表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
わがまま王女の迷宮譚  作者: marvin
王都大乱
40/48

消失

 足音は、気の急くままに駆けて行く。床を照らした青い光の中を、影と衣擦れが横切って行く。ふと立ち止まっては、足を引き摺るようにゆっくり歩く。それを繰り返している。引き返そうかと迷っているようだ。

 キャスロードは、何度も後ろを振り返った。マリエルとコルベットは外に置いて来た。今は王権通廊に独りきりだ。嫌で不安でたまらない。それでも自分が行かねばならない。それはわかっている。

 キャスロードは小刻みに息を整えた。

 クランの投獄された上級拘留棟は、第一市環(オーデン)の左翼だ。モルダス捜索に乗り込んだ、あの魔術師塔にほど近い。東寄りの宮廷環(アルフ)の壁龕に、牢に続く秘密の開口があった。

 クランの獄舎は棟の最深にあり、その場に通廊の枝先が繋がっている。出来過ぎだ。そのために造られたのか、とさえ思えた。昔から、この牢は王族の秘事に関わっていたのかも知れない。近年は、カーディフ叔父の牢だったらしい。

 クランの話が本当なら、叔父は旧王城で王印を奪われ、投獄された。脱獄はその後だ。おそらく、王弟派の手引きがあったのだろう。王印がなければ、この通廊を通ることができないからだ。

 だが、せっかく牢を出た叔父は、旧王城でも国外でもなく、大空洞の工房を目指した。王印の奪還よりも、身の安全よりも、望みの場所に行こうとした。それは、逃走と言えるだろうか。

 自分はどうだろう。

 助けられ、逆恨みして、いじけたまま現状に甘んじている。それこそ逃走だ。責任からも、冒険からも逃げ出した。よりによってクランなんかに、こんな格好の悪い辱めを受けたまま。

 気後れよりも、不安よりも、それが悔しい。キャスロードは再び駆け出した。

 拘留棟までの道筋はそう遠くない。しかし、この辺りの王権通廊は少し雰囲気が異なっていた。埃っぽくて澱んでいる。まるで普通の地下道だ。いつもの冷えて澄んだ空気がない。

 柱を見つけたキャスロードは、念のため地図を呼び出した。クランに教えて貰ったやり方も、今では自然に使いこなせる。気を取り直して地図を見た。案の定、牢への出口はすぐそこだ。

 俯瞰図の光の端に黒い影が被った。壁際に目を遣ると、布の塊が放置されている。昔の王族が残したのだろうか。キャスロードの知る限り、通廊に何かあること自体が珍しい。

 何も考えずに布を掴んだキャスロードは、すぐさま後悔した。積木が崩れるような感触があり、丸いものが転がり出た。ばらばらと髪を撒きながら、干乾びた頭が転がって行く。

 頭の中が真っ白になった。悲鳴を喉に詰まらせて、キャスロードはぶんぶんと手振り、手から振り払った。からからと、乾いた音が連なって行く。キャスロードは転がるように駆け出した。

 王権通廊は国と同じだけの歴史がある。ましてやここは牢獄の近くだ。死体があってもおかしくはない。勿論、キャスロードがそう思い至ったのは、開口に辿り着き、少し落ち着きを取り戻した後だ。

 荒い息を整えると、ようやく辺りに注意を払うだけの余裕が出た。通廊の先は、どうやら長い廊下だ。柱の影に隠された扉を抜けると、すでに詰所の内側にいる。

 真っ直ぐで薄暗い廊下だった。奥に照らされた部屋がある。床に格子の影が映っていた。もう一度、辺りの気配を伺ってから、キャスロードは奥の部屋に向かって駆け出した。

「クラン」

 落とした声で名前を呼ぶ。

「クラン」

 格子を掴んで部屋の中を見渡した。机と寝台と下の抜けた衝立が一枚。隠れる場所など何処にもないのに、クランの姿が見当たらない。もしや、別の場所に連れて行かれてしまったのか。

