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虚像のゆりかご  作者: 丹㑚仁戻
最終章 虚像
27/30

〈五〉虚ろな夢の醒める時

「――……父さん?」


 刑事達が見せた写真に写っていたのは、間違いなく僕の父さんだった。それも記憶の中よりも随分若い……そう、かつてあの缶の中の写真で見た、父さんの若かった頃の写真のようだ。

 どうして父さんが――僕の中の疑問がはっきりと形になる前に、河野が言葉を続けた。


「これは八尾さんのお父さんが学生の頃の写真だそうです。だからもう二十年以上前――そんなものに写っている人物が、今も同じ姿であなたの近くにいるはずないんですよ」

「いるはずないって……僕が嘘を吐いてるって言いたいんですか!? さっきまでここにいたのに! ッそうだ、娘っていうこともあるでしょう!?」

「鮫島貴子はこの写真が撮られた後すぐに事故で亡くなっています。当時彼女は未婚で、勿論子供もいません」

「そんな……」


 訳が分からなかった。この写真の女性は確かに椿なのに、河野の話だとそれは有り得ない。だけどそんなことを言われても受け入れられるはずがなかった。

 だって椿はさっきまでここにいたのだ。この写真と同じ顔で、同じワンピースを着て、僕の傍で不敵に笑っていたのだ。


「ならここにいたのは誰なんですか……!!」


 答えを求めるように僕が叫んだのに、それを見た刑事達は怪訝な顔をするだけだった。


「嘘はやめましょうと――」

「嘘じゃないんです! 本当にさっきまでここに椿はいたんです! 刑事さん達も見たでしょう!?」

「見ていません」

「……見てない?」


 何を言っているのだろう、この人は。河野の思いがけない言葉に勢いが一気に萎んでいく。

 彼の言っていることの方が有り得ないじゃないか。椿は確かにここにいた。彼らに声をかけられる直前まで、僕のすぐ傍にいたのだ。

 それを否定するということは、まさかこいつらも真犯人の仲間なんじゃ――嫌な予感が僕を襲う。震えそうになる手を必死に止めながら前を見つめれば、河野が難しい顔のまま口を開いた。


「話しかける前にしばらく様子を見ていましたが、八尾さんはずっと一人でした。だから嘘はやめましょうと言っているんです。見張りがついているのはご存知でしょう? ならそんな嘘、すぐにバレると考えれば分かるはずです」

「嘘じゃ……もし嘘ならなんで僕はこれを持ってるんですか? 椿があそこを探せと言ったから探したんです! そもそもここに来たのだって椿に案内されたから……!」


 まさか僕が見ていたのは幽霊だとでも言うのだろうか。ふと頭を過ぎった考えに思わず納得しそうになる。現実的に考えて有り得ないものの、彼女の神出鬼没さは幽霊だとかそういったものに近いのだ。

 でも、それは絶対にない。何故なら僕は椿にここまで案内された。それに本物の橘椿の家だって、彼女が僕を迎え入れたんだ。消火栓から出した鍵でドアを開けて、救急箱やコーヒーを出してくれて――


「そうだ、そうですよ、おかしいじゃないですか。僕は椿の家に行ったんです、それこそ彼女がいなければ不可能だ……!」


 彼らの考えの矛盾に戻りかけた勢いは、刑事達の顔を見て再び止まった。


「いえ、いない方が説明がつく」


 どういうことだ――訳が分からなくて、僕には相手の言葉を待つことしかできない。


「以前言ったでしょう? 橘さんの家で八尾さんが使ったというものに、あなた以外の痕跡が残っていないんです。橘さん本人の指紋は残っていますが、それ以外はあなたの指紋しかない」

