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虚像のゆりかご  作者: 丹㑚仁戻
第二章 橘椿
10/30

〈五〉周辺

 仕事を途中で抜けてきた金森は、話が一段落すると会社へと戻って行った。指紋採取などは業務を調整して今日中に応じるという。警察署に来られる時間が分かったら金森の方から連絡をもらえることになったため、尾城達はそれまでの間に橘椿が勤めていたという店に向かうことにした。


「――またここですか……」


 数日前に来たばかりの建物を眺めながら、尾城は嫌そうに眉を寄せた。橘の自宅の件といい、今いるこの場所といい、今回は短期間で同じ場所に来ることが重なっている。ただの偶然かもしれないが、どうにも今は何か得体の知れないものに触れようとしているような気がしてならない。

 金森から聞いた橘のバイト先は、以前八尾に関する聞き込みで訪れた居酒屋だったのだ。


「こりゃますます八尾が絡んでそうだな」


 河野の言葉に、尾城は「そうですね」と頷いてみせた。確証はないが、確か八尾も小柄な男だったはずだ。しかもこの店の常連で寡黙――金森から聞いた、橘に告白してきた相手の特徴とも一致している。割と誰にでも当てはまりそうな特徴ではあったものの、それが二つの事件で出てきたものであれば関連性を疑わずにはいられない。


「また会いに行ってみますか」

「当たり前だろ。こっちが先なのは、八尾が絡んでた時に今度は逃げられないようにするためだ」


 前回会いに行った時には、時間がないからとすぐに話を打ち切られてしまった。もう少し強く押そうにも現場付近の監視カメラに映っていただけでは東海林の事件との関連が弱すぎる。早く捜査できればそれだけ証拠品が見つかりやすいが、それを強制的に行うだけの根拠すらなく、あくまで八尾本人に話を聞くことしかできなかった。


「玄関に出てた靴も調べたら現場の足跡とは違いましたし、やっぱもう少し何か欲しいですよね」


 現場に残されていた足跡は、その特徴から某有名スポーツメーカーの人気シリーズのものだと判明していた。そしてそれは東海林の履いていた靴とは異なることから、現時点では犯人のものである可能性が高いと見られている。

 今はまだ八尾の自宅を捜査することはできないが、尾城は以前彼の家に行った時、玄関に出ていた靴をできるだけ見て覚えていた。幸い応対時に八尾が履いていたサンダルを含め、玄関に散らばっていた三足の靴はどれもメーカーが分かりやすいデザインだったため覚えるのは容易だった。

 そしてその靴の中に、一足だけ探している物とシリーズは違えど同じメーカーのものがあったのだ。尾城はこれはと思い照合したのだが、結局その靴は現場に残っていたものとは一致しなかった。他の足跡と比べようにも犯人によって消されてしまったのか、現場には遺体発見者のものを除くと、東海林のものも含め他に靴底の模様が分かるような足跡は残っていなかった。


「ま、靴の件は後ろめたいことがあるなら警察(俺達)が来た時に隠しててもおかしくないだろ。隠しただけなのか処分までしちまったのかは分からんが、それを調べるためにも何か出てくれることを祈るよ。奴が無関係でもその確証が欲しいしな」


 尾城達が居酒屋に入ると、午後の営業の仕込み中だった店員は驚いたような顔をした。しかし警察だと名乗れば、先日の件のことだと分かったようですぐに目には好奇が浮かぶ。たとえ心当たりがなくとも警察が来れば緊張するのが人間だが、逆に自分自身に関することではないと分かっていれば珍しい状況に興奮してしまう者もいるのだ。

 その店員は前回の聞き込みの時にはシフトの関係でいなかったらしく、店長に事情を話した後に改めて話を聞けることとなった。


「――またあの常連さんのことですか?」


 店員に呼んでもらった店長は、尾城達の姿を見るなり不思議そうな表情を浮かべた。大したことを話していないのに、この短期間で二回も警察が訪ねてくるとは思っていなかったのだろう。

