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虚像のゆりかご  作者: 丹㑚仁戻
第三章 虚実
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〈三〉諦念と現実

 僕は確かに椿を疑っていた。東海林卓が死んだあの夜、あの場所で平然と僕に話しかけてきた時点で事件とは無関係ではないと分かっていた。それなのにこんなに動揺しているのは、やはりどこかで彼女は〝違う〟と思っていたからだろう。

 椿は真犯人と無関係ではない。でも、僕の敵でもない。そう思ったのは彼女の細い腕では僕を拉致することは不可能だし、何より僕が信じたかったからだ――客観的に見れば東海林殺しの犯人にしか見えない僕の、証拠のない無実の主張を否定しない椿のことを。


 僕は震える唇に喋りにくさを感じながら、それでもどうにか口を動かした。


「……嵌められたんです」


 言葉にした途端、ガラガラと何かが音を立てて崩れていった気がした。


「と言うと?」


 河野の微塵も信じていなそうな声が上から降ってくる。


「僕は、椿に嵌められたんです」

「偽物の方ですよね? 一体何故そう思うんですか?」


 河野とは違って、尾城の声は穏やかだった。僕に対する優しさではないのかもしれないが、声に厳しさが含まれない分、随分と緊張がほぐれる気がする。


「だって椿は……」


 素直に言いそうになって、僕は口を止めた。僕が椿を疑う理由を話すためには、僕があの夜東海林殺しの現場にいたことも話さなければならない。潔白を主張するにももう警察に話さなければどうしようもないと分かっているのに、それを言う勇気がなかなか持てなかった。


「八尾さん、何か心当たりがあるなら話してください。いずれ分かることなら、先にあなたの口から聞いていた方が心象がだいぶ違いますよ」

「でも……そうしたら僕は……僕が、疑われる……」

「安心してください。いくら八尾さんに疑わしい点があっても、証拠もなしに決めつけたりしません」

「ッその証拠が捏造されてたらどうするんですか!? 現に鍵の指紋だってそうなのに……!」


 急に大声を上げた僕に、尾城はびっくりしたように目を丸めた。だが一方で河野はほんの少し目を見開いただけで、すぐにその目を細め僕を探るように見つめる。


「何の証拠ですか? その様子じゃあ、橘さんの家に関するものだけじゃないんですよね?」


 河野の低い声が、僕の首を締め付ける。


「それ、は……」


 どうしよう、言ってしまってもいいのだろうか。尾城はまだ僕を信じてくれそうだが、河野は完全に疑っている。まるで犯人を見るような目は、僕の言葉を嘘と決めつける気がした。


「その捏造されているかもしれない証拠が信用できるかどうか含め、捜査するのが我々の仕事です。予め言ってもらえれば念入りに確認しますよ、尾城が」

「え、僕ですか?」

「俺は八尾さんに嫌われてるらしい」


 そう言って口端を上げた河野と目があって、僕は慌てて顔を背けた。


「八尾さん、言いづらいことなのはあなたの様子を見ていれば分かります。だからこそ教えて下さい。あなたは何を不安に思っているんですか?」


 もう、言い逃れはできない気がした。ここまで何かあると思われてしまっていては、適当な誤魔化しも通用しないのだろう。

 でもその諦めが僕を後押ししていた。話せば疑われることもそうだし、何より一度無能だと断じてしまった警察に今更打ち明けるのも抵抗がある。けれど今僕を見ているこの二人は、少なくとも椿が信用できない人間であると理解している。

 それがどこか仲間のように感じられて、僕はとうとうあの夜のことを警察に話すことにした。



 § § §



 どれくらい時間が経っただろうか。これまでのことをどうにか話し終えると、黙って聞いていた尾城がふうと長い息を吐いた。


「その真犯人が、あなたを拉致し東海林殺しの罪を着せようとしている、と――」


 僕の言葉がそれ以上続かないことを確認するように、尾城はゆっくりと口を動かす。


「――そして八尾さんの出会った偽物の橘椿が、真犯人と共謀していると言いたいのですね」


 尾城の声は、まるで言い訳は本当にそれでいいのかと僕に聞いてくるようだった。そのせいで彼がまだ半信半疑だということは嫌でも分かってしまったけれど、同時に仕方がないとも思う。

 こうして初めて無関係の人間に話してみて実感したのは、自分が本当に意味の分からない状況に置かれているということだった。話している僕本人ですらそう思うのだから、聞いていた刑事達は突拍子もない話だと感じていることだろう。でもそれが実際に僕の身に起こったことなのだからどうしようもない。

