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隣のアイツはお偉いさん⁈  作者: 海野 仁結
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第0章 はじまりは嵐の夜に?!

 黒く分厚い雲の上で、巨大な鉄のバケツをひっくり返したような轟音が響き渡る。バケツからこぼれる大量の水が絶え間なく地面に叩きつけられている。稲光は警察が犯人を捜すサーチライトのように、雲の隙間を縫って辺りを照らし出す――そんな嵐の夜だった。


 ある部屋の一角に、黒髪の少年が照らし出された。大人にも見劣りしないほどがっしりと鍛えられた体つきで、黒い詰め襟の学生服を着ている。

 彼は窓の外を眺めていた。暴風でなぎ倒されようとしている木々の、そのずっと向こうを見つめていた。


 建物のすぐそばに雷が落ちた。すべてを吹き飛ばしそうな轟音とともに、部屋全体が明るく照らされた。ベッドと机、それに本棚だけが置かれている殺風景な部屋に、少年が一人で立ちつくしている。

 机の上では、小さな写真立てが読書灯にぼんやりと照らされていた。そこには男性と、女性と、顔のよく似た三人の子どもが、それぞれ笑顔を浮かべて写っている。

 少年は写真立てに手をかけ、深いため息をついた。

「もう、いいよな……? もう、」

 終わりにしよう。そのつぶやきは雷鳴にかき消された。

 彼はそっと、かつきっぱりと、写真立てをその場に伏せた。暗闇の中でもその存在を見失わないよう、なめらかな木枠を優しくなぞり、指先が滑っていくあたりを目で追いかけて――

 唐突に、背後の暗闇に向かってつぶやいた。

「お前、そこで何をしている?」


 三度目の稲妻が走った。入口のドアの脇に、金色に透き通る髪をした少年の姿が浮かび上がった。

「さすがですね、神崎(かんざき)様」

「そんなに気配を放っていれば当然だ。何の用だ」

「今夜出発されるんでしょう。僕も同行いたします」

 お手本のような笑顔を浮かべて、金髪の少年は言った。作業服か――はたまた囚人服にも見えるカーキ色の衣服の下には、黒髪の少年と同じく鍛えられた筋肉が盛り上がっている。

 黒髪の少年はぶっきらぼうに言い放った。

「必要ない。自分の部屋に戻って、朝まで待機してろ」

「嫌です。神崎様をお護りするのが、僕の使命ですから」

 金髪の少年は少しも表情を崩さずに、首を傾げてとぼけたように言った。


「……天城(あまぎ)

 黒髪の少年が振り返った。鼻筋の通った端整な顔には苦慮の色が浮かんでいる。

 彼は眉間にしわを寄せ、少し早口になって言った。

「俺がここを出たら、お前が俺に従う必要はなくなるんだ」

「承知しています。僕は僕の意思で、あなたについて行きます」

「外に出たら何が起こるか分からない。正直言って、足手まといだ」

「今までに格闘術の訓練であなたと対戦した成績は、五十四勝五十四敗三引分きけです。そんなに役に立たない戦力じゃないと思いますが? それに、何が起こるか分からないのなら少しでも手駒がいた方がよろしいのでは?」

 次から次へと直球で反論され、黒髪の少年は舌打ちをした。

 彼は目の前で微笑んでいる顔を睨みつけながら、ゆっくりと息を吸い込み、吐き出した。

 そして右腕をすっと掲げ――目にも止まらぬ速さで拳を前方に繰り出した。


 ぱらぱらと何かが崩れる音が暗闇に響く。

 突き出された拳は、金髪の少年の耳の横一センチをかすめて背中側の壁にめり込んでいた。

 二人はしばらくの間、ぴたりと静止したまま無言で視線をぶつけあった。


 やがて、黒髪の少年は自分に向けられた薄茶色の瞳をひたと見すえて、短く言った。

「命令だ。今すぐここから出ていけ。ここで見聞きしたことは全て忘れろ」

 金髪の少年も同じように、漆黒の瞳をまっすぐ見つめ返す。

「嫌です」

 黒髪の少年はぐっと息がつまり、頭に血がのぼるのを感じた。何とか目の前の少年を説得する言葉を探していたが、ついに困惑と絶望に満ちた表情でうなだれた。

 相手が悪かった。天使みたいに穏やかな笑顔をしていて命令に逆らうことなど滅多にないくせに、ごくまれに何かを言い出すと絶対に曲げないことがある。

 こうなってはもう何も聞き入れようとしないのは、十年近くになる付きあいで分かっていた。


 黒髪の少年は絞り出すようにつぶやいた。

「……お前を、巻き込みたくない」

 金髪の少年はふと真面目な顔になり、壁に押し当てられたままの拳にそっと手をかけた。力の抜けた腕をとり、どこからか取り出したガーゼで血がにじんでいる箇所を素早く処置する。

 丁寧に手当てを終えると、彼は小動物を温めるような手つきでその拳を包み込んだ。

「僕は、そんなあなたをお護りしたいんです。隼斗(はやと)様」

 黒髪の少年はうつむいたまま動かない。金髪の少年は穏やかな口調で、たたみかけるように続けた。

「もし許してもらえなかったとしても、僕は勝手について行きます」

 黒髪の少年が顔を上げると、目の前の少年は忠犬のように、期待が込められた笑顔で主人の返事を待っている。

 彼は首を振り、盛大にため息をついた。

「……もう知らん。好きにしろ」

 金髪の少年は元気よく、はい、と返事をした。


 四度目に雷が光った時、二人の少年は姿を消していた。

 空っぽになった部屋には不自然な壁の穴と裏返しの写真立てが残され、開け放たれた窓がガタガタと音を立てて鳴っていた。


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