第三話 ぼっちと便所飯③
とても正直に答えられる雰囲気ではなかった。
「く、國乃こそ、どうしてここにいるんだ?」
苦し紛れに質問で返すと、國乃は明らかに動揺したように視線をさ迷わせた。
「え!?わ、私は、その、あれですよ、あれ、えっとぉ……」
どもる國乃。そりゃ言えないだろう。
堂々と便所飯してましたなんて俺だったら恥ずかしくて言えない。
それがクラスメイトだったらなおさら口が裂けても言いたくない。
なんにしても、國乃には俺に便所飯をしていたことを知られたという確証はないらしい。
でもそれなら好都合だ。言い訳次第で逃げられるかもしれない。一応俺には立派な大義名分もある。
「俺は担任に國乃を呼んできてほしいって頼まれてさ。國乃が旧校舎に入って行くところを偶然見かけたから追ってきたんだ。もしかして迷ったんじゃないかと思って」
逃げ道を作ってやると、あっさりと國乃は食いついてくる。
「そ、そうなんですよ!まだちょっと学校の中がどうなっているのかわからなくて!」
「やっぱりな。ここは授業で使うこともないし、かなり古い建物みたいだからあんまり近づかないほうがいいぞ。ほら、こんな風になるかもしれないし」
そう言って穴にはまっている足を示すと、それを見て國乃は「あ、ほんとですね」と笑顔を浮かべた。
それと同時に、さっきまで國乃の背後に漂っていたどす黒い気もどこかへ消え去っている。
どうやら便所飯のことを知られてはいないと判断してくれたらしい。
これでいい。これでいいんだ。知らなくていいことは世界にいくらでもある。
クラスメイトが便所で飯を食っていたなんてのはその最たるところだろう。
今回のことは、國乃にとっては知られていないと思っているほうが幸せだ。
安心しろ國乃。お前が便所で飯を食っていたという事実は墓場まで持って行ってやる。
多分一週間後くらいには忘れてるだろうけど。
警戒を解いた國乃がゆっくりと俺の方に近づいてくる。
「わかりました。これからは近づかないようにしますね」
そんなことを言いながら手を差し伸べてきた。
どうやら助けてくれようとしているらしい。
小さくて白い、傷一つない綺麗な手が俺の方に伸びる。
「…………」
だが、俺はその手を取るのを躊躇った。躊躇ってしまった。
だって仕方ないじゃない。
いくら綺麗な手だっていっても、さっきまで便所で飯食ってた手だもの。
洗ったかどうかもわかんないし、普通に触りたくない。
でも、それが間違いだったんだろう。
俺が躊躇ったのを見て、國乃が体をぴくっと反応させる。
目元には暗い影が落ち表情は伺えないが、少なくともさっき見せていた笑顔はもうどこにもなかった。
そして、手を差し出した姿勢のまま、どこか底冷えのするような低い声で言う。
「……織羽志さん。今、どうして私の手を取るのを躊躇ったんですか?」
「え?いや、それは……そう、女の子の手とか触ったことないから緊張しちゃって」
「そうだったんですか。でも私なら大丈夫ですよ。そういうの気にしませんから。ほら」
國乃は再び俺の手を掴もうと手を伸ばしてくるが、反射的に避けてしまう。
まったくもう、俺の体ったらほんと正直なんだから。
「……」
「……」
再び訪れた沈黙はさっきより数段重い。
食べてもいないのに胃に物を詰め込まれたような息苦しさを感じる。
すると、しびれを切らしたらしい國乃は躊躇なく俺の手首を掴んできた。
「ひぃっ」
「ちゃんと洗ったので大丈夫ですよ」
「あ、なんだ。それなら……」
「…………」
やっちまったなぁ。こんな安い誘導に引っかかるなんて俺も大概馬鹿らしい。
「まぁ待て國乃。これ以上はやめておかないか?こんな話を続けたところで俺にとってもお前にとっても何の得にもならない。俺は何も見てないし、お前は何も見られていない。ここには最初から誰もいなかった。それでいいじゃないか」
半ば國乃がここで何をしていたか知っていると白状しているようなものだったが、國乃は何も答えてくれない。
答えないかわりに、俺の手を掴んでいる手とは逆の手のひらを上に向けて、小指から順番にゆっくりと握りこんで拳の形にしていく。
「あの、國乃さん?手は握るためじゃなくて繋ぐためにあるんですよ?」
無駄だとわかっていながらそんなことを言った次の瞬間、國乃は大声で叫びながら拳を躊躇なく振り下ろしてきた。
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
「ちょ、待て、いきなりなんだお前!」
超至近距離から放たれる拳を体を逸らして避ける。
気合の割にヒョロヒョロパンチだったので簡単に避けることができた。
だが、それでは当然収まらなかったようで、國乃は目に大粒の涙を浮かべながら何度も殴りかかってくる。
逃げようにも腕は掴まれているわ足は壊れた床に挟まれただわで動くことができない。