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ハルノアシオト  作者: くにすらもに
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第一章 朝

第一章 朝




— マコト — 


 

 エンジンを止めると、視界があっという間に真っ白に覆われた。それもすぐさま洗い流される。ゲートが前後する度にまるで自分自身が動いているような錯覚に陥る。目の前に掃除機のヘッドのようなものが下りてきてぶつかりはしないかと心配になるが、風を吹き付けながら一定の距離を保って形状に沿って動いていく様は見事だ。散らばっていた水滴が意思を持ったようにまとまりながら上へ上へと動いていき、やがて視界から消えていく。


 他にやることもなく身動きも取れない状態で機械音だけに包まれ、その工程をぼうっと眺めるだけのこの時間は割と好きだ。手持ち無沙汰になると無意識に携帯電話を手に取り、用もないのに触り続けてしまう。そんな日常を、この時間だけは意識的にやめておこうと決めていた。単純にちょっとしたアトラクション気分を味わいたいだけなのかもしれない。


 洗車は曇りの日が最適だ。拭き上げる前に蒸発して跡が残ってしまう心配がない。ここ最近、はっきりしない天気が続いていた。本格的な寒さになる前にと、いつになく早く起きて街に繰り出していた。





— レ イ — 

 


 近所のコンビニの入口の前に描かれた短い横断歩道を歩く。入口の横に置かれた段ボールが目に留まり、立ち止まった。今までも置いてあったかなと思いながら近づくと、中に猫が丸まっているのが見えた。


 ダークグレーのキジトラ柄のその猫は、視線に気がつくとこちらに顔を向け甘えるような声で鳴き、再び目を閉じ丸まった。しゃがみ込んで額を撫でると、顔を上げ気持ちよさそうにしている。出入りする客の視線が気になり、手を離して立ち上がると、猫は短くひと鳴きしてまた丸まってしまった。


「さっむ……」


 猫のように丸まりながら、ぼんやりと昨日の出来事を思い出していた。

 布団からなかなか出られず、淡く光る携帯電話の画面を眺める。いつものようにメッセージを送ってみたが、返信はない。何度目かのアラームのスヌーズを止め、仕方なく布団を剥ぎ起き上がる。つま先が触れたフローリングの冷たさに、慌ててスリッパを探し足を突っ込んだ。


 ブルーの髪色に合わせて、セットアップとスニーカーを選ぶ。アウターとバッグはこれでいい。どちらも手に持ったまま家を出た。最近お気に入りのサングラスは、陽射しがあろうとなかろうと欠かさず掛けることにしている。


 あの猫は今日も段ボールの中で丸まっているだろうか。ダークグレーの空を見上げながらダウンジャケットを羽織り、街に繰り出した。





— ジュン — 

 



 一人暮らしの大学生にはお誂え向きといった風情のアパート。その一室のインターホンを押す。


 ワンルームの部屋が並ぶ二階建ての木造アパートは、築年数は経っているもののデザインが前衛的で、出来上がった当時は人気があったのだろうと窺える。今となってはこの灰色に染まった空にぴったりな色褪せた外観で、大学へのアクセスの良さを差し引けばすべての部屋が埋まることはないのではないかと余計な心配をしてしまう。


 今日は朝から暇を持て余していた。お腹を満たそうにもひとりでは外に出る気が起きず、ナナセを誘ってみようと電話をかけてみたが、出ない。そもそも、今まで電話をかけても出た試しがあっただろうか。何のための携帯電話なんだと小言のひとつも言いたくなる。


 ひとりで部屋に籠っているに違いないと踏んで、直接アパートに押しかけてみることにしたのだ。外を歩くのに不審がられない程度には身なりを整えやってきたのだが、呼び出しても一向に顔を出さない。ノックをしたドアに顔を近づけ耳を澄ませてみたが、人の気配すら感じられない。そこまで読書に没頭しているとも思えず、あらゆる可能性を排除した上で珍しく外出しているのだろうと結論づけ、仕方がないのでひとりで街へ繰り出すことにした。





— ハ ル — 

 


 オレンジ色に灯った小窓を覗き込み、その瞬間をじっと待つ。綺麗に焼き上がる一瞬を見極めるための大事な時間だ。パンには何も塗らない。小麦の香りとほんのりとした甘さを味わいたかった。

