――212(●)――
昨日は私用で時間を取られて更新できませんでした、ごめんなさい。
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時系列は遡る。
ツェアフェルト隊が二角獣をひきつけていた頃、四天王ムブリアルは周囲の混乱に僅かな不快さを見せたようであったが、それでも歩みを止めず王都に攻撃を開始していた。
ムブリアル本来の目的は王都の魔法水晶を奪い持ち帰ることにある。そのためには自分一体でも十分すぎる戦力であると思っていた。部下を引き連れてきたのは、人間の抵抗を考慮したのではなく、捜索にかかる手間を考慮したことと、ついでに町を一つ攻め滅ぼしそのエネルギーを用いて同行していた魔物を強化させることが目的であったといえる。
実力差がありすぎると認識していることもあり、周囲で行われている人間の小細工にはさほどの興味を示さず、王都の城壁に巨大な獅子の足を叩きつけようとした。
城壁上の兵士たちが悲鳴を上げて逃げ惑うのを無視して足を振り下ろす。ほとんどの建築物であればこの一撃で崩れ去ったであろう。
だがその獅子の足は城壁に届かなかった。ムブリアルが鷲の瞳に怪訝な感情を浮かべ、今度は後足で立ち上がると体重をかけるように城壁上に両方の前足を振り下ろす。逃げようとした兵士が悲鳴を上げて城壁から落下した。
だが城壁は壊れない。城壁の凹凸である鋸歯の部分さえ欠けることがない。人間数人を同時に踏み潰せそうな巨大な足を前に、へたり込んでいた騎士の一人が我に返ったようにその場から走り去った。ムブリアルはそれに目を向けることもせず、結界は失われているはずだと不思議そうに鷲の首を傾げている。
その直後、ムブリアルと一つ目巨人に向かい、空気を切り裂く音が届く。城壁上からの反撃が始まったのである。
強靭な防御力を持ち巨大な建築物ほどの大きさがあるムブリアルには弩弓どころか普通の弩砲でさえそれほどの効果が与えられないはずであった。だが、ムブリアルはもちろん、一つ目巨人にも弩砲から射出された矢が突き刺さりムブリアルの肉体にも鏃が食い込む。
ムブリアルが不快そうに声を上げると城壁上に載せた腕を振るいそこにいる兵士たちをなぎ倒した。それでも王国軍は怯む事なく、離れた所から飛んでくる矢が体のあちこちに突き刺さる。城壁そのものが壊れないと知った兵士たちが、乗り越えさせることだけはさせまいと攻勢を強めているのだ。
やがて、ムブリアルや一つ目巨人たちが不快と苦痛の声を上げ始めた。体に突き刺さった矢が普通の矢ではなかったためである。
今回、王国軍が射出している矢には、鏃部分が大きくなることを承知の上で、矢そのものを金属製としたうえで重量を増やし、さらに魔石を設置し加熱する魔道具になっている。極端な言い方をすると、アイロンを矢に変えて相手の体に打ち込むような形となっているのだ。
重量とバランスが悪くなるため、弩砲で打ち出しても命中精度が低く射程も短くなる。そのため、相手が至近距離に近づいてから、魔物由来の素材で威力を上げた弩砲で無理矢理に射出し命中させているのだが、これにより刺さった場所で相手に苦痛を与え続けるという効果がある。
ムブリアルほどの巨体であればまだそれほどの影響はないが、一つ目巨人にとっては不愉快極まりない。人間サイズで言えば体に刺さった五寸釘が過熱され続け体内から焼かれているようなものだからだ。視界を失っただけではなく、体内から焼かれ始めているのである。
いくら痛覚などが人間と違う魔物であっても、そのような攻撃を受けていれば腹も立つし不快にもなる。ムブリアルも憤激の声を上げ、城壁にその怒りを叩きつけようとしたが、その剛腕も城壁に当たる寸前に空中で停止させられていた。
