第五十四話 ぼっちと友達⑦
陣地に帰ると、牧村が焦った様子で話しかけてきた。
「ましろと國乃見なかったか?もうそろそろ準備しないといけないってのに、どこにもいないんだよ」
見れば、今行われている競技も終盤に差し掛かっている。
それが終われば、若干の休憩時間を挟んだ後、すぐにクラス対抗リレーが始まる。
出るのなら、もう準備していなければ遅いくらいだ。
だが、アリスと眞城が仲直りした今、わざわざアリスがリレーに出る必要はないように思えた。
二人三脚でアリスが相当無理をして出ていたのは知っている。
それとは比較にならないほど注目されるリレーに出たところでうまくいくとは思えない。
失敗して白い目で見られるくらいなら、棄権して、別の人に走ってもらったほうがいい。
たとえそれで非難されることがあっても、眞城がいれば何とでもなるはずだ。
考え込んでいた俺に、牧村が唐突に言った。
「國乃と喧嘩でもしたか?」
思わず牧村の顔を見る。
そんな俺の反応を見た牧村は、「やっぱりな」とため息をついた。
「今日のお前らの様子、ちょっとおかしかったしな。ったく、普段あれだけ仲いいくせに、なんでこんな時に限って喧嘩なんかするんだか」
「別に、仲良くなんか」
言い切る前に、牧村に遮られる。
「それ、國乃の前では言うなよ?こっちは仲いいって思ってるのに、相手に仲良くないなんて言われたら、ただ辛いだけなんだからな。どうしていいかわからなくなる」
その言葉に何も言い返すことができなかった。
「ともかく、急いで探しに行かないとな。ほら、行こうぜ」
そう言って牧村は俺の肩を掴んで無理やり引っ張っていこうとするが、後ろから声をかけられて止まる。
「兄さん!さっき、アリスちゃんと眞城さんが走って……」
焦った様子の奈々衣は、俺の顔を見るなり何かに気付いたように言葉を切った。
そして、俺の目の前まで来ると、周りの目など気にする様子もなく、両手で俺の頬を掴んで左右に引っ張ってくる。
「アリスちゃんに何を言ったんですか?」
もはやそれ以外にはないと言うように、迷いなくはっきりとそう聞いてくる奈々衣。
頬を掴む手に力を込められて、じんじんと痛みが広がった。
「へふひ、はひほ……」
「言い訳は聞きたくありません。どうせ友達にならないとか、仲良くなんかないとか、そんなことを言ったんでしょう?」
図星だった。
そしてそれは奈々衣には簡単に伝わってしまう。
ふぅ、とため息をついた奈々衣は、俺の頬から手を離して、ゆっくりと言い聞かせるように言葉を紡いだ。
「人前に出るのが苦手なアリスちゃんがどうして体育祭を頑張ろうとしていたのか、兄さんは知っていますか?」
眞城との誤解を解くため。
リレーで優勝して見返すため。
そして、夢に近づくため。
奈々衣は首を振る。
まるで俺の考えたことをわかっていて否定するように。
「やっぱりわかってなかったんですね」
「じゃあ、何のためだって言うんだよ」
すると奈々衣は、俺の目を見ながらはっきりと言った。
「兄さんのためですよ」
奈々衣の言葉に、頭の中が空っぽになった。
「自分のために頑張ってくれた兄さんに恥をかかせたくないから。たくさん応援してくれた兄さんにいいところを見せたいから。兄さんが本当は凄い人なんだってみんなに知ってほしいから。アリスちゃんは、そういう想いで頑張ってたんです」
奈々衣の言葉が何もない頭の中にすっと入りこんでくる。
でも、だからこそ理解できなかった。
「……なんで、そんな」
「簡単なことですよ」
少しだけ間をおいて、奈々衣は微笑んだ。
「アリスちゃんにとっては、自分のために頑張るよりも、兄さんのために頑張る方が大事だったってだけなんですから」
言葉で頭を殴られたような気分だった。
アリスがどれだけ頑張っていたのかなんて、今更思い出すまでもない。
苦手な眞城と向き合って、徐々に話せるようになって、たくさん練習を重ねて、朝も夜も走り回って、段々速く走れるようになって。
苦しくて逃げ出したいと思ったこともあったはずだ。
うまくいかなくて泣いている姿を見たのも一度や二度じゃない。
でも、その度にアリスは立ち上がって、真正面から向き合っていた。
それは全て自分の夢を叶えるためだったはずだ。
友達を千人作るという夢を叶えるためのものだったはずだ。
それが違うと言うのなら。
奈々衣の言うように、その努力が俺に向けられたものだったというのなら。
手助けすると言いながら、応援すると言いながら、頑張れと言いながら。
俺は、アリスの努力を全て否定したのだ。
友達にならないという、そんなちっぽけな一言だけで。
くだらないプライドのために、アリスの努力を踏みにじって、気持ちを、心を傷つけた。
とんでもない、クズ野郎じゃないか……。
「アリスちゃんの、兄さんと友達になりたいっていう気持ちは、アリスちゃんだけのものです。それを否定することは誰にもできませんよ。アリスちゃんは兄さんのことを見て、話して、友達になりたいって思った。それだけで十分です。アリスちゃんにそれを教えたのは、他でもない、兄さんですよ?」
奈々衣が俺の頭に手を乗せて、優しく撫でてくる。
「もういいじゃないですか。兄さんは真面目に考えすぎなんです。友達だとか友達じゃないだとか、そんな言葉で縛らなくたって、一緒にいたいって気持ちがあればそれだけでいいんですよ。兄さんは、アリスちゃんと一緒にいて楽しくありませんでしたか?」
俺が何を言ったところで奈々衣は見透かしてしまう。
俺が何を考えているのかなんて、ずっと一緒に過ごしてきたこの優しい妹にはわかってしまう。
嘘を吐く意味も、取り繕う必要もない。
そんなこと、聞かれるまでもなく自分が一番よくわかっている。
「……いつから俺は、妹に説教されるような情けない兄貴になったんだろうな」
「たまにはお説教でもさせてくれないと、妹もやりがいがありませんから」
「やりがいのある妹って何だよ」
ぐりぐりと頭を撫で返してやると、奈々衣はくすぐったそうに笑った。
さっきまで胸の中で漂っていたもやは、いつの間にかどこかへと消え去っていた。
妹にちょっと叱られたくらいで反省してしまうのだから、俺も存外単純な奴だ。
「アリスを探しに行く。手伝ってくれ」
俺の言葉に、奈々衣も牧村も頷いてくれた。




