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わがまま王女の迷宮譚  作者: marvin
王都大乱
42/48

王城

 市街を疾る黒い獣は、何かを求めて市環の奥へ、ひたすら宮廷環(アルフ)を目指している。馬車ほどの体躯に拘わらず、黒い獣は俊敏で疾い。街路も壁も関わりなく、縦横に街を駆けて行く。

 それらが溢れ出したのは、第四市環(レムス)の用水路を割った黒い市環だ。第三市環跡(アウグ=ラダ)、即ち、内環に相当する長さの壁の内側を、無数の黒い獣が埋め尽くしている。

「構うな、道を空けてやれ」

 ラルクは第二市環(ガウス)の際に立ち、駆り出された市警兵に指示を飛ばした。黒い獣は人を追わない。市民、衛兵を問わず、ラルクは端から戦いを避け、身を隠すようにと念を押した。

「よろしいのですか」

 さすがに不安になったのか、近衛第九隊の部下がクランに確認する。

「こいつらの処理は魔術師の仕事だ、俺たちは人死にを出さねばそれで良い」

 自ら人は襲わないが、遮るものには何であれ、黒い獣は容赦がない。目の前で竦んだ人や馬、鉢合わせた馬車などは、尽く叩き伏せられた。自ら立ちはだかるなど、ただの愚行だ、とラルクは言った。

 黒い獣を構成する霧は、触れただけで身体が麻痺する。爪牙に裂かれる傷よりも、被害の多くは昏睡だ。無謀な衛兵はそうして道に転がっている。これ以上、人員を減らすのは避けたかった。どうせ復興には人が要る。

「面倒なことばかり押し付けやがって」

 吐息と一緒にラルクはぼやく。部下が問うような目を向けると、間近で悲鳴が連なった。皆が振り向き、獣を見定めた頃には、後ろにいるはずのラルクの背中が目の前にあった。

「剣の施術が無駄にならなかっただけ、まだマシだな」

鞘の衣擦れの音がして、黒い霧が散って行く。

「ほら、さっさと誘導しないか」

 呆けた部下に声を掛け、クランは第二市環(ガウス)の先に目を遣った。

 物理的な厚みしかない第二市環(ガウス)第一市環(オーデン)では、黒い獣を留められない。魔術防御の施された宮廷環(アルフ)だけが、辛うじて侵攻を阻んでいる。だが、黒い獣の群れは最後の市環を覆いつつあった。


 緩衝機構もお構いなしに、馬車の座席は激しく揺れた。向かいの席のマリエルに現状の対応を乞われたラエルは、今の自分の知る限り、と前置きしながらも、舌も噛まずに滔々と告げた。

「対処すべきは三点です、宮廷環(アルフ)の門を術式で塞ぐこと、環内の獣を撃退すること、被害者を処置し状況の回復を図ること」

 そこで小さく息を吐く。

「勿論、いずれも根本的な解決ではありません」

 市警兵の庁舎に一報を入れ、壊れた馬車の後処理を任せた一向は、一路、宮廷を目指していた。頑健なエレインの公用車には、馬車を失ったラエル、アディも一緒に乗り合わせている。

 公用車は宮廷環(アルフ)の周路に沿って南東に廻り、最寄りの官用門を潜った。

「ラエルさまの方が教師に向いていますね」

 饒舌なラエルにマリエルは言った。訊いた本人がずれた感想を口にする。

「私はまだ教えを乞う身です」

 ラエルは応え、閉じた目許に苦笑を作った。人に教えることよりも、魔術書を抱いて籠る方が性に合っています。アディはこっそり心の内で、隣に座る師匠の言葉に付け加えた。

 在都の宮廷魔術師は、全て王城に招聘されていた。たまたま魔術師塔に駐在していたラエルも同様だ。魔術の知覚があるにせよ、外出にはアディも随行するため、今は二人してここにいる。

 普段は工房に籠って出て来ないラエルだが、たまに出てみれば面倒に会う。役職上、面倒が先のことも多いのだが、そこには大抵、アディも一緒だ。こうしていつも巻き込まれている。

「ラース師匠なら、パルディオに叱られたりしなさそうっすね」

 コルベットが呟いて、俯いた頭巾に視線を投げた。誰かと違って突っ込みどころがない。だが、聞いているのか、いないのか、キャスロードは揺れる床をじっと見つめて黙り込んでいる。