「だからそれは拭いたからだって言ったじゃないか……!」


 この間否定された気もしたけれど、今はそんなこと言っていられない。だって、彼の言っていることが理解できない。


「拭いたなら橘さんの指紋も消えます。何せ彼女は一月前に亡くなっているんですから」

「じゃあ、どういう……」


 僕が問いかけようとすると、それまで静かに話していた河野の目に苛立ちが見えた気がした。


「言わなきゃ分かりませんかね。あなたが偽の橘に用意してもらったと言う救急箱もマグカップも、すべてあなた自身が用意したのではないかと言ってるんですよ」

「は……? そんなわけないじゃないか……!」


 いきなり何を言うのだろう。僕は確かにそれらを椿から受け取ったのだ。たとえ残された痕跡がそれを否定していたとしても、そんなのはいくらでも捏造できる。

 それくらい言わなくても刑事なら分かるはずなのに、まるでその可能性はゼロだと言わんばかりに河野が僕を見る目は揺るがない。彼の言っていることは僕の記憶と矛盾したデタラメなのに、そんなふうに見られれば自分が間違っている気さえしてきてしまう。


「東海林卓の発見現場もそうです。現場に残っていた足跡は一名分――あなたのものと断定できたわけではありませんが、足跡の大きさから考えてそこに女性がいた可能性は低い」

「そんなの真犯人に偽装されたに決まってます!」

「本当にいるんですか? 真犯人」


 鋭い目が、僕を射抜く。


「すべてあなたが一人でやったことじゃないですか?」

「そんなわけ――」


 そんなわけないだろう――叫ぼうとした僕の口を、頭の中に浮かんだ映像が止めた。



 § § §



『――お前が美亜を殺したんだろ!』


 強く、襟首を持たれる。既に散々殴られた身体を無理矢理引き起こされる。どうにか助けを求めようにも、人気のない倉庫のような場所に連れ込まれてしまったせいで誰も通りかからない。

 本当だったらもう家に着いていたはずなのに、この男に呼び止められたからって振り返るんじゃなかった。『お前が人に言えない話がある』だなんて言われれば、それを言ったのが知らない相手でも逃げられるはずがない。だって僕には後ろめたい心当たりがあるのだ――野良猫を殺した、父さんのことが。

 異常者の息子だと職場に知られればクビになるかもしれない。変な噂が広がって、仕事を見つけにくくなるかもしれない。そういう可能性を考えれば、僕は父さんのことを周りに知られるわけにはいかなかった。

 だから男の雰囲気に身の危険を感じたものの、僕は黙って付いて行くしかなかった。とっくに後にしはずの駅を横目に住宅街を進み、隣駅も越えて、やがて付いたのは見知らぬ倉庫のような場所。

 人の気配を全く感じさせない場所に恐ろしさを感じて、流石に用件を聞こうとしたらいきなり殴られた。何度も何度も理由も分からず殴られて、やっと男が口を聞いたかと思えば訳の分からないことを言われて頭の中が真っ白になる。


『一体何の話を……』

『お前八尾彰だろ!? 美亜に告白して、フラれた腹いせに屋上から突き落としたって聞いてるんだよ!』

『突き落とした……って、高校の時の……?』


 ()()()()()。高校の頃、自殺したクラスメイトがいた。()()()()()()()()()()――僕が殺したんだと暫く騒がれたのだ。


『思い出したか? 忘れてたよなぁ、美亜にそっくりな女付け回すくらいなんだから! そっちに夢中になって過去のことなんでどうでもよくなってたんだろ!?』

『付け回すって、さっきから何を訳の分からないことを――』

『見てたんだよ! お前が毎日毎日あの居酒屋の店員の家まで行って待ち伏せしてるのを!」

『居酒屋? 何の話か分からない。それに毎日って言うけど、だったらその人のことを付けてたのはアンタの方じゃないか!』

『ッ……俺は店までしか行ってなかった! 美亜にそっくりな奴がいるって聞いたから……ッ!』


 バツの悪そうな様子だった男ははっとしたように言葉を止めると、『そんなことどうでもいいんだよ』と忌々しげに顔を歪めて僕に向き直った。


『この場所はさぁ、お前を見つけた時に探したんだよ。もしお前がまだ美亜のことしらばっくれるなら俺があいつの仇を取ってやろうって。まあ実行しようとしたら急にお前をあの店で見なくなって、家も分からないから諦めてたけど……偶然さっき新宿で見かけられてよかったよ』


