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わがまま王女の迷宮譚  作者: marvin
最初の授業
7/48

予鈴

 硝子の向こうを横目に眺めて、キャスロードは机に突っ伏している。あからさまに不機嫌だった。一緒に机を並べているのが、気心の知れた従騎士の二人とあって、拗ねた口許を隠そうともしない。

 キャスロードの従騎士、マリエル・クラウは修練中の近衛衛士、コルベット・カーン・ファリエットは宮廷魔術師所属の准魔術師ニオフェイトだ。キャスロードとは五歳の差だが、時間の許す限り、王女の座学にも加わっている。お目付け役を兼ねてのことだ。

 しかし、今日のキャスロードは、ことさら機嫌が宜しくない。二人に両手で引き摺られ、ようやく講義室に辿り着く有様だ。

 原因は知れている。今日の講義の担当が、例の新任講師だからだ。

 最短記録の家出の後、キャスロードは暫らく大荒れだった。いつもは一日も経てばケロリと直るが、街での一件がよほど腹に据えかねたのか、思い出しては不機嫌になる。

 その折、マリエルとコルベットは、皆の気を逸らすべく囮役を任されていた。エレイン・オーダーに見破られ、早々に懲罰を課せられていたのだが。

 キャスロードの街での騒動は、後から宮廷衛士に聞いた。

 この講義に際しても、二人はエレインからキャスロードの逃亡を阻止せよと厳命されている。次に王女を逃がそうものなら、どんな説教を戴くやも知れない。キャスロードには悪いが、背に腹は変えられなかった。

 ただ、どうにもこの講義は胡散臭い。本来、魔術の枠だったのに、突然、第二史学と題目を変えた。講師のクラン・クラインは、南縁の崖まで覗きに行った、例のモルダス老の知己と触れ込みの学士だ。

 キアノ・パルディオ学士長が、渋面を隠さず言うところ、どうやら今回の講義の内容は一般教養に留まるらしい。それこそ意味が解らない。

 モルダス老の指名とはいえ、どこの誰とも知れない学士を呼んで、わざわざ講義枠を増やすのは何故だ。しかも、予定の魔術なら兎も角、ただの一般教養だ。

 とまれ、講師の名を聞いて以来、マリエルとコルベットは気が休まらない。逃亡が叶わないと知ったキャスロードは、講義に剣を持ち込もうとしたほどだ。クラン・クラインも災難だが、王女の行動にも警戒が必要だ。

「いい加減、しゃんとしましょうよ、殿下」

「そうそう、今回はパルディオも立ち会うらしいですからね」

 窓際で不貞腐れるキャスロードに、マリエルとコルベットが声を掛ける。

 講義室の席は、前の教壇の対面にひとつ。その後ろに九つが三列ずつで並んでいる。当然、対面のひとつがキャスロードの席だ。なのに、王女はいちばん後ろに陣取って動こうとしない。

「いやだ、あやつを困らせてやる」

 そう言って、キャスロードはツン、と窓を向いた。頬を膨らませたまま、硝子に映る講義室をぼんやりと見つめている。

 講義室があるのは宮殿右翼の二階だ。白の調度で揃えた部屋で、他と同じく天井が高い。取り巻く空色の飾り壁と金の装飾が、少しばかり子供っぽいと、キャスロードは思う。たぶん、幼少の部屋に似ているからだろう。

「いや、殿下が不貞腐れたくらいで、困りやしませんって」

「コルベット」

 自由過ぎるコルベットの言葉に、マリエルが相方を窘める。

 宮廷女官の評によれば、マリエルは真面目だがどこか欠け落ちており、対してコルベットは計算高いが、いい加減だという。マリエルはキャスロードを諫めるが、コルベットは王女の悪戯を煽る。なのに、叱られるのはマリエルも一緒だ。

「では、どうするのだ」

「どうしましょうねえ」

 二人して講義室を見渡し始めた。前には広い教壇がひとつ、後ろには縦に長い扉が、端までずっと連なっている。書物や教材の納められた納戸だ。二人の視線が同じところに吸い寄せられた。

「待って、駄目です、二人とも」

 マリエルが慌てる。

 不意に扉の打ち金が鳴った。

 一拍ほど待って講義室に入ったキアノ・パルディオは、ひと気のない部屋に虚を突かれた。教壇はおろか席も無人だ。中を見渡し、廊下に出て部屋を確かめ、もういちど講義室に戻って途方に暮れた。

 納戸の扉の隙間から、キャスロードはパルディオのさまを窺っていた。頭の上にはコルベット、その上には、案の定まき込まれたマリエルが申し訳なさそうな表情で講義室を覗き込んでいる。

「なんだ、学士長ではないか」

 当ての外れたキャスロードが、押し殺した声で囁いた。

 パルディオは宮廷侍従の文官筆頭だが、体格はまるで衛士のようだった。顔も含めて全身が、兎に角、四角い。性格までがそうなのだ。エレインほどではないにせよ、真面目で厳しく融通が利かない。

 パルディオは、キャスロードの教育係として、履修の全般を担っている。ただし、今回の講義枠については陛下の信任も厚いモルダス老の管轄だ。そのせいか、クランの採用には憤懣遣る方ない様子だった。

「拙いですよ、出ましょう、殿下」

「いやいや、今出たら、余計に拙いっしょ」

 マリエルとコルベットが小声で言い争う。

「どうせ繋ぎの講義でしょうに、真面目に聴かなくったって、構いやしないって」

 コルベットが悟ったような口振りで言った。マリエルの思うところ、案外、魔術の講義を聴きたかったのは彼女の方かも知れない。コルベットの師匠は少々性格に難があり、基礎より実践を重んじる女魔術師だった。しかも毒や幻術が専門だ。

「そんなのはだめだ、講義はちゃんと聴かないと」

 それでもマリエルはコルベットに釘を刺す。

「あんた、座学は寝てるじゃないの」

 そう返されてはぐうの音も出ない。

 キャスロードが小さく笑っている。マリエルは赤くなって口籠った。そうこうするうち、また打ち金が鳴り、今度はパルディオの部下が講義室に駆け込んで来た。かなり慌てた様子だ。

「学士長、クライン講師が何処にも見当たりません」

「なんだと」

 叫んだのは納戸を開け放ったキャスロードだった。

 パルディオもその部下も、突然現れたキャスロードに仰け反っている。マリエルとコルベットは頭を抱えた。納戸を飛び出した王女の後ろから、小さくなってついて行く。

「どういうことだ、説明せよ」

 自分が隠れていたことを棚に上げ、キャスロードはパルディオたちに詰め寄った。

「その、時間通り官舎を出たとのことですが、そこから行方が知れず」

「殿下?」

 納戸にちらちら目を遣って、パルディオは状況を問いたげだ。

 キャスロードは地団太を踏んだ。

「おのれ、クラン・クライン、どこまで我を愚弄する気だ」

 キッ、とマリエルとコルベットを振り返る。

「奴を見つけ出して捕らえるぞ、何としても講義をさせてやる」

 マリエルとコルベットは顔を見合わせ、何かおかしくないか、と無言で問い合った。そうする間にもキャスロードは、猛烈な勢いで廊下に飛び出して行く。二人は慌てて後を追い掛けた。

 取り残されたパルディオは、開け放たれた納戸と講義室の扉を交互に眺め、部下に問うような視線を投げた。

 勿論、答えが返って来るはずはない。

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