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虚像のゆりかご  作者: 丹㑚仁戻
第二章 橘椿
7/30

〈二〉首を切られた男

 二十日、午前――

 普段は落ち着いた雰囲気のその街は、早朝から物々しい空気に包まれていた。荒川沿いにある倉庫で男性の遺体が発見されたのだ。


「やっぱ殺人ですかねぇ」


 尾城雅紀(まさき)が言うと、河野慎之助(しんのすけ)は「まだ現場を見てもないだろ」と若い刑事を窘めた。


「だってこんな場所っすよ? 中見なくても普通は一人で来ないとこだって分か――……すみません、気を付けます」


 鋭い眼光に睨まれて、尾城は慌てて言葉を切った。

 壮年の河野のそれには迫力がある。そんな目で睨まれたら萎縮してしまうし、何よりその視線に込められた言葉も浮かんでしまうのだから襟を正すしかない。

 よく調べもせずに印象だけで決めつけるな――何度も河野から注意されている尾城の悪い癖だ。印象が大事なこともあるが、だからと言ってそれだけで視野を狭めるなと言いたいらしい。


「――まあ、確かにただの事故には見えないわな」


 倉庫の中に足を踏み入れて、河野は先程の尾城の言葉に同意するように呟いた。

 そこは倉庫らしくそこかしこに物が置かれていたが、遺体の側は割合開けていた。周囲には仮に転んで倒れ込んだとしても死の原因となりそうなものはない上に、遺体の周りには足跡がいくつも残っている。それだけでは事故ではないとは言い難かったが、遺体から少し離れたところにある血溜まりが、これが事故ではないと訴えかけてくるようだった。


「ええと……検死待ちですが、死因は頸部からの出血によるものの可能性が高いみたいですね。何で切ったかはまだそれらしいものが見つかっていませんが、あの窓のあたりで切ったのはほぼ間違いないでしょう」


 自分が受けた報告内容を河野に伝えながら、尾城は窓の方に視線を向けた。本来倉庫内と外を区切るはずの窓は、ガラスが割れてあまり残っていないせいでもうその役目は果たせないだろう。窓枠にガラスが嵌められているというより、窓枠からところどころ割れたガラスが生えていると表現した方が近い状態だ。そしてその窓枠の下の方から大量の血液が流れた形跡があり、窓の下に血溜まりを作っている。

 更にその血溜まりから遺体のある場所まで、何かを引きずったような跡があった。最初はどちらの方向に進むか迷ったのか、窓枠に近いところは何度か方向転換をしたような形跡がある。

 跡は遺体の下から伸びていることから、この人物が負傷した後に自力でここまで這ったか、何者かに引き摺られたのだろう。


「自分でここまで来たんですかね?」


 尾城が遺体を見つめながら言えば、河野が「どうだろうな」と呟いた。


「ガイシャの両手は血で真っ赤だが、地面に手の跡が見当たらない」

「でも匍匐前進する時って、手は顔の前の方に来ません? 身体で隠れちゃってるのかも」

「だとしても肘の跡くらいは付くだろ? 手のひら程じゃないが血も付いてるしな。第一、這っている途中で力尽きたなら腕はお前の言うとおり顔の前だ。身体の横にあるのは変じゃねぇか」

「それはそうですけど……」


 今河野が言ったことは、尾城も気が付いていた。身体の横で伸ばされた腕は少し肩を開いた状態で、これも何者かが両脇に手を入れて運んだと考えればおかしくはない。

 だが尾城がそれ以外の可能性を先に考えたのは、遺体の周りに残された不自然な靴跡のせいだった。


「脇を持って引き摺ったなら、体格にもよると思いますけど、足跡は遺体の両側を跨ぐような形で残りますよね? でもそれらしき足跡はないですよ」

「そんなもん消したんだろ。こんだけ砂埃かぶった地面なんだからそれくらいできるだろうし」

「って思うじゃないですか? じゃあなんで遺体の周りをうろついたような足跡はそのままなんですか?」

「うざってぇ喋り方だな、んなもん知るか。単なる消し忘れか、途中で中断しなきゃいけない事情でもできたか。それか――」

「――第三者がここにいたか」


 尾城が真面目な声を作って言うと、河野は「だからうざってぇ言い方すんな」と溜息を吐いた。



 § § §



 八尾彰という名前に尾城達が辿り着いたのは、遺体発見から二日後のことだった。当日には事件現場近くのコンビニの防犯カメラに男の姿が映っていることが確認できていたが、その人物が何者かが判明するまでに時間がかかってしまったのだ。