城壁が見える物見塔からの使者からの報告を受け、王と周囲の大臣たちは小さく安堵の息を吐いた。
「魔術師隊長、見事だ。結界は無事機能しておるようだの」
「恐れ入ります。こちらにいるハルティング嬢がいなければ危ない所でございました」
「うむ、話は聞いておる。よくやってくれた」
「きょ、恐縮です」
王から称賛の声をかけられ、跪いていたリリーが緊張したように頭を深く下げる。
事実、書庫の調査に入った魔術師隊長たちはリリーがいなければもっと時間がかかっていたことは間違いない。リリーが作成していた書庫の図面を参考に調査点を絞り込む事ができたことに端を発し、ヴェルナーも不審に思っていた書庫の棚の大きくずれている場所の、絨毯と言うよりも床カバーに疑いを持ちそこを重点的に調べたのだ。後に魔術師隊長は「絨毯本来の目的は、床に描かれた魔法陣を守るための物であるように思えた」と語っている。
そしてその部分に描かれていた魔法陣は確かに傷がついていた。王都襲撃時まで発覚しないようにするためであったのだろう。床そのものは大きく破損はしていなかったが、魔法陣の一部が消されていたのである。
それを見た魔術師隊長や研究者は蒼白になった。魔法陣を描くことはできても、どのような模様であったのかがわからなければ描きようがない。それでも研究者たちが資料を調べようとした所で、許可を得て書庫に入り魔法陣を見たリリーが声を上げたのである。
『見覚えがあります。どんな模様が描かれていたのか、大体ならわかります』
無論、リリーは魔法陣には詳しくない。だがこの魔法陣の図は、ユリアーネに拉致された場所の床に描かれていたものと同じデザインであった。描かれていた線の意味は全く分からなかったが、絵や模様としておおよその形状を覚えていたのである。
大筋のラインだけしかわからなかったとはいえ、そこまで分かれば調べるべき資料は絞られる。また描かれていたことが解っているのだから調査員を派遣して細部を確認することもできる。
結果的に、資料の中で死蔵されていた用途不明で描いても魔力不足で起動しなかった魔法陣がそれだとされ、さらに細部の不明部分も遺跡の魔法陣を調査して修復する事ができたのだ。
「通常時の結界は魔物が近づくことを忌避させるものでありますが、あの魔法陣と連動させて大量の魔力を供給することで城壁の強度も向上させる事ができるようです」
「王都の上下水道そのものが大きな結界の一部であったとはな」
魔法陣の復旧を済ませた途端、魔道具研究者たちが戦そっちのけで資料整理と議論を始めてしまっているのは、魔術師隊長に苦笑いを浮かべさせるに十分ではあった。とはいえ彼ら研究職が戦場に出るようではすでに負け戦であろう、と思考を切り替えている。
「ふむ、つまり、王都の地下に封印されていたそれが復活し、結界を傷つけたほうが魔王の復活よりも先だったということになるのか」
「相手はそのように言っておりました」
戦況がここまでは王国軍に有利に進んでいる事を知り、短くではあるが前後の状況を問われたリリーは、国王を前にして多少震えた声であったがなんとか事情を説明し終えて小さく息を吐いた。
多少、どうして自分がここにいるのだろうと困惑しているのは間違いない。だが王国上層部からすれば重要人物の一人であり、むしろここの方が安全なのである。その意味では認識に多少のずれはあった。
「魔王復活よりも前に魔将が蘇っていたとは」
「その事ですが、相手は魔将ではなかったように思われます」
リリーと共にその場にいた近衛副団長ゴレツカが口を開く。王と宰相に視線で問いかけられたゴレツカの説明によると、魔将を倒した際に残る黒い宝石が見つからなかったというのだ。
融ける、と言う発言もあったとして、魔将とは異なる存在であるという点に王や大臣たちも同意した。