「やっと来たのか、遅かったじゃないか」

 不意に目の前に現れたクランに、キャスロードは驚いて仰け反った。何処に隠れていたものか、クランは惚けた顔で微笑んでいる。頭の中で何度も繰り返した言葉が、すっかり飛んでしまった。

「サルカンよりは巧くやったつもりだが、俺もそんなに時間がない」

 頭を掻いてクランが言う。

「何を言って、」

 キャスロードの声が途切れた。目を見開き、また目を細める。クランの姿をまじまじと見つめた。格子を握る指が真っ白になる。クランの向こう側が見えた。クランの身体が透けている。

「ほら、この有様」

 両手を広げておどけて見せるが、キャスロードは悲鳴を噛み殺すので精一杯だった。

「俺を霊槽(ヴァルハラ)に押し込むなんぞ、無茶にも程がある、予想通りなら、じき破裂して街が酷いことになるだろう、危ないから第三市環跡(アウグ=ラダ)には近づくんじゃないぞ」

 口調はいつもの詮無い愚痴だが、クランの言うことが、まるでわからない。

「クラン」

 ようやく洩らした声は、啜り泣きのように引き攣れていた。

「そうだ、時間がないんだった」

 そのクランの声さえ心許なく、別の所から聞こえるようだ。透けたクランは、格子にしがみつくキャスロードに顔を寄せた。あの日みたモルダスのように青白く、次第に薄くなって行く。

「城に行って王印を取り上げろ、やり方はわかるな?」

「取り上げるって、誰の」

 キャスロードは、問い返す自分の声をぼんやりと聞いた。

「カーディフの印だ」

「でも、叔父上は」

 クランはあまりにいつもの通りで、なのに今にも消えそうだ。頭が追い付かない。

「混じって権限が揺らいでいるが、消してしまえば面倒も起こせない、説教はその後だ」

 クランはふとキャスロードの視線に気づいて、手を顔に翳した。

「気を抜くと早いな」

「クラン」

 クランはその手を血の気を失ったキャスロードの頬に伸ばした。

「今やれるのは、キャスだけだ、相手は判るな?」

 頬にクランの指先を感じない、包むように覆った手も空に触れただけだ。

「逃げるな、負けるな、考えてから動け、俺に格好いいところを見せるんだ、いいな?」

 真っ黒なはずのクランの瞳は、見上げる天井が透けて見える。

「最後の最後まで頑張ったら、俺を呼べ」

 クランはそう言って、笑った。

「そうしたら褒めてやる」

 格子を擦り抜けていたクランの手は薄くなり、

「しまった、壁抜けができるなら、そのままここを出ればよかった」

 最後に馬鹿みたいに呟いて消えた。

 そのまま時間が止まったような空隙のあと、不意に足下が突き上げられた。呆けたキャスロードを揺さぶるように、地面の底から大きな拳が打ち付けられる。何度も、何度も衝撃が続いた。

 廊下が軋んで音を立て、ぱらぱらと塵が降り注いだ。鉄の臭いが周囲に満ちる。キャスロードは格子にしがみついたまま、揺れて額を打ち付けた。そのせいで、誰もいない牢に焦点が合った。

 叫びは声にならなかった。ただ長い吐息の破裂になった。格子を掴んで引き剥がさんばかりに手が震え、自分から何度も身体を打ち付けた。もうひとりの自分が、ずっと心の中で繰り返している。

 逃げるな。負けるな。考えてから動け。クランに格好いいところを見せるのだ。

 大きな揺れが退き、時折りの地鳴りに変わると、キャスロードは立ち上がって廊下を引き返した。詰所の衛士がいつ来てもおかしくない。揺れのせいか、何度も脚が縺れて壁に縋った。

 考えろ、考えろ、考えろ。クランは言った。これは自分にしかできない。

 霞む目に苛立ち、顔を擦った。知らない間に泣いていた。まだぼろぼろと溢れる涙は、皆に会うまでに乾かさねばならない。事を成して、取り戻すのだ。あれが敵なら、気取られてはならない。

 絶対にクランを取り戻すのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