 窓に射し込む道路灯が、頭巾の上を流れて行った。馬車は宮廷環(アルフ)の内壁沿いに、宮殿へと近づいている。

「殿下、クランには会えましたか?」

 不意にラエルが王女に問い掛けた。本人よりも、両脇の二人が飛び上がった。とはいえ、こんな時間にあんな場所、キャスロードが忍んで赴くとすれば、目的が牢の中のクランであると想像に難くない。

「、なかった」

 俯いたまま、一度、口の中で呟いて、キャスロードは不意に座席にそっくり返った。ラエルを睨んで拗ねたように口を尖らせ、頭巾を掴んで引き下げる。まるでいじけた子供のようだ。

「小癪な髑髏が我を驚かせおったのだ、もう少しの所であの揺れが来て、外に出てみればエレインに捕まってしまった」

「髑髏、ですか」

「地下通路にあったのだ」

「殿下、それで逃げ帰ってきたんですか」

「逃げ帰ってなどおらん」

 キャスロードがコルベットに噛みついた。

「それで、」

 拗ねておいでなのか、とラエルが口にできなかったのは幸いだ。

 突然、馬が大きく動揺した。梶は柔軟だが小回りが弱く、四輪車は尻を振って路肩を踏んだ。緩衝を超えて座席が跳ねる。投げ出されそうなキャスロードを、マリエルが押さえ込んだ。

 馬車は揺れながら疾走した。燈の途切れた窓に目を遣って、アディは硝子越しの影に悲鳴を飲み込んだ。黒い獣が並走している。振り返ろうとした頬を突くように、杖の頭が擦り抜けた。

 かちん、と耳元で機械式の爪が音を立てる。跳ねる車輪の音よりも、排出された施術管の、床に落ちる音が大きく響いた。窓の外は無音のまま、霧散した黒い獣が背後の宵に散って行く。

「施術管はあと三本だ、難度八の結束崩壊術式が詠唱できるなら、十七頁で一本分の補充が可能だ、試してみるか?」

 鉤を引いて施術管を装填しながら、まるで薬の処方箋を読むように、ラエルは弟子にそう告げた。アディは耳元の杖を押し返し、自分の顔から遠ざけた。ラエルを憮然と振り返る。

准魔術師(ニオフェイト)に無茶を言わないでください」

 床の空管を拾って懐に仕舞う。その遣り取りに、エレインの口許が微かに綻んでいた。

 馬車の硝子が風圧に鳴った。騎兵の分隊と一頭引きだ。国印の小旗に敬礼し、そのまま走り抜けて行く。魔術師を連れた衛士隊のようだ。封鎖を強化するのだろうか、通用門を目指している。

 他の市環より少ないが、それでも宮廷環(アルフ)には大小で十七の門がある。中には格子の扉もあって、霧でできた黒い獣には抑止にならない。封印が破綻すれば素通しだ。

 今し方の黒い獣も、隙を突かれた一体だろうか。窓を覗いて騎兵を目で追いながら、キャスロードは足許が浮くような焦燥に駆られていた。門はまだ突破に至っていない、と思いたい。

 クランの言った方法に確信はない。だが、今のキャスロードにできるのはそれだけなのだ。

 進路を立て直した馬車は、宮殿左翼の端を抜け、迎賓館との間の縦貫路を北に入った。広い正殿の北に王城があり、その奥が後殿になる。公用車は王城に唯一開かれた門に着けた。

 この混乱の折、キャスロードが正門から入れば騒動になる。だが、後殿には内々にキャスロードの不在が伝えられており、馬車から降りた王女を見ても、誰も目を剥くことはなかった。

 ただし、迎えの列は物々しい。辺りには、侍従よりも帯剣、帯杖した衛士の方が数が多かった。後殿には指揮所が据えられており、在都の枢軸が一堂に会しているせいもあるのだろう。

 一行はエレインに促され、サロンを横切って集会堂を目指した。

 宮廷の緊急会議が招集されている。立案所は幾所にもあるが、施行の決定はここで行われる。とはいえ、国王不在の宮廷中枢は細事に終始し、根本の対応が難航しているようだ。

 エレインは立ち止まることなく次々に侍従を呼び寄せ、何事か囁いて行く。そのひとりが、集会堂に至る大階段の脇で合図を寄越した。傍らにキアノ・パルディオを呼び寄せている。

