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ラフェドに一つ欺瞞情報を依頼し、その後は裏街の方に足を運び、ベルトの爺さんに礼をする。ノイラートやシュンツェルは近くで待機だが、以前感じたピリピリした空気がなくなったなとしみじみ思う。気のせいか住人たちの表情も少し落ち着いてきているような。仕事が回っているのなら何よりだが。
ベルトの爺さんを前にして礼を言う。人間ってこういう時に余計なことを言ったりして失敗するから、慎重に気を配って最低限の挨拶と協力の礼金を置いて早めに撤退。
「あー肩がこる」
「ヴェルナー様がやらなくてもいい事もあったように思いますが」
「今日はついでもあったからな」
腕を回しながらシュンツェルにそう応じる。相手の面子の問題もあるし、ベルトの爺さん相手とかは代理に任せるにしてもそれなりの立場がないと務まらないだろう。ラフェドに関してはどっちかというと表向きにできない依頼が多いしなあ。
後は本当についでが重なっただけだ。住民の視線を思い出すと俺自身が半分見世物化していたような気もするんだがそれはそれとして。
「被害地域の人達もまだ心が折れている感じもなかったしな」
「それは確かに」
あの歓声が上がった現場を見ていれば民衆が魔軍を恐れていないことがわかる。現場や民衆の声や意欲というのは確認しておく必要があるんで、今日の寄り道は決して無駄じゃない。
そう思いながら館に戻るとすぐにリリーが出迎えてくれた。
「お疲れ様でした、ヴェルナー様。今日は徒歩なのですね」
「あちこち歩きまわってきたからね」
「あ、では上着のブラシは念入りにしておきます」
「ありがとう、頼む」
自然に頼んでしまったがそろそろこれも他人にやってもらう方がいいんだろうなあ。リリー本人は嫌がっていないとはいえ、基本的には貴族令嬢や夫人がやる事じゃない。
平民から貴族にっていうのは単純に立場の問題もあるだろうが、こういうルールやマナー的にも身につくまでは難しいものだと思うし周りも大変だ。いや間違いなく一番大変なのは本人なんだろうけど。
その意味ではもう少し俺自身が身軽な立場でいたほうが勉強期間になるんだろうか。複雑な気分だ。
そんなことを考えながら自室に戻るとフレンセンが待っていた。伯爵家騎士団内部のいくつか手配しておくことを書類にして提出され、それに対して指示。仲間とか同僚を救った騎士や従卒には敵を倒したのに匹敵する手厚い報酬をだす。
一方、勝利の酒に酔って暴れた奴が二人ほどいたらしいので上半身裸で瓦礫撤去業務に五日間参加するように厳命。相手の怪我は大したことはなかったようだが被害者にはちゃんと治療費を支払うように伝えておく。
「ちょっとたるんで来たか?」
「団長が慢心しているのを鍛え直さなければいけないとお怒りでした」
「マックスは怒るだろうな」
他人事のように済ませていい問題でもないか。勝ちが続くとどうしても緩みが出てくるからな。一度締め直す必要はあるだろうがそれはマックスに任せておいてもいいような気がしなくもない。なんせ俺だと年齢的な重みが足りないし。とは言え顔を出しておくことも重要だろうか。
そのあたりを考えつつ書類にサインをしているとフレンセンが自分の机の上に置いてあった手のひらに乗るほどの小さな壺と固形物を入れた包みを持ってきた。
「それとこちらですが」
「ああ、早かったな」
「見本ならすぐですが、液体の方は運送に手間と時間がかかるとのことです」
「まあなあ」
ちょうどそこで扉がノックされた。リリーが茶を用意してきてくれたようなので入室してもらう。
「わざわざ悪いな」
「お疲れ様です、ヴェルナー様。お茶をお持ちしました」
「ありがとう。慣れた?」
「……正直に言えば、あまり」
困ったような顔を浮かべているがさすがに一日二日じゃ無理だろうなと思う。とは言えこればっかりは慣れてもらうしかないんだが、時々気分転換の場を作ってあげないといけないだろうな。
