(1)
「――なあ、お前はこのあとどうするんだよ? 『魔女様』のハーレムに入ったまま?」
「そんなわけないだろ。別に好きな相手でもないのに……」
「だよなー」
軽口を叩き合うような調子で、決まりきったことを確認する温度で、彼らはそう笑い合っていた。
わたしはそんな彼らのやり取りを偶然にも聞いてしまい、その場に足を縫いつけられたかのように固まってしまった。
彼らの言う「魔女様」とはまぎれもなく、わたしのことだ。
異世界から春の国へとやってきた、「魔女様」。
彼らに――花の騎士たちに力を与える、「魔女様」。
そのために花の騎士たちを……侍らせている、「魔女様」。
氷皇帝の危機に晒された春の国を救った、花の騎士たち。
無事に氷皇帝を退け、遠征から帰還した彼らを迎えるべく、足早に王宮を飛び出したわたしの行動は、たぶん間違っていたのだろう。
「――え?! 魔女様?!」
だって、わたしが彼らをできるだけ早く迎えたいだなんて、驕った考えを持っていなければ、こんな気まずそうな顔をさせることもなかった。
「……みなさん、お帰りなさい。無事で、よかったです」
わたしが微笑んでねぎらいの言葉をかけても、彼らは硬い笑みを浮かべるばかり。
さきほどのやり取りをわたしに聞かれたことを、彼らはわかっているのだ。
……氷皇帝という名の、いわば災害に晒された春の国を救うべく、主神たる春の女神の力によって召喚された「魔女」。それがわたし。
元の世界へ帰れないのだと知らされて、わずかばかりの動揺や切なさを覚えても、郷愁がかき立てられることはなかった。
魔女の条件。それは「その世界でだれからも必要とされていない人間」であること。
そんな人間を外からこの世界へ連れてくる際に、春の女神は加護を付与することができるのだと聞かされた。
正直その論理だとか、機序はわたしにはぴんとこなかった。
神代からの様々な誓約や制約があり、主神たる春の女神は、この世界の人間へ直接力を分け与えることはできないので、こうして別の世界から人間を連れてくることでしか、その加護を与えることができないようになっているのだそうだ。
異世界の人間を連れてくる――というのは、いわば誓約の抜け穴なのだろう。
一八歳の、たいして賢くもない小娘に理解できたのは、そこまでだった。
わたしは、だれにも必要とされていなかった。だから、この異世界に喚ぶことができた。
けれども、この異世界はわたしを必要としてくれている――。
春の国、春の女神、氷皇帝、花の騎士……。
矢継ぎ早に固有名詞を詰め込まれたわたしに待っていたのは、「魔女」としての好待遇だった。
しかしその好待遇を受け続けるためには、「魔女」として仕事をなさねばならないこともまた、わたしは教えられた。
神話に謳われる古の「魔女」は、共寝によって戦士である男たちに力を与えたという。
共寝というのは本当に字義通り「いっしょに寝る」以上の意味はなく、性的なあれこれをする必要はないと明言されて、わたしはほっとした。
それでも、もちろん抵抗感や拒否感はあった。
春の女神の力を分け与えるためとは言えども、ほぼ初対面の異性とベッドを同じくする……。
抵抗感を抱かない人間は、間違いなく少数派だろう。
それでもわたしは、その抵抗感を押し殺し、乗り越えた。
わたしが抱いた葛藤や煩悶は、そんな一文で片づけられる。
でも、わたしはもう元の世界に帰れないし、この世界で「魔女」として生きる以外に、わたしに――価値はない。
だからわたしは彼らと――花の騎士と呼ばれる彼らと、何度も共寝をした。
彼らはおしなべて紳士的で、決してわたしを粗雑に扱うことはせず、また性的な接触も一度として、一切しなかった。
それはわたしが氷皇帝を退けられる力を与えられる「魔女」だからだろうということは、理解していたつもりだった。
……わたしにとって、都合のいい世界。この世界のひとたちにとって、都合のいいわたし……。