 その歪な笑みに、僕の背をさっと冷たいものが走る。新宿から付けられていたこともそうだけれど、そんなことがどうでもよくなるくらいの嫌な予感が全身を覆っていた。


『仇ってまさか……――ッでも! 東海林美亜のことは警察だって自殺だって判断してたじゃないか! それを僕のせいだなんて……!』

『お前だろ! フラれた後何度も美亜を呼び出そうとしてたじゃねぇか! あいつは怖がって行かなかったけど、本当にお前じゃないんだったらどうして一度だけ話してみるって言った日に死ぬんだよ!?』


 そんなことあるはずがない。僕が東海林美亜を呼び出そうとしただなんて、でっちあげもいいところだ。

 だって僕には彼女に近寄る理由がない。()()()()()()()に近寄るわけがない。


 ――なんで拒絶された?


 くすくすと嘲笑うような声が頭の中に響く。

 拒絶された? 僕が? そんなはずはない。僕は彼女とまともに話したことなんてなかったんだから、拒絶されるだなんてことはないだろう。


 ――されたよ、拒絶。ぎこちない顔で、ごめんなさいって。


 その声と同時に、覚えのない映像が鮮明に浮かんできた。

 東海林美亜に告白して、断られて、でも諦めきれなくて何度も声をかけた。教室で彼女の方が話しかけてくれるから、僕からも話しかけていいんだって思って。なら二人きりでまた話したいって――ああ、そうだ。()()()()()

 僕はあの日、彼女と屋上で会っている。会って、何故か怖がられて、逃げられそうになった。それが凄く腹立たしくて、屋上の柵を越えて逃げようとした彼女の背を、両手で思い切り――


『……なんだこれ』


 急に浮かんだ映像に頭から血の気が引いていく。違う、僕じゃない。僕はそんなことしない。だって僕は、東海林美亜のことなんて好きでもなんでもない。


『いい加減認めろ!』


 相手の腕に力がこもる。そのまま後ろに押されそうになったけれど、背中が壁にぶつかってそれは止まった。少し明るいそこは、窓の横。割れた窓ガラスの鋭利な破片が目に入る。

 ああ、これなら――迫りくる拳を必死に躱して、体勢を崩した相手の頭を窓枠へと押し付けた。



 § § §



 何だ今のは――僕は荒くなる呼吸を抑えるように、手で胸を押さえつけた。


「あなたの話はおかしいんですよ」


 河野の声が響く。その声に前を向けば、彼の隣にいた尾城が厳しい顔をしているのが目に入った。それまで黙っていた彼は僕と目が合うと少し身を乗り出して、まるで敵のようにこちらを睨みつけてくる。


「あなたは自分が無実の罪を着せられそうになっていると言いますが、本当にそうですか? 偽の橘の話がデタラメだった以上、我々としてはもうあなたの言葉を信じることはできません」

「デタラメじゃ……!」


 いつもはもっと穏やかな印象のはずなのに、今の尾城の声には怒りが込もっていた。丁寧な口調はそのままだけれど、声がいつもより随分と低い。

 だけど、僕には彼が怒っている理由が分からない。河野のように僕の話を嘘だと決めつけているからだろうか。でもそれだけで、刑事という仕事の彼がこんなにも感情を荒立たせるのだろうか――僕が必死に思考を巡らせていると、尾城の視線が僕の手元に移された。


