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神は言った。
私を好きな能力で、異世界に転生させる、と。
私は、大学から帰る途中だった……はずだ。ここは、どこだ?
一人で隅に座って、ただ黙々と法哲学の講義を受け、日も暮れた時間にやっと帰れる、と早々に大学を出た。大学から家までは徒歩圏内だし、もうこちらに引っ越してきてから三年も経つのだから迷うことなどない。
しかし現に私は、今まで見たこともない場所にいた。
花畑だった。よく見ると、花びら一つ一つが透き通っている。まるで色ガラスでできているようだ。
空もなんだか、おかしかった。明るかった満月は消え、赤紫や青紫の靄と宝石のような星々が輝いていた。
しかもその空は、三百六十度、全周囲で地平線まで続いていた。
私がいた都市部で、地平線なんて見えるわけない。いや、そもそも山が多い日本で水平線ならともかく、地平線が見えるような土地がどれだけあるだろう? そもそもビルは? 私が歩いていた道はどこに消えた?
「おや、珍しい。人間ではないか」
私がそうこう思案して混乱しているうちに、空の果てから一筋の光が降り立った。
一瞬のことだった。私が突然光った空の一点に目をくらませると、次の瞬間には私の前には女の姿をした何かが立っていた。
思わず自らの醜さを恥じて死にそうになるほどの、直視できない美しさ。そしておよそ生物ならば誰もが感じる生存本能を駆り立て、屈服させ、死を錯覚させるほどの恐怖。
私は体から力が抜けて、思わず膝をついた。この姿勢でも、体を支えるのがやっとだ。
神。そのように形容するしかない。
「我が地に立ち入るとは、そなたはなかなか数奇な運命のようだ。どれ、これで話せるかな?」
神がそう言うと、いくらか恐怖が収まった。そっと顔を上げると、先程までの強烈な美しさはやわらぎ、目を合わさなければ、死にたくなることはなさそうだ。
「あの、ここはどこなのですか?」
「ここは、私の土地だよ。時折こうして、人間が紛れ込む。ああ、言っておくが元の場所に帰ることはできんよ。ここに来た以上、そなたは異世界へと転生させることになる」
「転生、ですか?」
「そうだ。記憶を持ったまま、異世界で一からやり直すと良い。どのような能力で転生するかは自由だがね。可能な限り希望は叶えようではないか」
ネット小説や最近のライトノベルにありがちな、異世界転生というやつではないか!
私はそれなりにその手の作品に触れていたが、いざ自分がとなると躊躇する。
だって現実になるなんて思いもしないし(あれらは娯楽だからいいのだ)、そもそも家族や友人に何も告げないままに逝ってしまうなんて。
これが、どうして喜んで旅立てよう? これから彼氏ができて(願望)、就職して、私にはまだ人生が少なくとも六十年はあったはずなのに。
それに転生、ということは私は死んでしまったのか? ここは死後の世界だったのだ。
大学からの帰り道に、トラックに轢かれるとか、子供や動物をかばって死ぬとか、でもなく忽然と死んでしまったのだ! しかもきっと、死体もない。両親は、私が死んでいるのか行方不明ながら生きているのかもわからず、悲しみに暮れてしまうだろう。私はなんて親不孝者なんだ。先に死ぬだけでなく、死に目すらも見せてあげられないなんて。
そんなのってあんまりじゃないか。死んだなら死んだって、一思いに世間にも自分にも知らしめてくれたほうが、心も落ち着くってものだ。
涙が止まらない。どうして、私がこんな。
「泣くな、泣くな。人間の悲しむ姿も美しいが、それでは先に進めぬだろう? なに、親に申し訳が立たぬと言うなら、この私がどうにかしておこう」
この神はそう言って、私の頭を優しくなでた。
それだけで、私の悲しみは全て晴れ、涙は枯れ、異世界へと転生できるという素晴らしいチャンスを手にした喜びに、心は舞い上がった。
あんまりだ! この神は私の心を弄んだのだ! あんなに悲しかったはずなのに、もうこれっぽっちも悲しみを感じない。
「涙の次は、怒りかな? だがよい。怒れる人間もまた美しい。それに悲嘆は停滞しか生まないが、憤怒は何かをなす力となるのだから。それで、そなたは何を望むのか?」
この神にとって、人の感情など娯楽の対象であり、どのようにでもできることなのだ。相手にはしてられない。
だから、せめてうんと注文をつけて、異世界へと万全の状態で行くのだ。
「ねえ、そもそも私はどんなところへ行くの?」
そういえばまだ、どんな世界へ転生するのかも聞いていない。それを聞かなければ対策もねれない。