 パルディオは、四角い身体を心なしか縮こめ、顎に突き出た髭の端を摘まんで、神経質そうに周囲を見渡していた。ふと、キャスロードの姿に気づくや、直立不動の姿勢になった。

「すぐに参ります、お先へ」

 エレインが皆に断って、キャスロードを連れて行く。マリエルはコルベットに目配せを送り、二人に随行した。コルベットはラエルとアディを促して、先に集会堂の大階段を上がった。


「殿下、護封庁が造反しました」

 王女を前に焦ったパルディオは、前置きもなく切り出した。当然、キャスロードには訳もわからず、ただ首を傾げる。この大男が身を縮めて囁くからには、よほど外聞の悪いことに違いない。

「旧王城の一切が、封鎖されております」

「管理官が閉ざしたのか」

「はい」

「指示なくか」

「はい」

 キャスロードは、得心が行くと同時に顔を顰めた。旧王城の護りについては、衛士隊も飾りに過ぎない。おそらく管理官が黒い獣の侵攻を感知したのだろう。だが、申告もなしに封鎖とは。

 モルダスの失踪以来、大魔術師(メイガス)の役職は次官相当が代行していた。だが、護封庁は例外だ。極めて独自性の高い護封庁の実務は、実質、管理官に一任されている。その名目だけを代行したのが、キアノ・パルディオだった。

 あの感情のない管理官たちを、クランは巨人(ギガス)の義体だと言った。封印と禁忌を管理する者は、人からも掛け離れていなければならないと。彼らの行動原理は基本的に異質だ。

「封鎖が強固なら、それでよい」

 キャスロードは努めて平静に言って、顔を背けた。王城倉庫の地下道も、護封庁の管轄だ。クランを拘束したのはパルディオだ。彼が悪い訳ではない。だが、感情は追い付かない。堪えるのが精一杯だった。

「殿下?」

 パルディオが助けを求めるようにエレインに目を遣る。

「落ち度はございません、パルディオ殿」

 エレインが応えて言った。

「人には相応の分がございます」

 冷えたエレインの声が皮肉だと気づいたのは、二人が去った後だった。


「おや、ずいぶんと遅い御出座しじゃないか」

 声に気づいて見上げた階上に、彫刻のような白い脚線が伸びていた。クロウデ・シス・エシャフだ。師匠の仇敵にコルベットは小さく首を竦め、無意識に隣を行くアディの鼻の下を確かめた。

 クロウデの目線はラエルを向いているが、見せつけた身体の線も彼には無意味だ。そのせいか、彼女はいつもラエルに棘のある言葉を吐く。好悪を問わず意識されたいのがクロウデだ。

 ラエルと同じ中級魔術師(セカンドオーダー)だが、クロウデの経歴と血統は遥かに格上だった。豪奢な工房を第二市環(ガウス)に、それより派手な邸宅を第一市環(オーデン)に構えている。

 ラエルを盾に階段を上がったコルベットとアディは、その先に目を遣り、飛び上がった。コルベットの師匠、エリーダ・エル・アンノーンがいる。宮廷魔術師であるからには招聘は当然だが、近すぎる。

 リースタンの魔女と囁かれるクロウデとエリーダは、視界に入るだけで呪詛を飛ばし合うほど仲が悪い。二匹の黒猫の争いは壮絶で、巻き込み事故の被害報告が後を絶たない。

 今の二人の間には、ベリアーノ・キリク・アーデルトが挟まれていた。寸分の違いなく切り揃えた口髭の如く、生真面目を絵に描いた理論魔術師の大家だが、今は心なしか目を泳がせていた。

「申し訳ありません、シス・エシャフ」

 ラエルは階上で足を止め、クロウデに首を巡らせた。相手を確かめるような仕草は演技だ。状況は全方位で知覚している。射殺すような、逃げ出したいような、クロウデの後ろの二人の視線も。

「準備を怠ったのは不徳の致すところ、施術管が尽き帰還しました」

「なによ、生意気な奴」

 クロウデが目を細めた。容姿も相まって多分に嗜虐的だ。

 エリーダがアーデルトの後ろからコルベットに首を伸ばし、顎先でラエルの言質を問うた。細かい話はこのさい捨て置き、コルベットは師匠に向かって小刻みに頷いて見せる。

「で、何匹狩ったの」

 クロウデがラエルに問う。

「施術管は五本しか用意しておりませんでした」

「ふん」

 クロウデは鼻で笑って追い払うように掌を振った。

「せいぜい殿下をお守りしておいで、おまえが次の弾を用意している間に、全部片付いているだろうよ」

 階段を上がって来るキャスロードらに目を遣って、クロウデは優雅に首を垂れた。ラエルは彼女に一礼し、三人と合流する。縋るようなアーデルトの視線を無視して、一行は歩き出した。