先日からツェアフェルト邸にはアネットさんが住み込みで働くことになっている。名目は母の侍女だが実質的にはリリーの護衛・補佐役兼教育係だ。邸内では侍女の格好でリリーについてもらっている。
あのイェーリング伯爵の一件、国からの処罰は決して重いものではなかった。叱責と一時的な騎士称号の凍結。自宅謹慎とかそんなイメージになるんだろうか。あの一件は結果的にはむしろ功績と言ってもいいぐらいだから、そのうち女性騎士に戻ることも内定している。
だが貴族家って言うのは面子も大事なので、いきなり斬りかかったという行為そのものが実家や一族からは批判の対象になってしまった。勘当こそされていないが両親からはかなり厳しく叱責されたらしい。そこで父が礼儀の再教育という名目でツェアフェルト邸で働くような立場を準備した、という流れになる。
アネットさんはれっきとした貴族家の出身なので侍女をするのに問題はない。むしろピラミッドで言えば中流貴族以上の地位になるんで、多数の貴族女性の上に立つ立場になるリリーの方に慣れてもらう必要がある。平民だった頃は下級貴族でも頭を下げるのが当たり前だった生活から、逆に下級貴族に頭を下げられる側に変わるんだからこれは結構な立場の変化だろう。
それに慣れてもらう必要があるという事で、アネットさんにはむしろリリー付きの侍女のような立場になってもらっている。母親役を任せたり侍女役を任せたりとなんか申し訳ないんだが、本人も納得しているし、今回に関しては期間限定になる侍女の真似事をちょっと楽しんでいるようなところもあるようだ。
だが親しくなった貴族階級出身の女性騎士が部下のように振る舞ってくるリリーの方が感情の置き場に苦慮している様子。わからんでもない。あれだ、定年退職した以前の上司が再雇用で部下になったような感覚。居心地の悪さが半端ないんだよなあれ。
何となくそんなことを思いながら壺の中身を確認する。実物を見たのは俺も初めてだな。匂いを嗅いだりしているとリリーが紅茶をテーブルの上に置いてくれた。ちょうどいいのでそのティースプーンを使ってとろみのある壺の中身を掬いとって舐めてみる。
不思議そうな表情をしているリリーに壺を差し出した。
「舐めてみる?」
「よろしいのですか?」
「大量にはお勧めしないけど」
「で、では少しだけ」
興味津々という感じでティースプーンから手の甲に移して不思議そうに見たり匂いを嗅いだりしてから舐めている。どこか初めて貰った餌の匂いを嗅いでる子犬を連想させるなあ。
「少し甘いです」
「砂糖ほどじゃないけどね」
「それ、何ですか?」
「絵具の材料かな」
間違いじゃないが事実の全てでもない。こいつはアルコールの一種でグリセリンという。石鹸を作る際の副産物として前世でも割と古くから存在している。
グリセリン自体は植物油や獣脂などから作る事ができるが、絵画材料としては顔料を水になじませるために湿潤剤として加えて使う。前世では食品添加物として甘みがあってとろみがつけられるのでシリアルや飴なんかにも使われていたはずだ。
ちなみに原料の豆とかから抽出してあるため、栄養価が凝縮されたカロリーの塊でもある。同じ甘さなら砂糖水の方がカロリーが低い。
グリセリンはダイナマイトであるニトログリセリンを作る際の原料の一つだが、さすがにニトロを作るつもりはない。って言うかさすがに作り方は詳しく知らんし、この世界の一般常識でニトロなんか作ったら爆発事故間違いなしだ。魔物より危ないかもしれないんで作る気にはならない。
このグリセリンと様々な顔料、それにマメ科の低木から取れる樹液なんかを混ぜて絵具を作れるらしいが、作り方そのものは詳しく知らない。ツェアフェルト領の特産品であるマメ科の植物から作られるから知識として身につけただけだ。
詳しい作り方はノルベルトに聞いたほうが早いだろうし、フレンセンにも調べさせている。
