わたしはとっさに、その言葉を否定できなかった。
「兄さんの優しさに嘘はないです。ひとを傷つけるような嘘もつかないです。なので、えっと、ぼくがこういうのもおかしいかもしれませんが……信じてあげてください、兄さんのこと」
わたしがうなずくと、エリンくんはここへきて初めて笑顔を見せてくれた。
その笑顔はやっぱり、アイビーにそっくりだった。
エリンくんはそのあと、「兄さんには言わないでください!」とわたしに口止めをして帰って行ったのだが、当の兄さんことアイビーは、帰ってきて開口一番、エリンくんを家に入れたことについてわたしをたしなめた。
「だれがきても家に入れちゃダメって言ったでしょ? 魔法で変装していたりしたらどうするの?」
「ごめんなさい……」
アイビーの言うことは、まったくもってその通り。わたしは平謝りすることしかできない。
「エリンにはきつく言っておくから」
「いえ、そんなきつく言う必要はないかと……」
敬愛する兄に咎められれば、エリンくんは落ち込むんじゃないかと心配になって、ついそんなことを言ってしまう。
そんなわたしの意見をどう思ったのか、アイビーは小さなため息を吐いた。
「妬けちゃうな」
「えっ……エリンくんとは、そういう関係じゃないですよ?」
「わかってるよ。エリンもああ見えて、恋愛に関しては奥手だし……でも、可愛げがあるからさ」
アイビーは「やれやれ」と言いたげに、芝居がかった仕草で肩を揺らした。
わたしはその場の空気を変えたくて、わざとらしく声を上げる。
「――そ、そうそう! エリンくんがくる前に、お守り、作ってたんですよ」
「……お守り?」
「そうです! デイジーさんに教わって……なんでも今、恋人に贈るのが流行っているとか」
「ああ、それなら騎士団内でも耳にしたことがあるよ」
わたしはチェストの上に放置しっぱなしだったお守りを手に、アイビーへと見せる。
表面に色とりどりの刺繍をほどこした、動物を模した手の平におさまるていどのぬいぐるみ。それが、今流行りの「お守り」だった。
「あの……よければ、なんですけど、受け取ってもらえませんか?」
「いいの? 私は恋人じゃないけれど」
アイビーの返しに、わたしは一瞬言葉に詰まった。
けれども――
「……言い直します。……受け取ってください」
……このお守りは、アイビーを思って作ったものだ。
刺繍のひと刺しひと刺しは、アイビーのことを考えながらしたものだ。
「アイビーのために、作ったものなので」
勇気を出して、そう言い切る。
アイビーはそんなわたしを見て、いつものように微笑んだ。いや、いつもより数割はうれしさが増しているような、そんな微笑みに見えた。
「ごめんね。ちょっと意地悪な聞き方しちゃった。このお守りはありがたく受け取るよ。大事にする」
「……そうしてください」
わたしの手からアイビーの手のひらへ、お守りが移る。
アイビーはお守りをまじまじと見ながら、こんなことを言う。
「お守り、ちょうどよかったかも」
「なにかあったんですか?」
「来週からしばらく『寒の砦』へ行くことになったんだ」
「そこって――」
「うん」
――寒の砦。冬の領域と接する、春の国の最北端。……かつて、氷皇帝との戦いの、最前線だった場所。
氷皇帝はアイビーを含む花の騎士たちによって、退けられた……。
けれどもなぜかこのときのわたしは、鳥肌が立つほどの寒気を感じずにはいられなかった。