 僕は居心地の悪いものを感じながら、「そうです」と改めて話の内容を肯定した。


「信じられないかもしれませんけど、そうとしか思えなくて……」

「本物の橘椿さんの死にも、その真犯人が関わっていると思いますか?」


 そんなの僕が知るはずがない――そう思ったけれど、すぐに別の答えが頭に浮かんだ。


「多分、そうなんだろうと思います。じゃなきゃ僕をあの部屋に連れて行かないでしょうし……」


 あの部屋にあれだけ堂々と僕を連れて行くことができた時点で、本物の橘椿の死を椿達が知っていたのは間違いないだろう。そもそも倉庫であんなタイミング良く椿が僕の目の前に現れたのは、僕をあの部屋に連れて行って疑われる証拠を作るためだとしてもおかしくはなかった。


「だがあなたには犯行推定時刻のアリバイがないどころか、記憶すらない」


 僕が考えに耽っていると、河野が顰めっ面で声を上げた。


「本当に全く記憶にないんですか?」

「自分でも思い出そうと努力はしたんです。でもあの日、バイトの後に駅まで帰ってきたところまでしか思い出せなくて……」

「……まあ、その後の足取りはこちらの捜査で分かるでしょう。実際にあの日、八尾さんが深夜零時半過ぎに駅から自宅方向に向かったのは分かっています。と言っても確認できているのは途中までですけどね」

「自宅方向、ですか?」


 河野の言葉に、僕は思わず俯きかけていた顔を上げた。

 既にそこまで分かっているということも驚きだったが、何よりあの夜の自分が自宅に真っ直ぐ向かっているというのが意外だったのだ。

 だがそれも別におかしなことではないのかもしれない。僕は自宅から駅までの道で何も思い出せなかったから、自分は反対方向に向かったのだと考えた。でも実際に反対方向に歩いて行ってみても、何も思い出すことはできなかった。

 だから結局、どちらであっても同じだったのだ――そう気付くと、自力で記憶を取り戻すことは難しいのだと再確認させられた気がした。ある程度は実際に現場に行って記憶を刺激すれば思い出せたものの、駅から先の記憶だけは今のところ全く思い出せそうにない。だったら警察が調べることで、客観的に自分のあの夜の行動を暴いてもらうしかないのだ。


「後は八尾さんの自宅も調べさせてください。今の話が本当であれば、現場に残されていた足跡は八尾さんのものということになります。勿論まだ任意ですので断ることもできますが……」

「いえ、調べてください。今履いている靴をあの日も履いていたはずですが、記憶違いかもしれないので」

「記憶違い、ですか」


 そう言って河野は苦笑を浮かべた。当然の反応ではあるものの、目の前で態度に示されると少し気まずくなる。


「僕の記憶は当てになりませんから……。だからと言ってあなた方警察が見つける証拠も、僕としては偽物も含まれている可能性があって怖いんですが……自分の記憶と一致することなら信じるしかないかなって……」

「当てにならない記憶と一致すれば信じる、というのもおかしな話ですね」


 真っ当な河野の言葉に思わず眉間に力が入る。自分の言っていることがおかしいことくらい、僕にだって分かっている。だがそれ以外にやりようがないのだ。

 何せ僕にはあの夜の記憶がない。記憶がないから、辛うじて残った記憶の断片に頼るしかない。客観的事実とその記憶が一致しているのであれば、信じないという選択肢はなかった。


「しょうがないでしょう、覚えてないんですから。ちゃんと覚えていることなら間違いないと思います」


 思わず強い口調になってしまったのは、そういったもどかしさが抑えきれなかったからだ。自分の立場でこの態度はまずいかもしれないと後から気付いたものの、河野は気にした様子もなく僕を見ていた。


「では話を変えましょうか。こちらのスニーカーに見覚えは?」


 そう言って河野が見せてきたのは、彼の言葉どおりスニーカーの写真が印刷された紙だった。何枚も写真が載っているが、よく見れば色違いなだけで同じモデルのようだ。

 すぐに判断できたのは写真を見たのもあるけれど、それ以上に僕はこのスニーカーを知っているからだった。


「有名なやつですよね? 僕も欲しいと思ったことがあるので見たことはあります」

「ご自身で所持は?」

「ないです。靴にしては高いですし、よくよく考えてみたらこんないい靴履いたところで意味ないなって」


 河野は暫く僕のことを観察するように見ていたが、少しすると「なるほど」と小さく言って写真をしまった。


「その靴がどうかしたんですか?」

「なんでもありません。忘れてください」


 嫌な言い方だ。僕はきっと容疑者だろうから、警察としては余計な情報は与えたくないのだろう。それは分かるけれど、聞いておいて教えてくれないというのは気分が悪い。


「そうだ、もう一つだけいいですか?」


 河野が試すような目で僕を見てくる。さっきまでの厳しい視線とは違うその目線に、無意識のうちに身体が強張った。


「八尾さんの言う偽物の橘椿の似顔絵を作成したいんですが、ご協力をお願いできますか?」


 そんなことか――肩透かしを食った僕は、「勿論」と二つ返事で了承を示した。

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