「嘘じゃないと言うのなら正直に教えて下さい。どうしてそれを見つけることができたんですか?」

「これ……? さっき言ったじゃないですか、僕は椿に言われて……!」


 こんなのに何の意味があるのだろう。ただのブレスレットにしか見えないこれが僕の立場を悪くしていることは分かったのに、その理由が僕には検討もつかなかった。


「その偽物の橘の存在が我々には確認できないんです。客観的に見て、あなたが自分でそれを見つけ出したとしか考えられない」

「そんなことない……! それにもしそうだとしても、こんな物に意味なんてないでしょう!?」


 そう言ってブレスレットを握った手を更に前へと突き出せば、尾城は一層目を鋭くした。


「ありますよ。それは本物の橘椿さんのものだと思われます」

「本物の……? なんでこんなとこに……」


 ああ、だからか。だから彼は僕の話を信じてくれないのか――やっと腑に落ちたけれど、それが分かったところで意味はなかった。


「ここであなたが橘さんを襲ったんじゃないですか?」

「はあ!? 僕がなんでそんなこと……彼女とはろくに話したことも――」


 話したこともないと言おうとした口は、それ以上動かせなかった。脳内にフラッシュバックした映像が、本物の橘椿によく似た女性が怯えているものだったから。そして手に蘇った感触は――


「――違う!!」


 咄嗟に力いっぱい否定を口にする。ブレスレットを握り締めて、右手に蘇った感触を追い払う。

 そうしないとおかしくなりそうだった。だって細い腕を掴んで、思い切り自分の方へと引っ張ったこの感覚を僕は知っていたから。そして体勢を崩した相手が地面に落ちていくのを、僕は……。


「違わないよ」


 はっと振り返れば、そこには椿の姿があった。刑事達が来てからどこかに行っていたくせに全く悪びれる様子もなく、さっき見た鮫島貴子の写真と全く同じ姿で、いつもと同じように僕を見ている。


「お前っ……今までどこに……!!」


 椿の姿を見た途端、僕の中には一気に怒りが込み上げた。当然だ、彼女のせいで僕は今疑われているのだから。

 椿のした行動のせいで僕が嘘を吐いているかのようになっている。だから刑事達は僕の言葉を信じてくれない。信じてくれないから、僕の疑いは晴らせない――怒りのままに椿を睨みつけたのに、彼女は不敵な笑みを浮かべるだけだった。まるで僕の問いが聞こえていなかったかのように、「何度も言っているじゃないか」とマイペースに話を続けようとする。


「君の見ているものは正しいとは限らない――そろそろ自覚したんじゃない?」

「何の話だよ! 僕は……僕はちゃんと……!!」


 椿の言葉を否定したいのにうまく言葉が出てこない。なんとなく分かってしまったのだ、彼女が何を指しているか。

 でもそんなものを受け入れられるはずはなかった。受け入れてしまえば、僕の見ていたもの全てが信じられなくなってしまう――そう直感して、身体中を恐怖が襲った。


「ならさっき思い出したのは何だろうね?」


 なんでお前が知っているんだという問いは音にできなかった。それよりも早く椿が声を発したからだ。


「思い出したんだろう? 東海林卓とその妹を殺したことは」

「あんなのデタラメだ!」

「じゃあどうして今の君は青いスニーカーを履いているんだい? 最近のお気に入りは黒い方だったじゃないか。頑張ってお金を貯めて買ったんだろう?」

「黒……?」


 何を言っているんだ、と僕は自分の足元に目を落とした。僕が今履いているのは彼女の言うとおり青いスニーカーだ。別におかしなことはない、最近の僕はいつもこれを履いている――そう思うのに、ねっとりとした違和感が僕を包んだ。


「捨てたんだよね、橘椿の家から帰った後に。あの現場に足跡を残してしまったから」


 自宅に入る前に脱いで、サンダルに履き替えて。ゴミ袋に突っ込んだ後、近くのマンションのゴミ置き場に捨てた――そんな映像が、頭の中を駆け巡る。


「なんだこれ……嘘だ……」

「八尾さん……?」


 尾城の声に、僕ははっとして彼らの方を振り返った。


「ッ違うんです、刑事さん! こんなの椿が適当なこと言ってるだけで……!」


 椿の妄言を信じられたらたまらないと、慌てて彼女の言葉を訂正した。そうして強くなった彼らの疑いの眼差しが弱まることを期待したのに、視界に入ったのはただただ不可解だと言わんばかりの、怪訝な表情。


「八尾さん」


 尾城の顔にはもう怒りはなかった。深い眉間の皺は、僕に対する嫌悪感からじゃない。


「……さっきから誰と話してるんですか?」


 全く理解できないと言いたげなその顔は、僕の心を掻き乱した。

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