(10)
灯篭祭――。灯篭に願いを込めて、飾りつけるお祭り……。
もとは春の国の端にある、一地方のお祭りだったが、王都でその地方の出身者たちのコミュニティーが拡大するにつれ、大規模なお祭りとして城下町でも楽しまれる定番のものとなっていると、アイビーは説明してくれる。
「まあ多くのひとにとっては、どんちゃん騒ぎできればなんでもいいんだろうけどね」
そうアイビーは言いはしたものの、街角でいい気分で酔っ払っている男性たちを見る目は、柔らかい。
アイビーが言った通りに広場から、そこにつながる道端に集っている男性たちは、年齢に関係なく酔っ払っているひとが多い。
加えて、夕闇が迫る中とあっては、だれもわたしが女性だなんて気づいていないようだった。
わたしはアイビーから買い与えられた服を言われるまま身に纏っている状態だ。
また夜は冷えるとのことで、分厚いダークカラーのロングコートも着ているし、いわゆるキャスケット帽も被らされている。
もともと髪はショートボブにしていたので、まとめて隠す必要もなく、家を出る前に全身鏡に映した自分の姿を思い起こしても、薄暗がりであれば女性と見破るのは難しいだろうと思った。
「女性が不用意に外を歩くわけなんてない」という思い込みもきっとあるだろうし、だれもわたしとアイビーを気にかけたりはしないだろう。
「ちょっと見て、すぐに帰るからね?」
「はい。わかってます。ちょっと見られるだけでいいので」
真っ白な装束に身を包んだ少年たちが、広場に置かれた灯篭に火の灯ったロウソクを近づけ、点火していく。
「あの点火役はくじ引きで決めるんだって」
隣に立ち、それどころかわたしを守るようにほとんどぴったりと立つアイビーが、耳元でそうささやく。
それをくすぐったく思う間もなく、火が点った色とりどりの灯篭の光が増えていくさまは、わたしに感銘をもたらした。
「綺麗、ですね! すごい……」
思わず声を張って、幼い子供みたいにアイビーの顔を見上げてしまう。
アイビーは輝く灯篭から視線を外し、見上げてくるわたしに応えるように、こちらを見て微笑んだ。
アイビーの黒っぽい瞳に、灯篭の光が映り込んで、きらきらと輝いているのがわかった。
そんなアイビーの目に一瞬、釘づけになる。
けれどもすぐアイビーの声が、わたしを正気に戻す。
「よかった。喜んでくれて、うれしいよ」
「……はい。あの、ありがとうございます。連れてきてくれて」
声で女性だとバレないように、わたしはアイビーのそばで、こそこそと小さな声量で話す。
アイビーは少しだけ身をかがめて、そんなわたしの声に耳を傾けてくれる。
周囲にいたひとびとは、灯篭への点火を見届けると、散り散りに屋台や酒場へと向かっていく。
酔っ払っていい気分になった男性たちの、低くも楽しげな笑い声が、夕闇の空に響いているようだった。
ひとの波が引いてきても、わたしとアイビーはしばらく広場の端っこで、灯篭を眺めていた。
けれどもわたしたちのあいだに、冷たい夜風が吹き抜ける。
「冷えてきたね。じゃあ、そろそろ――」
「帰ろうか」と促すアイビーの声に、声変わりをしたばかりに聞こえる、少年の声が被さった。
「……『魔女様』?」
アイビーは声のした方向を振り返ると、すぐにわたしをやんわりと背中に隠すようにして立ちふさがる。
通りにも置かれた、灯篭の輝きに照らされて、声の主の顔の半分ほどが、光を受けて薄暗がりに浮かび上がる。
わたしが彼の名前を呼ぶよりも先に、アイビーがたしなめるように少年の名を呼んだ。
「ジョシュア、感心しないな。ここで不用意にその名前を出してはいけないよ」
「――す、すいません、アイビーさん。ごめんなさい、おどろかせるつもりは、ぜんぜんなくて……」
ジョシュア。その名前と顔を忘れようはずもない。
彼はわたしに――「魔女」に侍っていた花の騎士のひとりだったのだから。
鼻の上あたりにそばかすが散った、巻き毛のジョシュアは、わたしの記憶が正しければ、今年で一六歳。花の騎士の中では最年少だったはずだ。
まだ男性的な雄々しさよりも、愛らしいあどけなさの残る幼い顔立ちが、気まずそうにわたしを見る。
そんな表情を見ると、どうしてもあの日のことを思い出してしまう。
「あの、その……ええと……お、お元気そうでよかったです」
「えっと、あなたも……」
「あ、はい。お陰様で。それで、あの――今からお帰りになるところですか?」
「そうだ。あまり外に出しておくのがよくないことは、わかっているね?」
ジョシュアのその問いには、わたしに代わってアイビーが答えた。
ジョシュアはアイビーのその答えを聞いて、少しあわてた様子で、必死な目でわたしを見る。
わたしは、なぜジョシュアがそんな顔をするのかわからず、居心地の悪い思いをした。
「ど、どうしてもお伝えしたいことがありまして……!」
ジョシュアの言葉に、わたしは自然と肩の筋肉に力が入るのがわかった。
けれども、もしジョシュアが……たとえばわたしに恨み言とかがあるのであれば、それはきちんと受け止めるべきではないだろうか。
わたしは彼が侍ってくれることに対してとくに考えを巡らせることもせず、きっと苦痛をしいたのだろうから。
わたしは神妙な顔でジョシュアの続く言葉を待った。
「――ありがとうございました! ……結局、これをお伝えする機会がなくて、それだけがどうしても心残りになっていて……」
……ジョシュアの言葉はあまりにも予想外だったので、わたしは一瞬、頭の中が真っ白になって固まってしまった。