「魔王復活をもたらした巫女……魔巫女とでも仮称しておきますか」
「うむ。その魔巫女がどのように王都から抜け出したのかなどには不明な点もあるがな」
大臣たちの発言にリリーとゴレツカがそれぞれに複雑な表情を浮かべる。二人からすればユリアーネの名前を他人がいる場で口にするわけにもいかず、ややぼかした説明になっているのであるから仕方がないであろう。何しろ、この会議室では王の周囲に他の大臣や騎士たちがいる状況であるからだ。
無論、詳細な情報に関しては後日ということで話はついているが、現状でも簡単な情報を聞きたいと思う人物がいることもまた確かである。特に王都防衛に直接関係していない貴族や大臣からすれば、現状ではやることがないので好奇心が優先されていることも事実だ。
「ツェアフェルト子爵はその件に関してなにか言っていなかったか」
「何かにはお気づきの様子でしたが、詳しく話を聞く時間もなく……」
王の問いにリリーが頭を下げつつ答える。王も頷いた。状況が状況なのだから仕方がないと思える。王がさらに口を開いた途端、建物全体が大きく振動した。部屋の外から悲鳴が漏れ、王のいる会議室にまで聞こえてくる。
「何があった」
「すぐに調べてまいります」
偵察を命じられた騎士の一人が部屋から出ていくとすぐに戻って来た。廊下の窓が多数割れており、それによる負傷者も出ている、と言うのである。
「侵入されたのか」
「いえ、恐らくは巨大な魔法のようなものの影響ではないかと」
「念のため警戒を強化せよ」
「はっ」
物見塔から戦況を確認していた王太子ヒュベルとグリュンディング公爵は、ムブリアルの一撃でも城壁に全く影響が出ないことにさすがに安堵の息を吐いていた。
「あの結界が無事であることは大きいですな」
「うむ」
結界が破壊されていたという事を聞き、一時は顔色を変えた二人ではあったが、その後復旧が間に合った事で精神的には余裕を持つ事ができるようになっている。仮に複数の一つ目巨人に城壁を数カ所で破壊され、そこから魔物の集団が押し寄せてきたら防衛しきれないことになっていたであろう。
「城外の戦況はどうか」
「はっきりとはわかりませんが不利になったという報告も上がっておりません」
傍にいた騎士の一人がそう応じた途端、空気の流れが変わった。比喩ではない。城壁上に頭が見えるムブリアルが、突然大音量の吸気音をあげて空気を吸い込み始めたのだ。それなりに距離のある塔の上にいるヒュベルたちですら突然巻き起こった突風に窓から遠ざかる。
ムブリアルが大きく翼を羽ばたかせると、城壁を越えて無数といえる数の、光を反射する何かが王都の空に飛び散った。
次の瞬間、ムブリアルが吼えた。鷲の嘴の中から巨大な暴風が発生し、城壁の上にいた兵士が宙を舞い、城壁付近の家屋の屋根を吹き飛ばし、王都の上空で巨大な爆音を発生させて周囲に衝撃波をまき散らした。そこに王都住民の悲鳴が重なる。
同時に、爆発の途中で巨大な暴風に飲み込まれた光点が、その風を吸い込むとその周囲に黒い靄のようなものが生まれ、それがさらに姿を変えていく。やがて怒りの悪魔が翼を広げて王都上空を飛び回り始めた。
「あれは……」
「魔物を生み出したのか。あの投げ込んだものは魔物の核となる物だったという事か」
さすがにグリュンディング公爵と王太子が驚きの声を上げる。ムブリアルは核を先に投げ込み、そこに巨大な魔力と暴風を叩きつけるように送り込むことで、魔物として生み出してしまったのだ。
さらに城壁付近でも状況が変わった。その様子は城壁内外の兵士や住民を驚愕させるに足るものであっただろう。城壁外でかろうじて視界を回復させた一つ目巨人の数体が、周囲で戦っていた闇の騎士を掴み上げると城内に投げ込んだのだ。
