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わがまま王女の迷宮譚  作者: marvin
前章
1/48

魔術師の災難

 心許ない黄色の帯が、天に捻れて伸びて行く。今にも闇に融けそうな薄ぼんやりした魔術の灯を見上げ、アディ・ファランドは溜息を吐いた。底意地の悪い階段は、小塔の内壁を延々と周っている。

 これを上に一〇階、さらに折り返して七階を下る。それぞれの階で在室と施錠を確かめ、雑務があれば引き受ける。この塔を利用する者はほとんどないが、管理はアディの重要な仕事だ。

 何せ塔に名を連ねるのは七人の宮廷魔術師だ。まだ准魔術師(ニオフェイト)の若輩など、本来なら立ち入ることも許されない。たとえ使用人以下の雑務であれ、これは身に余る要職なのだ。

 そうだ、考えろ。考えろ。

 溜息と一緒に首を振る。小賢しいだけの下町育ちが、ふとした拍子に大魔術師(メイガス)に拾われ、今に至った。それで一生分の運を使い尽くしたのだとしても、釣銭で城が買えるほどだ。

 アディは手持ちの燈を点け、踏面を照らした。淡い帯状の魔術灯だけでは、どうにも心許ない。この小塔は段の造りが歪だ。高さも歩幅も一定ではない。無意識に歩けば、すぐに足を取られてしまう。

 主塔は広くて一〇階もあり、魔術師の一人ひとりに階の割り当てがある。対になったこの小塔は昇降専用だ。一階を除いて開口はここにしかなく、しかも奇数階と偶数階で繋がる階段が違う。

 何を意図してこんな構造にしたものか、使い勝手が甚だ悪い。それを名だたる宮廷魔術師の執務室に充てる意味も不明だ。思えば、魔術師塔の呼び名すら、通称か、正式名なのかもわからない。

 とはいえ、大魔術師(メイガス)サルカン・アル・モルダスの奇人ぶりは、今に始まったことではないのだが。

 小塔は天辺までがらんどうの造りで、始終、ごうごうと風の音がする。吊り下げられた鎖や荷籠が、それに混じって鳴いている。柵を兼ねた手摺はあるが、とても身を預ける気にはなれない代物だ。

 油式のランタンを膝丈に照らし、魔術着の裾を踏まないように、階段をひとつひとつ踏んで行く。奇数階の渡り廊下を覗き込み、在と不在を確かめた。誰もいないのは知っているが、これも仕事だ。

 そもそも、魔術師は大抵、自分の工房に籠る。執務室は探求の場所ではない。今もいるのはせいぜい二人だ。目下、王女の難題を抱えるモルダス老師と、生真面目なアーデルト師の他にはいない。

 否。そういえば、今日はわが師も在室していた。

 小塔の天辺までたどり着き、アディは踊り場に立って思案した。アーデルト師の部屋は偶数階だ。さらに階段を下る必要がある。下りは一方通行だ。階段は三階付近で途絶えている。

 下りて、上って、改めて最上階を渡る。そんな段取りだ。それなら先にアーデルト師の執務室を覗きに行こうか、と考えた。同輩のコルベットにはよく神経質だと揶揄されるが、徒労を先に残すのは嫌だ。

『老師のご様子はどうだったかね? 事実と所感を分けて報告しなさい』

 アディの中のアーデルト師が言った。

 台詞は容易に予想がついた。潔癖症で生真面目で、書架には斜めの本もない。髭の先まで真っ直ぐな方だ。モルダス老師が詰めているのを知っていて、自ら塔に籠った節さえある。

 アーデルト師は上級魔述師(セオリカ=アデプタ)だ。施術を行わない理論魔術師には、触媒で雑然とした工房は縁遠いのかも知れない。否、皆がわが師やコルベットのように乱雑なはずがない。

 ともあれ、正しい段取りこそが効率的だ。それだけは、わが師フラム・アル・ラースの言葉が正しい。例え、たった一日で、後の整理に三日必要なほど散らかす師匠であってもだ。思い出すと溜息が出た。

 アディは踊り場の戸を押し開いた。

 天中の陽はとおに隠れて、辺りはすでに真っ暗だった。一〇階の渡り廊下は高くて怖い。景色の見える昼も怖いが、夜はなお怖い。闇の中で宙吊りにされている気がするからだ。

 風に押されて壁に手を突く。その先が空だと意識した途端、身体が竦んだ。足許から血の気が引いて行く。引き摺るような急ぎ足で通路を渡り切り、足踏みしながら認証札で扉を開けた。