 朝の小さな愉しみだった。それが今日はこの有り様だ。もはや朝食ですらない時間に起きてきて、パンを切らしていることに気づき落胆した。


 少し離れたところにある、馴染みのパン屋の四枚切り食パン。前にも一度買い忘れて他で買ってきたことがあったが、どうにも物足りなくて、それ以来浮気はしないと決めていた。玄関の方に目をやり、今すぐ誰かがあの食パンを手に持って顔を出さないかなぁ、とありえない期待をして、ふっと息をついた。両親はすでに出かけてしまっているようだ。二人揃ってご飯派だった。


「しょうがないなぁ」


 昨日の自分に呆れ返る。服はその辺にあるものを適当に手に取って着るだけ。寝ぐせはほとんどつかないから髪もそのままでいい。財布と携帯電話だけを手に取り、そのままポケットに突っ込んだ。


「いってきまーす」


 誰もいない家に感情のない声を残して、街に繰り出した。

 歩くのに気持ちいいと思えるような青空はどこにも見当たらず、端から端までみっちりと雲が詰まっている。雨が降らないことを祈って、少し足早に歩を進めた。






— ナナセ — 

 


 大学とアパートの往復以外はコンビニに寄るくらいで、普段はほとんど出歩くことがない。空いている時間は部屋で本を読む。それで十分だった。友人がいないわけではないが、ただでさえ人と話すのは面倒で、愛想を振りまくのも億劫だ。ましてや相手の表情がわからない電話は特に苦手だった。


 朝起きてふと鏡に目をやると、伸びきってまとまりのない髪にうんざりした。そういえば最後に髪を切ったのはいつだっただろうか。仕方がない、と苦手な電話に手を伸ばす。


「お電話ありがとうございます。美容室〇〇です」

 軽快な応対に緊張しながら恐る恐る尋ねると、たまたま今日キャンセルが出たとのこと。そうなるとせっかく出かけるのだから本屋や古着屋にも顔を出そうと思い、予約の時間より早めに街へ繰り出すことにした。


 玄関のドアを開けると、目の前に広がる北の空はどんよりと黒ずんだ雲で埋め尽くされている。反対側の窓から見える南の空は青々として、真っ白な雲が気持ちよさそうに浮かんでいたのに。


「またか……」


 頭の上を見上げればどっちつかずの空模様だ。この辺りはいつもこんな様子で、天気の境目になることが多い。今日の天気はどっちに転ぶだろうと、小さく息をついて鍵をかけた。





— ユ キ — 

 


 短いバイブレーションと同時に、メッセージのポップアップが表示される。


〈今、何してる?〉


 見てしまったことを後悔した。今これを開くかどうか、躊躇ってしまう。たかがメッセージひとつ、無視すればいいだけのこと。そう簡単に割り切ることが出来ればどれだけ楽だろう。


 自分の用件を先に言うのが筋ってものじゃないのか。でもそんな理屈が通用する相手ではない。言いたいことは分かっている。どうせ暇なんだから付き合ってよ、そう誘ってきているのだ。


 今日に限って断る理由も見当たらず、それを考えるのも面倒になり、ほとんど観念してメッセージを開いた。既読がついたからだろう。間髪入れずにさらなるメッセージが届いた。


〈どっか行こうよ〉


 案の定の誘いに、長く息を吐いた。ほとんどの観念はこの時点ですでに、完全な観念へと変わっていた。いっそ出掛けるのなら自分の買い物に付き合わせよう。そう切り替えることにしたのだ。いつだってこうして、レイの思い通りだ。


 いつものように派手な髪色に派手な服を合わせ、ただでさえスタイルが良く目立つ存在なのに余計に目を引いているレイを拾って、街へと繰り出した。簡単な挨拶を交わすとまるで自分の車のようにオーディオを操作し、あっという間に自分の携帯電話と繋いで好きな音楽をかけ首を振っている。


 低く立ち込めた雲を眺める。これでもし天気が良かったら、思い付きでこのまま遠出させられていたかもしれないな。ろくに会話もなく行き先もはっきりしないまま、とりあえず車を走らせた。


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