「こっちは気にしなくてもいい。その代わりにちょっと頼みがあるんだけど」
「何でしょうか」
「アリーさんたちと一緒にやってほしいんだけど……」
詳しく説明したら首を傾げつつ了解してもらった。まあそんなものを何で今ごろとは思うだろうな。
「解りました」
「悪いね」
そう言いながらフレンセンに軽く合図をして席を外してもらう。
「リリー」
「は、はい」
「すまない」
「え?」
きょとんとされてしまった。確かに言葉足らずではあるんだがまず謝りたかったんだよ。
「まずこの間、危険な目にあわせてしまった件」
「あ、あれは仕方がないと……」
「仕方がなかったかもしれないが、俺の油断は否定できない。だから謝らせてほしい」
「わ、解りましたから、頭を上げてください」
そう言って立ち上がり頭を下げたらものすごく慌てた声で反応が返って来た。慌てさせる意図はなかったんだけどな。むしろ自己満足に近い所さえあるが、それでも有耶無耶にする事ができなかっただけだ。
「それと、現状もだな」
「現状?」
「なんだかんだで政治的な配慮みたいなものが働いているから」
本当にこれが申し訳ない所がある。周囲にいる人間には実質的な婚約だと伝わっているだろうが、公然と発表していないせいで時々妙な奴が首を突っ込みそうになるのも事実だ。馬に蹴られて海の彼方にまで飛んでいけまったく。
「陛下の前でリリーを妻にと宣言はしてきた」
「え……」
驚いた表情を浮かべられたが、あげて落とすような気がして内心気が引ける。もう一度頭を下げるしかない。
「けど、今はまだリリーを伯爵家に迎え入れる事ができない。本当にすまない」
「い、いえ、ええと……」
少し狼狽えたような声の後に大きく深呼吸している様子。だがその後に毅然とした、としか表現しようがない声が続いた。
「ヴェルナー様。ヴェルナー様は、ずっと私を守ってくださっています。あの時からずっと」
あの時ってのはアーレア村の時の事だろうか。考えてみればあの時初めて会ったんだよなあ。なんか今だと信じられん。
「でも、王都の人たちも、他の人たちも、みんなヴェルナー様が守っていらっしゃいます。ヴェルナー様がたくさんの笑顔を守ったのも知っています。ですから……」
一息ついたリリーがはっきりとした声で口を開いた。
「ですから、待てます。他の人たちから目を離しても大丈夫だと思える時を。私だけを見てくださることができるようになる時を、いつまででもお待ちします。その間、私もヴェルナー様に置いて行かれないように努力できますから」
思わずため息。いやほんと、何でこんないい子が一途に俺の方を見てくれてるんだか。なんか転生した後の人生運はこれだけで使い切っているような気もする。
立場上、敵に恨まれたり憎まれたりするのは仕方がないが、罪名とか悪名とかは残せないと改めて思うよ。
「……ありがとう。婚約のかわりというと少し違うかもしれないけど」
そう答えて用意しておいた箱を取り出す。中は指輪じゃなくてネックレスだ。トップは銀細工と柘榴石で形作った花束を細かい細工の唐草模様のリボンがまとめているような形状になっている。リボンをまとめる飾りボタンのデザインは黒尖晶石でできていて、我ながら独占欲むき出しだよなこれ。
「あ、ありがとうございます……!」
いかん、直視できんぐらい嬉しそうな笑顔。こっちの顔が赤くなりそうだ。
183話で「寄り道」した結果を前回受け取っています。
既成品ではなくデザイン注文したんで時間がかかっています。
意味は
・ネックレス → 相手の無事を祈る、独り占め
・柘榴石 → 一途な愛
中世欧州では戦いに赴く騎士が恋人や妻に柘榴石を贈り、変わらぬ愛を誓ったそうです。
・唐草模様 → 強い絆
・リボン → (人と人を)結びつける
・黒尖晶石 → 魔除け・厄除け
ついでに黒はヴェルナーの色でもあります。
がちがちですね(笑)