 コルベットの意地悪な笑みが思い浮かぶ。ニヤニヤと苦境を笑っている。境遇は似ているが性格は正反対。隙を見せると碌なことがない。こんな姿が知れたら何を言われるかわからない。

 後ろ手に扉を閉めてひと息吐いた。急な静けさに微かに耳鳴りがした。音も空気も静まり返って、動くものがひとつもない。一〇階はほとんどが会議室で、使われること自体が多くない。

 無人の階だが、部屋がアディの認証札を通さないため外縁通路を辿る他ない。モルダス老師の執務室はこの階下にあり、階段は縁の半周先にある。その階だけは小塔の渡り廊下がないからだ。

 ここしばらく、モルダス老師は執務室に詰める機会が増えた。目下、老師は王女殿下の魔術講師選びに難渋している。それは、リースタン唯一の大魔術師(メイガス)さえも煩わせるほどの難題らしい。

 キャスロード・ラスワード殿下は今年で十三歳。魔術を基礎から学ぶには少し遅い年齢だ。殿下に近しいコルベットによれば、王女もサラサラ学ぶ気はないらしい。これ以上、授業が増えるのが嫌なのだそうだ。

 ただし、魔術の講義が後回しになった理由は別にもある。王家に取り入る魔術師の派閥争いは過去のこと、等分に距離を置く宮廷魔術師が専任となった今、その課題は王家そのものが抱えている。

 王弟カーディフ大公の謀反が原因だ。

 大公殿下は禁断の古魔術に通じ、王族の権限と古魔術への執心で道を違えた。謀反を企て、投獄されたあげく、牢を破って逃走を図り、追い詰められて自害した。らしい。すべてコルベットの噂話だが。

 その最期についてはラース師匠も関わっていたらしい、とコルベットは言う。彼女は聴き出せとしつこいが、工房に籠って魔術書と暮らす師匠が、そんな事件に関わるなど想像もできなかった。

 不意に、アディの身体に震えが走った。

 大公殿下の謀反に思いを馳せた怖気かと思ったが、違う。身体の不調だ。知らぬ間に、先の耳鳴りが大きく、酷くなっている。耳の奥で空気が膨らむような。遠くで誰かが詠唱するような。

 それは、モルダス老師の執務室に近づくにつれ大きくなった。この先に、執務室に、老師の身に何かが起きているのではないか。アディは歩調を早めた。強くなる耳鳴りに抗うように、階下に急いだ。

 小走りに階段を下りる。短い通路の先に扉が見える。戸口の隙間から室内の灯りが漏れていた。声がした。詠唱か、呼び掛けか、もしや自分の声だろうか。構わず把手に手を掛けた。


 不意に視界が真っ白になった。


 どれほど時間が経ったのだろう。扉に至った後のことは、意識が混沌としてよく思い出せない。どこが痛いのか言えないほど、身体のあちこちが軋んでいた。身体を起こそうとして、悲鳴を上げた。

 耳鳴りは止んでいたが、耳許で銅鑼を打つような頭痛が残っていた。歯を食いしばって身を起こし、床に手を突いて気がついた。尻の下にある木の板は、外れて落ちた執務室の扉だ。

 薄暗がりの中、開け放たれた執務室に目を眇めた。部屋の燈が壊れて飛び散っている。辛うじてまだ点いているものは、みな明後日の方を照らしている。書類に触れて燻る燈もあった。

 まるで、嵐を閉じ込めたような有り様だ。部屋の内側から大きな球が膨らんだかのように、床が抉れ、押し潰されていた。壁を埋めていた魔術書は残らず引き剥がされ、大振りの机さえ隅に殴り飛ばされている。

「モルダスさま」

 掠れたそれが自分の声だと気づいたのは、何度も叫んだ後だった。四散した書架や瓦礫を掻き出しながら、老師を探した。だが見つからない。サルカン・アル・モルダスの姿は、この部屋のどこにもなかった。

 アディは捜索の果てに立ち尽くした。遠くで人の声がする。ようやく気づいて集まって来る。アーデルト師か、ラース師匠か、この辺鄙な魔術師塔の異変に、やっと気づいた誰かに違いない。

 ふと、足許に目を遣った。部屋の中ほどに、赤々と燃える刻印がある。床も敷物も剥がれ飛び、剥き出しになったセメント板の上に、それは焼き串で彫り込んだように記されていた。


『クラン・クラインを招聘せよ。彼の者を王女殿下の講師に任ずる』

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