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「それじゃあ、明日、お母さんと一緒に来ますね!」
「うん。待ってるよ。午後二時だね。」
「はいっ!また明日!」
二月、雪が降りしきるなか少女はぺこり、と頭を下げ帰っていった。
「んじゃ、書類の用意でもしますかね。」
「んー、お客さん?」
「おう、来年からの入居者だ」
「ふーん。…女の子だ。」
女は置いてあった飲みかけの湯呑みから何かを判断し、事実を述べた。
「その通りだが、何故わかる」
「んー?勘。あとほら、微妙に口紅が付いてるでしょ」
「ホントだ」
確かに、少女の小さな唇の後が残っていた。
「…ふーん?」
「なんだよ」
「いや、随分小さい娘なのかなって。」
「お前、ホント何者だよ。実は名探偵の孫だったりしない?」
「いやぁ…ただの根なし草。んじゃ、戻って寝ますわ。来週からまた一週間留守にするよ。」
「了解了解。」
ちなみに、彼女はそれなりに名の知れた小説家だ。
女は、冷蔵庫から自分のボトルコーヒーを取り出して部屋に戻った。
翌日、少女と母が訪ねてきた。
「おにーさん、今日はよろしくお願いします。」
いつもとどこか声の調子が違う。少女は、母と僕の反応をみているかのようで、それを隠しているかのような表情だった。僕を呼び掛けるイントネーションも普段と違っていた。
「いえ、こちらこそよろしくお願いします。…どうぞ、お母様も中へ」
「よろしくお願いします。」
少女の母は、娘に似た美人で、儚い印象を受ける穏やかそうな人だった。しかし、特徴のみ列挙すれば確かに似ていて、親子であるのを確信させる容貌だったが、タイプが違うというのか、正直にいえば似ているとは思わなかった。娘が柔らかい感じなら、母は優しい感じで。父親似なんだろうか。
「3ヶ月単位の契約で、費用は食費光熱費等込みでこちらとなっています。資料はあらかじめお渡しになっていると思います、そちらと内容に違いはないですが、一応確認をお願いします。」
とか、
「住人のプライバシーなどに関しましても、セキュリティは保証しますし、こういったサービスなども提供出来ます。」
とか、
「住人も、今日は居ませんが女性しか今のところ居ないので、私が住んでおります以外にはそういう問題も少ないかと。もっとも、今後増えないとも限りませんし、民泊として使われることもありますがこんなご時世ですし、その辺りの保障、保護は自信と実績を持って当たらせて戴いております。」
とか。そういう注意点を一つ一つ母子に伝えていく。娘は深々と聞いているが、母はどこか興味がない様子というか、カタログスペックのみ確認しているというか、淡々とした印象を覚えた。
「契約のご意志はある、とのことで、一応同意書を戴いています。こちらに入居者様と保護者様の署名を頂戴します。…はい、ありがとうございます。」
母子の署名を貰う。
女の子は、『蒼井 藍』
と
女性は、『蒼井 乃碧』
。
それがこの不思議な、けれども長い付き合いとなる二人の名前だった。
「ええと、蒼井あいさんと乃碧さん、でよろしいですね。承りました。」
「あ、おにーさん。私、おかわりのお茶淹れますね。カップ出してきて良いですか?」
「いや、お客様なんだから僕がやるよ」
「いえいえ、やらせてください、ね?」
そして、小さく、私がいると出来ない話もあるでしょう?、と言った。
「…そう。なら、前と同じ場所だから」
「はいっ!お母さん、ダージリンでいい?」
「ええ。」
乃碧さんと向き合う。あの娘には家族の話題はタブーなので、この内に済ませておいた方が良い筈だ。
「えっと、申し上げにくいですが、あいさんのお父さんは」
「亡くなりました。…七年ほど前に」
「そうでしたか。他に、ご家族は?」
なんだかんだ、家族が遊びに来る、みたいな来客はトラブルのもとになる。そういう確認は欠かせないのだが、あの娘があの娘なので乃碧さんに聞いておこう、という魂胆だ。
「おりません。」
「…?…藍ちゃんは、兄が居る、と言っていたようですけど…」
「……?いえ、他には。親戚筋も若い人はおりませんよ。」
「…そう、でしたか。」
乃碧さんの目を見る。…瞳孔や視線の揺れは無し。困惑が大半。どうやら真実。…どういうことだ?
「はい、どうぞ。」
カタリ、ソーサーがテーブルに置かれる音で我に返る。
「あぁ、ありがとう。」
「いいえ、ストレートで宜しかったですよね?」
「うん。ありがとうね。」
「お母さんはシュガーとミルク半分だけ、私のはシュガー。…うん、問題なし。」
少女は、サッとお茶を配って自分の物を飲む。あちち、と小さく漏らしていた。
(聞きたい話題は聞けました?)
彼女のこ首をかしげた表情はそう言っていた。
僕はアイコンタクトを返す。
「えっと、お母さん、何か疑問点とかある?問題とか」
「そういうのは僕の仕事なんだけど…そうですね、乃碧さん、率直にお聞かせ願えれば」
「…この子が望んだ事ですから。この条件で、大丈夫です。」
「……そう、ですか。解りました。では、そういうことで、引っ越しの手配などもこちらで出来ます。代金はこちらです。」
「…ん?あれ、おにーさん。これ、利益とか出てなくないですか?」
「引っ越し費用?ウチの会社内のを使うから十分に出るよ?」
「…そうですか?…あ、日程はこの日があれば良いんですけど」
3/17、赤口だ。
「16が大安だけど」
「その日は礼拝なので引っ越しはちょっと」
前にクリスチャンだと言っていた。ミサがあるらしい。
「なら、赤口はお昼…かな。」
「お昼なら大丈夫です。」
「家具とかの用意はどうしますか?こちらでも用意出来ますが」
「あ、お願いします。買いに行くんだったらついていっても良いですか?」
「うん、じゃあウチの会社のカタログを後で渡すよ。…予算や内容等相談受けますが、これで、このリストのセットになってます。」
ベッドと学習机と本棚、といった物がまとめて購入できるモノもある。ちなみに値段対品質は破格だ。
「3月の頭とか、暇なので」
「いいよ。日曜日がいいかな」
「なら、2日でお願いします。」
「2日ね、ここに来てくれれば連れていけるから」
「はい、お願いします。」
諸々書類を渡して二人を見送った。
「…居る筈の無い兄妹、ね。」
どちらとも嘘の匂いは無かった。最初から居ないのか、途中から消えたのか。残念ながら、あっちの世界では良くある話だ。ここ数年思い出していなかったあいつらの顔を思い出す。
「墓参りでもするかね。」
片付けをしよう。やることは一杯だ。
初期の没案プロット準拠のため微妙に設定と口調などが異なります。こういう旨の会話があったこと自体は正史です。