 確か名前は本田(ほんだ)だったな――尾城は前回聞いた名前を頭の中に思い浮かべながら、相手をリラックスさせるように愛想の良い笑顔を作ってみせた。


「いえ、今回は別件なんです。橘椿さんという方をご存知でしょうか?」


 橘の写真を見せながら尾城が尋ねると、それを見た本田は訝しげに「橘さんですか?」と聞き返した。


「橘さんなら以前うちでバイトしてました。ただバックレられちゃって……彼女に何か問題でも?」

「実は河川敷で見つかった女性の遺体が橘さんのものだったんです」

「ええ!? そんな……」


 一気に顔を青ざめさせる本田を見て、これは本当に知らなかったな、と尾城は僅かに目を細めた。あの遺体の身元は隠していないため、そろそろニュースで流れていてもおかしくはない。だが仕事中であれば気付かなかったのも無理はないだろう。


「橘さんのお客さんからの評価ってどうでした?」

「そりゃ人気でしたよ。モデルさんみたいに美人だから、特に男性のお客さん受けは良かったですね。ただの居酒屋ですから一度しか来ないお客さんも多いんですけど、橘さん目当てに通ってくれる方もいて――って、うちはそういう店ではないですよ? お客さん同士の会話でそういったものが聞こえるだけで。ほら、酔っ払うと声が大きいじゃないですか」


 途中で慌てたように補足したのは、風営法を気にしているのだろう。ここはどう見てもごく一般的な居酒屋だ。尾城自身もよく居酒屋には行くため、客が店員の容姿を見ることもあるとは分かっている。だから「分かりますよ」と安心させるように笑いかけると、本田はほっとしような表情を浮かべた。


「お客さんの中には橘さんを本気で好きになってしまう方もいたんですかね?」


 横から河野が言えば、本田は少し困ったような顔をした。


「たまにですけどね。折角なら店員よりうちのメニューを好きになって欲しいんですが」

「そういった方達の名前は分かりますか?」

「名前は微妙ですね……勿論知っている方もいますが、なんというかこう、明らかに橘さん以外の店員を避けたがっているようなお客さんもいましたから。それに橘さんが辞めてからはそういったお客さんはもう来てないので、これからお名前を聞くこともできませんし……」


 話しながら知人の死を実感したのか、本田はどんどん表情を曇らせていく。


「あの、やっぱり橘さんはそういうお客さんと揉めてしまったんでしょうか? いやほらね、凄く良い子だったんですよ。綺麗なのにそれを鼻にかけないし、働き者で急にシフト変更したいって言い出すこともないし……たまに風邪で休んでも後でちゃんと謝ってくれるような子で」


 尾城は最初好奇心からの問いかと思ったが、本田の表情を見ているとそれは違うのだと感じた。彼の言うように、橘は好感の持てる人柄だったのだろう。語られる彼女のアルバイトとしての行動も今時珍しいもので、本田が何を言おうとしているのか分かるようだった。


「橘さんは無断で辞めるような人ではない?」

「そうです、そうです。だから急に連絡が取れなくなった後も何か事情があるのかなって思って、しばらくは病気療養ということにして籍は残してたんですよ。でも……病気じゃなかったんなら、そりゃ来れませんよね……」


 本田は落ち込んだように言いながら、ゆっくりと視線を落とした。



 § § §



 一通り橘の勤めていた居酒屋の店員から話を聞き終わった尾城達は、近くのマンションを訪れていた。彼らが橘の件を調べている間に、どうやら聞き込みの警察官がとある証言を得たらしいのだ。


「――詳しく聞きたいって言われても、そんな話せることもないんですけどねぇ」


 そう言ってエントランス前で困ったような顔をした男は、保科と名乗るこのマンションの管理人だ。


「既に別の警官にお話しいただいたことでも構いません。改めて状況を確認したいだけですので」

「状況って言っても、うちのゴミ置き場の外に知らない靴が捨てられてたってだけですよ?」

「その靴というのは、このデザインだったんですよね?」


 尾城が写真の印刷されたA4用紙を差し出すと、保科は「確かに似てると思います」とそれを受け取った。

 印刷されている写真は東海林卓の遺体発見現場から見つかった足跡と同じ靴底を持つものだ。複数の色が展開されていたため、メーカーのサイトから一通りの色が揃うように商品画像を取得して印刷している。