 防犯カメラというのは画質があまり良くないものが多い。しかも今回は店内ではなく店の外を歩く姿だったため、この画像だけでは有意な外見的特徴はほとんど分からなかった。

 それでも事件発生直後と思われる時間帯にあのコンビニの前を歩いていた人物の名前が分かったのは、その人物とよく似た特徴を持つ人間が少し離れたところにある別の防犯カメラに顔ごと映っていたからだった。それらの画像を元に周囲に聞き込みを続けた結果、似た人物を見たことがあるという情報に辿り着いたのだ。


「――このアパートを出入りしている男と、この画像の男がよく似ているそうです」


 アパートの近くに止めた車の中で尾城が言うと、河野は「八尾本人か?」と片眉を上げた。


「その可能性は高いはずです。アパートの大家が言っていた八尾彰の外見にも近いですし」

「小柄な若い男なんて珍しくもなんともないだろ」

「身も蓋もないこと言わないでくださいよぉ」


 実際、防犯カメラに映っていた人物の特徴は乏しかった。顔が映っていたと言ってもぼやけていたため、別の街で聞いたら全く違う人物が浮かんでいたかもしれない。


「八尾彰っていうのは、近くの居酒屋に入り浸ってたんだったか。この画像で店員に断言されるほどってことは、相当迷惑な客なのかもな。最近来なくなったっていうのも、店員から嫌がられる気配を察したとか」

「でも一人で飲んでるだけなんでしょう? 居座れるぎりぎりの注文しかしなかったみたいですけど」


 今回、八尾に辿り着く一番の要因となったのは、遺体発見現場の隣駅にある居酒屋の店員達の証言だった。

 曰く、名前は分からないが以前毎日のように来ていた客とよく似ているとのことだった。その客はいつも一人で来て、終電間際まで居座っていたらしい。最初は目当ての店員でもいるのかと思ったが、店員同士で話題にしても心当たりのある者はいなかったそうだ。

 ただ、どういうわけかここ一ヶ月は来店していないという。それでもどの店員に聞いても同じ人物を指したため、見間違いの可能性は低いだろう。


「ま、飲む理由なんて人それぞれか。未成年じゃなけりゃ問題はないさ」

「最近はオヒトリサマっていうのも普通になってきましたしね。防犯カメラの人物と事件の関連も分かりませんし、気軽に行きましょう」

「お前が言うんじゃねぇよ」


 じゃれ合いのようなやりとりをしながら刑事二人は車を降りると、八尾の住むアパートの二階を見上げた。このアパートは築三十年程度経っているらしいが、手入れはされているのか汚さは感じられない。それでも外階段は風雨に晒され続けたせいで築年数分の劣化はしており、尾城は資料で見た家賃の安さも頷ける、と一人納得していた。


「二〇二……ここですね」


 外階段を上って廊下を少し歩けば、すぐにその部屋の前に辿り着いた。この手のアパートは壁が薄いはずだが、耳を澄ましてみても中の音は聞こえない。

 尾城は念の為もう一度部屋番号を確認すると、静かにインターフォンのボタンを押した。見たところカメラは付いていないタイプのため、応答もせずに居留守を使われる可能性は低いだろう。

 そのまま少し待つと案の定、部屋の主はきちんとインターフォンに出てくれた。そしてその後にドアの隙間から姿を現した八尾を見て、尾城は相手が未成年ではなさそうなことに胸を撫で下ろした。

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