 ふと、ラエルが振り返る。

「後ほど撃退数をお教え戴きたく」

 クロウデの肩先にも顔を向け、ラエルは目許で微笑んだ。

「エル・アンノーンも是非に、今後の前詠唱の参考にさせて戴きたい」

 振り向いたクロウデとエリーダの間に雷光が飛び交った。その光景が目に見えて、コルベットとアディは心の中で悲鳴を上げる。飄々と歩いて行くラエルを、二人は全力で追い掛けた。


 合流した一行は中央集会堂を横切って後殿に向かった。キャスロードに政治的な実権はないが、立場上、臣下の鼓舞は王女の勤めだ。大臣に避難を勧められ、承諾するまでが手続きだった。

 延々と続く無駄な時間を、キャスロードは必死に堪えて過ごした。

 一巡りの後、身長差のある二人の黒衣がエレインを呼んだ。王室事務次官のワイエス・ギャレットとアスタロト・フロイドだ。小柄で陽気なワイエスと長身で寡黙なアスタロトは、大抵いつも一緒にいる。

 彼らは宮廷の裏方だ。役職上は端役だが、不測の事態に好んで駆り出されている。おそらく、エレインがキャスロードの無茶を根回ししたのだろう。二人が求めているのはその対価だ。

 エレインが振り返り、キャスロードに書付を渡して壇上へと促した。アスタロトがキャスロードに目礼する。ワイエスが片目を閉じて手を振った。どうやら、皆に声を掛けろと言うことらしい。

 キャスロードは書付を眺めて口を尖らせた。幾つかの言葉は公用によく使う。覚えるのは組み合わせに過ぎない。不意にエレインが屈み込み、頭巾の下の顔を擦り上げた。

「さあ、堂々となさいませ」

 キャスロードは集会堂を見渡した。ざわめきが静かに引いて行く。いっそ気づかなければよいのに、とも思う。キャスロードにとって式典は日常だが、それでも苦手は変わらない。

「この事態にあって、皆の奮闘に感謝する」

 書付に沿う内はよいのだが、つい思うままを口にして、いつも後悔する。

「あの黒い獣らは、今も城に押し寄せている、だが、皆の力をもってすれば、壊滅も容易いであろう」

 言葉を切った。横目でこっそりエレインを窺う。キャスロードの勝手な筋書に気づいたエレインが、口許を顰めた。

「だが万一、手が及ばぬとなれば構うことはない、宮廷環(アルフ)を捨てよ、陛下は不在だ、空の城を守る必要はない」

 大勢が咽た。集会堂に喉を詰めたような吐息が溢れる。

「門を開け、獣を入れて檻にするがよい」

 慌てる皆をよそに、キャスロードは言葉を継いだ。

「まあ、そうなると、私は寝床を借りなければならないが」

 袖に控えたコルベットが呆れたように呟いている。

「これはクラン先生の影響だね」

 書付になければ、考えて選ぶほどの語彙はなく、ただ思うことしか口にできない。だが、それも言い訳だ。キャスロードは続けた。

「街に被害があると聞く、皆が守るのは城ではない、人である、忌事は我が引き受けた、どうか自身と市民を顧みるよう、切に願う」

 キャスロードは言葉を諦め、小さく皆に頷いて見せた。終了の合図に姿勢を正す枢軸を仰いで、言葉を掛ける。

「後の指揮は卿らに一任する、以上だ」

 言い切って集会堂を見渡すと、抑えた表情が崩れる前に、キャスロードは檀を降りた。逃げるような足取りで袖を駆け抜け、集会堂を飛び出して行く。マリエルとコルベットが追い付いて、キャスロードの隣に並んだ。

「見ましたか、皆の顔」

 マリエルが呆れた顔で言った。

「それより寝床は何処にします、グランベル公の邸宅なんていいと思いませんか」

 コルベットが笑う。

「馬鹿者、まずはこの騒ぎを解決するのだ」

 キャスロードは耳まで真っ赤になって、二人にそう宣言した。

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