ヴェルナーの前世でも投石機を使い人間の死体を城内に撃ち込んだ事はある。だがそれは死体から疫病を蔓延させたり、心理的に相手に恐怖を与えるための物であった。
だが魔物の場合は違う。闇の騎士たちは王都内にある家屋の屋根を突き破り、その下の建物を破壊して墜落してからも人間と違いまだ動き戦う事ができる。
忌避していた結界の内部に力ずくで投げ込まれた闇の騎士は、瓦礫を押しのけて立ち上がり剣を振るい始めた。
驚きはしたが動揺したわけではない。方法こそ予想外であったが城壁を越えられることは覚悟もしていた。ヒュベルは前線指揮所となっている塔の上から色違いの旗を広げ、更に金属板による点滅で城内の衛兵たちに位置の指示を出す。
もともと王都の道を補修した際、道の多くに名前が付けられているのがここで生きた。旗の色と光点だけで目的をある程度は指定できるのである。高所から指示を出しながら、城内に投げ込まれた闇の騎士たちを各個に撃破するように指示を飛ばす。
ここまで出番がなかった衛兵たちには傷付いた闇の騎士は格好の獲物である。喊声を上げて恐れることなく周囲から襲い掛かった。
同時に、空中を舞う怒りの悪魔たちにも攻撃が向かう。弩砲の矢が下から撃ちあがってきたのである。
単純に弩砲を九〇度傾けて上向きに打てるようにした代物であるが、飛行する魔物がいるのだから城壁上には普段からこのタイプの物も設置はされていた。
だがこれも改良が施されている。回転台に載せられ牽引式弩砲のように台座に載せられて動く事ができるため、向きと角度を調節することで上空広範囲を狙えるようになっているのだ。
この対空迎撃型弩砲はあえて王都の市街と城内に配置されていた。高高度上空から魔法攻撃ができない可能性は既に指摘されていたため、人間を襲撃するためには逆に降下してくるであろうことが想定されていたからだ。
多方向から降下してくる相手を集中射撃することで、城内に入り込んだ飛行戦力を早期に撃滅するための部隊として編成されていたのである。
対空迎撃型弩砲を操るのは貴族家の騎士団が主であるが、ヴェルナーやマゼルと共に学園に通っていた者たちもいる。そしてこの弩砲を狙い降下してきた怒りの悪魔たちに、第二第三の攻撃が向けられた。
ここまで城外での戦いに参加することがなかった冒険者たちが一斉に集まり襲い掛かってきたのである。元々少数で動く冒険者たちを組織的に動かすことは難しい。それならばいっそ城壁内に敵が侵入した際の防衛戦力と遊撃兵力として、大きく二つに分けて城内に残しておいたのだ。
冒険者たちが魔除け薬を投げつけ、まき散らし、弩砲を狙う怒りの悪魔たちに攻撃を躊躇させる。そこに弓を持つ冒険者の矢が狙い打たれ、自動的に巻き上げられる弩砲の矢が怒りの悪魔を刺し貫く。
城内全体の指揮を執りながら、王太子は城外にいる相手にはあえて何の対応もしていない。一つ目巨人らへの対応は城外の兵力に任せておけばよいと思っている。
その物見塔の一つに怒りの悪魔の一体が向かってきたが、魔術師隊の精鋭と近衛が対抗するため、魔軍側は攻撃しようにも近づく事ができず、範囲魔法を打ち込もうにもその余裕がない。
怒りの悪魔たちにとって誤算であったのは、範囲魔法を思うように行使できない事であっただろう。結界を強化するための魔法陣が王都内部の魔力まで吸い上げているためだ。王都の中では飛行するだけで怒りの悪魔たちは精一杯であったのである。
その直後、再びの轟音がムブリアルから発せられ、振動が周囲を揺らした。さすがに王太子も顔をしかめる。だがその後は動じた様子を見せることもなく、グリュンディング公爵と共に城内の指揮へと思考を集中させた。
昨日(16日深夜)の地震、皆様は大丈夫でしたでしょうか?
被害にあわれた方にはお見舞い申し上げます。