「さあな」
「さあなって……」
「仕方あるまい。上を見上げよ。周囲を見渡せ。世界の輝ける様が見えるであろう? そなたは世界から飛び出た異物。転生などといえば聞こえは良いが、要はどこかへ放り込まねばならぬということだ。いちいち見てられんよ」
この星々のようなもの、一つ一つが世界ということか。そして私は、まるで海に捨てられるゴミのように放り投げられ、あれらのどこかへ行き着くことになるのだ。
「まあ、だが、そうだな。きっとそなたの思う、剣や魔法の世界だろう。そうした世界は多い。そなたらの世界のように、魔法が一般人から完全に隠匿されているような世界というのはそうはないことだ。それにこのあたりは神としてもなりたての、作ったばかりの世界も多いから、確率から言えば高度に発展しているような世界というのは稀だろう。そなたの世界と文明の発展具合で言えば同じか、数百年単位で昔か、そのようなものであろうよ」
どうにも世界というのも、ある程度はテンプレートというか、流行のようなものがあるらしかった。それなのに我が地球ときたら、魔法もないし、流行のあえて真逆を行くとは。
「スキルだとか、レベルだとか、そういった物がある世界はないの?」
「スキルにレベル、ああ。まあ、世界によっては『恩恵』だとか『位階』だとか呼ばれている世界もあるが、全ての世界にあるわけではない。それこそ全く魔法のない世界と同じような確率だな」
「ふーん。じゃあねえ、とりあえずアイテムボックスよ! なんでも、どんな大きさでも、無限に収納できて、内部は時間が止まって、私以外には感知したり、取り出したりできないやつ! しかも現物であるわけじゃなくて、私自身に備わった力としてね!」
「いいとも。そなただけしか使えない、無限の広さを持ち、永遠に入れたままの状態で保存可能な、収納能力だな。これでよいのか?」
あっさりと認められてしまった。
鑑定、スキル強奪、魔法の才能、無数にある候補から私が選んだのはいわゆるアイテムボックス。私専用の無限収納能力だ。
魔法の才能やスキル強奪などといったものは、万が一その世界にそれが存在していなければ全く無駄になってしまう。転生先がランダムなのだからリスキーだろう。
よしんば、転生先にそれらがなくても使えるのだとしても、かなり恐ろしいことになるはずだ。いわば地球で突然魔法を使い出すようなもの、捕まって研究所送り間違いなしだ。
そして鑑定は何かと組み合わせることが前提。それに見えるものに幅がありすぎるし、確かに情報は見えれば有利だが、決定的なものではない。
それに比べてアイテムボックスときたら。他人から目に見えないんだから、取り出す量にさえ気をつければ全く気付かれない。しかも商人になれば大成功待ったなしの素晴らしい能力だ。
しかもその上、他人から絶対に感知されないのだから、高く売れる禁制品を密輸することもできるし、なんなら最悪、窃盗だって可能だろう。盗んでも私以外に取り出せないのだから、証拠はない。
まあ、証拠なしで殺されるということもあるだろうから、生きるに困ったとかそういうレベルじゃなきゃ盗みなんて手を出そうとも思わないけれど。
強靭な身体能力と迷ったが、それは最悪鍛えればいいだろう。言語だって、きっと覚えられる。
「じゃあ、アイテムボックスの中に入れたら、コピーできるようにしてちょうだい。中の物を無限に取り出せるように」
しかもまだ要求していいというのだから、いわばアイテムボックスの中身が九十九個で固定されいくら使っても減らないというような、正真正銘チートのような能力も試しに言ってみる。これは通れば御の字くらいのものだ。
「まあ、いいだろう。ただし、流石に無条件とはいかん。そなたがコピーしたものは、その世界で日が沈みそしてまた日が昇ったときに消える、ということにしよう。それでよいか?」
「……ええ。もちろん」
驚いたことに、条件付きとはいえ、通ってしまった。日が沈んで昇る、ということはその日限りということだろう。
「もうよいのか?」
しかもこの神はまだまだ聞いてくるではないか。
「じゃあ、健康な体と、あと何でもすぐに学べて、しかも忘れないような能力がほしいわ!」
「なるほど。いいだろう」
病気になったらすぐ死んでしまうかもしれない。それに魔法だろうと言語だろうと、何でもすぐに学ぶことができれば大概のことはカバーできるに違いない。
超人的な身体能力とまでは言わないまでも、これくらいあれば十分だ。そもそもあまり体を動かすのは得意じゃないし。
「もうよいかな? では、力を授けよう。よい旅を、人間」
答える間もなく、私は意識を手放した。