そんなことは、ちゃんと理解していた。……つもりだった。
「春の国が平和になって、よかったです」
その名の通り本来であれば常春であるこの国に、あたたかな日差しが戻った。
王宮外苑の庭に植えられた花々は、色とりどりの花弁を開かせて、久方ぶりの太陽を喜んでいるように見えた。
薄雲が散りながらも、抜けるように爽やかな青空が頭上に広がっていたが、わたしの心の中には重苦しい雨雲が垂れこめているかのようだった。
そしてわたしの目の前にいる、砂ぼこりや泥で汚れた旅装の花の騎士たちもまた、晴れない顔をしている。
花の騎士たちは、気まずげな顔を見せても、決して言い訳がましい弁明などはしなかった。
それが、彼らの答えであり、本心なのだろう。
そろって見目麗しい花の騎士たちにそばに侍られて、下にも置かない態度を取られて、優しくされて……舞い上がらなかったかと問われれば、否定するのは苦しい。
優しくされてうれしかった。ひとりの人間として扱われてうれしかった。必要とされてうれしかった。
これまで優しいひとなんていなかあった。わたしを人間として扱ってくれたひとはいなかった。わたしを必要とするひとはいなかった。だから。
――そうして舞い上がった結果が、今の状況を招いたのだ。
「――お出迎えありがとうございます、魔女様」
互いに探るように、押しつけ合うように視線を交わし合っていた彼らをかき分けて、一歩、わたしに近づく花の騎士が現れる。
彼――アイビーは、秀麗な容貌に微笑をたたえ、右手を胸にあててわたしへ向かい、優雅にお辞儀をする。
わたしはそんなアイビーに微笑み返す。
もしかしたら、それはぎこちなかったかもしれない。
けれどもここで怒ったり、泣きわめいたりするのはなんだか違うなと思ったし、特別そうする気も起きなかったので、わたしはアイビーに倣って微笑んだ。
「礼を言うのはこちらです。命を懸けたのは、みなさんのほうなんですから」
「いいえ。魔女様がいなければ、この勝利は得られなかったでしょう」
「わたしは、ちょっとみなさんのお手伝いをしただけですから」
ベッドを共にして、寝物語を聞かせてくれた花の騎士たちの顔をそれぞれ見やる。
わたしは、決して今みたいな、気まずそうな顔をして欲しいと思ったことはない。
けれども、彼らの今の表情を作っている原因は、間違いなくわたしの軽率な行いなわけで。
「とにかく……みなさんが無事でよかったです」
だれもわたしに好意なんて抱いていなかった。
それでも、花の騎士たちがそろって無事に帰ってきてくれたことに、ほっと安堵したのは嘘じゃない。
今は、その気持ちを大事にしたかった。
「本当に、よかった……。――あ、ここで足止めしてしまってすいません」
「いえ、一番に魔女様のお顔を見れてうれしかったですよ」
――今、ここでそんな皮肉めいたことを言うんだ。
わたしは一瞬だけ目を丸くしてしまったが、すぐに微笑みに隠すようにまぶたを少しだけ伏せる。
そんなわたしに、花の騎士たちの中で、アイビーだけが優美な微笑みを向けてくる。
「魔女様――いえ、ノノカ様」
乃々花。久方ぶりに本名を呼ばれて、わたしは思わず肩の筋肉に力が入る。
この異世界にきてからは、もっぱら「魔女様」と呼ばれてきた。
もちろん、わたしのことを名前で呼んでくれるひとがいなかったわけじゃないけれども、アイビーから「乃々花」と呼ばれたのは、記憶している限りでは初めてのことだった。
「私は、氷皇帝退治の褒賞に一軒家を所望しようと思っていまして」
「は、はい……」
なぜアイビーがわたしにそんなことを言うのか、さっぱりわからなかった。
「ぜひ、そのお話は陛下に……」
「はい、もちろん。それでノノカ様、もしこのあと『魔女』の任を終えて城を出られるのでしたら……私の家で同棲しませんか? 結婚を前提に」
わたしは、今度こそ目をまん丸にした。