「ああ、この黒いの。これが一番似てますね」

「サイズは見ましたか?」

「見てるわけないじゃないですか。こっちは『ちゃんとゴミ置き場に捨てろ!』ってイライラしてましたし」


 別の警官が保科から聞いた話では、八月二十日の早朝、このマンションのゴミ置き場の外にビニール袋に入れられた黒いスニーカーが捨てられていたそうだ。保科はマンションの住民が横着をしたと思ったが、ちょうど燃えるゴミの日だったためそのまま他のゴミと一緒にまとめたらしい。


「ゴミ置き場というのは、そこのことですよね?」


 河野が指したのは、マンションのエントランス横にある至って普通のゴミ置き場だった。屋根や大きなゴミ箱は設置されておらず、背面と両サイドをマンションの外壁と同じデザインのブロックで囲われているタイプだ。ビンや缶は入れるケースが置かれているが、それ以外のゴミは袋にまとめてそのままここに出すのだろう。


「ええ、そうですよ。道路に面してるんで、ちゃんと綺麗に捨ててもらわないと見栄えが悪くって」

「靴はゴミ置き場の外にあったとのことですが、具体的にどのあたりでしょうか?」

「そこですよ、そのブロック裏。うちは捨てたらカラス避けのネットをかぶせることになってるんですけど、あの靴はそれもしてなくて。まあ靴なんでカラスも興味を持たないとは思いますけどね」


 鼻息荒く保科が示したのは、ブロックに囲まれたゴミ置き場のすぐ隣だった。それを見た尾城には外と言うほどずれているとは思えなかったが、保科には相当違う場所に見えるらしい。河野も同じことを考えていたのか、彼の方を見れば少しだけ呆れたように眉を上げていた。


「そういうゴミ捨てルールを守らない住民の方って結構いるんですか?」


 尾城が問えば、保科は「いいえ」と首を振った。


「ちょっと前までは結構いたんですけどね、都度厳しく張り紙してたらみんな守ってくれるようになりましたよ」


 少し誇らしげに言うのは、それだけ苦労したからなのだろう。


「皆さんがルールを守ってくれるなら、そのスニーカーが捨てられてたら相当目立ったでしょうね」

「そりゃあもう! 一体どこの誰がやったんだか……うちの住民じゃなければいいんですけど」

「監視カメラはないんですか?」


 そう問いかけながら尾城はマンションに目を配った。ガラス越しに見えるエントランスの中にはあるようだが、今自分達がいるゴミ置き場の方は向いていない。ならばゴミ置き場を写したものはないかと見渡してみたが、それらしきものは見つけられなかった。


「マンション内部はありますが、ゴミ置き場が写るものはないんですよ」


 保科の言葉は尾城が見た結果どおりのもので、「そうですか」と相槌を打った声には思わず残念そうな色が混ざってしまう。


「ならいつ捨てられたのかも分かりませんかね?」


 横から河野が問うと、保科は考えるように顎に手を当てた。


「そうですねぇ……夜に見た時はなかったんで、多分夜中か朝だと思うんですけど」

「具体的な時間は?」

「夜は二十二頃ですね。どうしても夜中のうちにゴミを出したいって人がいるんで許可してるんですけど、二十二時までは流石にやめてくれって言ってるんで確認してるんです。朝は七時に私がゴミをまとめるので、そのくらいだと思います」


 二十二時から翌七時――その九時間の中には東海林卓の死亡推定時刻も含まれている。そのことを考えれば、捨てられていたのは現場に残されていた足跡を作った靴だったという可能性もあるだろう。

 尾城達は保科に礼を言うと、金森を待つため署へと戻ることにした。

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