第四十八話 ぼっちと友達③
待機場所につくと、待ち時間の間に俺の左足とアリスの右足を紐で結ぶ。
そうしている間にも、同じく待機していた知らない生徒数人がアリスに話しかけてきた。
本人は受け答えしている余裕はなさそうだったので俺が適当にあしらっていたのだが、どれもこれも俺とアリスの関係だったり眞城との噂を誇張したものだったりと下世話なものばかりで辟易してしまった。
俺たちの二つ前の組が呼ばれ、いよいよと言ったところでアリスが小さな声で話しかけてきた。
「……ごめんなさい、先輩」
「なんだこんな時に」
「いえ、その……」
ぼうっとしていたようで、一応周りは見えていたらしい。
アリスが何を言おうとしているかわかったので話を逸らす。
「そんなことよりも今は競技に集中しろ」
頷くアリスだったがいまいち集中しきれていない。
相手を思いやれるその気持ちは大変美徳だが、何もこんな時に発揮しないでほしい。
アリスらしいと言えばアリスらしいが。
仕方ないので、気を逸らすために練習してきた内容を確認させるように口にする。
「最初に出す足はどっちだ?」
「えっと、縛ってない方の足、です」
「そうだ。最初から急ぐ必要はないからな。ゆっくり走り出して、徐々に慣らしていけばいい。あれだけ練習したんだから、絶対大丈夫だ」
「はい」
アリスが返事をするのと同時に名前を呼ばれる。
俺の心臓も一際大きく跳ねあがり、体に緊張が走った。
散々アリスに大丈夫か聞いておきながら、俺自身も人のことを言えないくらいのビビりだったことを今更になって思い出してなんだか笑えた。
だが、鼓動が聞こえそうなほどガチガチに緊張しているアリスを見て冷静になる。
今この競技において活躍する必要はない。
勝つことは二の次で、普通に走り切ることだけ考えればいい。
それが俺たちにとってのベストだ。
係員の「位置について」と言う言葉で時が止まる。
俺の体を掴むアリスの手に力がこもった。
それに応えるようにアリスの肩を強く抱くと、前触れもなく空砲が鳴り響く。
身体が自然と前に動いた。
だが、足を踏み出そうとしたその瞬間、俺たちはこけた。
それはもう盛大にこけた。
俺もアリスも同じ右足を出そうとしたからだ。
すぐさま体勢を立て直そうとするが、アリスが立ち上がろうとしない。
こけてしまったという事実と、大勢に見られているというこの状況も相まって、アリスは混乱しているようだった。
きょろきょろと落ち着きなく周囲を見回し、声をかけても聞こえていないかのように反応すらしない。
そして、すぐに耳障りなざわめきが方々から俺達に――アリスに向けられる。
当然何を言っているのかなんて聞き取れない。
ただ、笑うような声が多く混じっているのだけはわかった。
それを聞いて、俺自身よくわからない、何か熱く震えるようなものが胸の内に込み上げてくる。
焦りとも違うそれは、俺の体を勝手に突き動かした。
「こっちを見ろ!」
右手でアリスの顔を掴んで強引にこちらを向かせる。
泳いでいた青い瞳が俺を捉えると、二度三度と瞬きを繰り返す。
「あ、あたしっ」
「いいから。とりあえず立ち上がるぞ」
お互いに支え合いながら徐々に体を起こす。
体勢を立て直したのを確認して、再び声をかける。
「目を閉じて、俺の声にだけ集中するんだ。深呼吸して、練習の時を思い浮かべろ。今ここには俺とお前しかいない。見ているのは眞城と牧村だけだ。他には誰もいない。何も聞こえない」
大きく息を吸い、吐き出したのを確認して、続ける。
「いいか、まずは縛ってない足からだ。いくぞ、いち」
今度は間違えることなくアリスは左足を前に出す。
目を閉じたまま、俺の声にだけ耳を傾け続ける。
「に」
次は縛っている方の足。
「いち」
縛ってない方。
「に」
縛っている方。
最初はゆっくり歩くような速度で、一歩一歩踏み出すごとに速くしていく。
風が生まれて髪を乱すくらいの速さになると、駆けているという実感が生まれて心地よい感覚が全身を巡っていった。
何度も何度も練習してきたことを、何の面白みもなくただ繰り返す。
掛け声に合わせて足を前に踏み出すだけ。
そうするだけで、ゴールは向こうから勝手に近づいてきてくれる。
無我夢中で走っていると、百メートルはあっという間に過ぎ去っていった。
ゴールテープを切り、走る勢いが衰えてきたところで係員が赤い旗を持って駆けてくる。
その旗には大きく〝3〟と書かれていた。
五ペア中三位。中盤でこけたペアと、普通に遅かったペアを抜いてのゴールだった。
最初に転んだことを考えると、奮闘したと言っていいだろう。
いい成績と言うわけではないが、悪い成績と言うわけでもない。普通。
とりあえずビリにならなかっただけでも御の字だ。
「三位だぞ。やったな、アリス」
いつの間にかへたり込んでいたアリスにそう声をかけてみるが、俯いたまま顔を上げようとしない。
横からのぞき込むと、地面についた両の手のひらにぽとぽとと雫が落ちるのが見えた。
「……嬉し泣きは陣地に戻ってからにしろよ。目立ってしょうがないぞ」
それが喜びからくる涙じゃないことには気付いていたが、軽い感じでそう声をかけた。
その言葉にアリスはただ一言、
「……ごめん、なさい」
そう零すだけだった。




