第一話 罠
ドグラマグラ太郎
ドグラマグラ太郎先生が僕に語りはじめた。
◇
なぜ俺は小説を書くようになったかとよく自問自答する。
俺は自分の有する読書道楽からそれが起こっていると考える。
俺は幼年の頃から読書に趣味を持っていた。
年と共にいよいよこれが興趣は高じた。
ついに読書そのものだけでは満足出来なくなってきた。
おいしい書物はそれにふさわしい読者を欲求する。
それに読まれなくては不足を訴えることになる。
ここにおいて俺は考えた。
俺自身が読者として良い器であるかどうかだ。
それは平成のころだったと思う。
読書にあたって当然的に作家との理解度の問題にぶつかった。
作家が作品に100を書く。
読書の俺が読み取る。
10読み取れているかどうか。
読み取っているのは1にすら届かないかもしれない。
設定集や解説や作者インタビューを見る。
自分がどれだけ読みこぼしているか気づかされる。
だが何度読んでも読者の壁は破れなかった。
読書では読書の意を満たせなかった。
そこでようやく自分でも書いてみることにした。
書いてはじめて『書く』と『売れる』の壁に気づいた。
本屋に並べられた有象無象だと思っていた本。
図書館に並べられた誰にも借りられない本。
あれは全部レジェンドだ。
俺の嗜好に合う合わないがあれどレジェンドだ。
レジェンドっていってもあれだ。
徒歩とか自転車とかで日本一周したとかそういうあれな。
すげえ面倒だけど損得抜きでやりたいことを成し遂げた感じ。
それがわかった。
◇
当時の俺は小説に関しては全く無鉄砲であった。
訳もなく自分で下地を作った。
自ら筆をとって作るのだ。
そうでない限り到底自分の意に満たないという結論だ。
自ら全部を作らなくば自作品とは言えぬ。
誰かを真似て自分の名をつけることは詐欺行為に近いと考えた。
◇
作品が仕上がった。
主観的には一見傑作には作られている。
しかしそれは決して出版に足る文字数ではなかった。
俺はここに非常な不満足を生じた。
主客転倒している。
俺は俺の本を本屋に並べたいのだ。
俺は生きた時間に恩を感じている。
恩を返すとしたら本棚だと思う。
しかし俺の伝いたいことは10万字も要らないのだ。
10万字とか。
ぶっちゃけ本の大体の文字が無駄に近い気がする。
1行のテーマを無理やり引き伸ばした感じ。
俺が伝えたいことは1行もあれば足りる。
今の時勢に合わせたらこんな感じ。
『咳をしても大丈夫』
◇
これは自由律俳句で尾崎放哉が作った
『咳をしても一人』
のオマージュだ。
パクリでもパロディでも何でも良いんだけど。
『咳をしても一人』
についての俺の解釈としては寂しさと後悔かな。
◇
俺が考えた
『咳をしても大丈夫』
は
・生きてやるべき事は大体既にしてある。
・咳をしても病気がうつらない対策を既にしてある。
・一人でない事が体感し続けることが出来る。
とか
あとは咳をしても大丈夫な世界に早くなったらいいねとか。
創作においても車輪の再発明しなくてよくない?とか。
そんな感じ。
俺がマウントで君を殴るとかそういう意味じゃ無いんだけど。
これを読む年齢であれば。
赤ちゃんじゃないんだから。
本当に大事な事は。
自覚無自覚問わず実はみんな既に体感していると俺は考えている。
これは本当に大事だったなあと感じた事あるよね。
◇
まあ韻を踏んでブラックユーモアにするなら
『咳をしてもニコチン』
かな。
喫煙者は選んで自分の寿命を削りに行っている。
どうでもいいか。
そうでもないか。
話を脱線しよう。
志村けんと新型コロナウイルスの話だ。
◇
志村けんと新型コロナウイルスの話だ。
ニコチン中毒と寿命の話だ。
長すぎる老後とニコチン中毒による緩慢なる延命拒否の話だ。
自分の老後を意図的に捨てるという選択肢の話だ。
『咳をしてもニコチン』の話だ。
俺は煙草を吸わない。
吸った事がない。
俺は志村けんを知らない。
肉眼で見たことも話したこともない。
あっ。
これ無理だな。
死生観語り不可避。
長くなる。
ごめんごめん。
適当にキーワードで察して。
話を戻すわ。
◇
10万字に足りない作品は作品であって本にはなり難い。
確かこんな話だったよな。
俺は社会人を経験している。
メール本文は3行以内が望ましい。
資料はA4が1枚までが美しい。
そういう美的感覚を持っている。
10万字を超えるにはダラダラ書くのに慣れるしかない。
俺は本当は小説より漫画が好きだ。
ん?
そうでもないな。
漫画は読みやすい。
文字だけは少し疲れる。
でも本当に面白ければ夢中になればどっちでもいい。
映像を観るよりはやっぱり本を読むかな。
場合によるけど多くの場合は観るより読むのがいい。
時間が自分で調節できるし。
音が他の人に聞こえないし。
何の話だっけ。
◇
そうそう。
書きたい事を書いて伝えようとして作品を作った。
10万字に全然届かなかった。
10万字って何かわからなくなった。
そういう話だ。
とりあえず先達に習うことにした。
著作権を気にしなくて良い昔に去った故人と合作してみた。
短編を沢山作るのなら何とかなった。
案ずるより産むが易かった。
次に他の10万字超え作品を改めて沢山読んでみた。
わかった。
映画だ。
◇
長編小説に求められているのは映画。
創作物ってテーマってあるじゃん。
テーマって俺の解釈では『読者への特定行動の提案』何だけど。
そんなの関係無い。
長編小説に求められているのは映画。
2時間飽きずに現実逃避させてくれる没頭できるストーリー。
俺映画好きだけどあんまり好きじゃない。
疲れる。
2時間は長い。
でもこういうのが求められている。
◇
もしくは。
長編小説に求められているのは毎週やっているアニメ。
1期やって次の期を期待するようなの。
そういうのが求められている。
◇
もしくは。
長編小説に求められているのはプレイしないでできるゲーム。
RPG。
シュミレーションゲーム。
戦略ゲーム。
アクション要素もある。
育成要素もある。
恋愛要素もある。
本体もソフトもプレイも要らないゲーム機。
そういうのが求められている。
◇
つまり結論はこうだ。
面白い作品は美味しそうに見える。
合っているけど違う。
錯覚させられている。
◇
作品は器。
読者が料理。
器は料理を守る。
器は器の中に料理が居る間は料理を守る。
可能なら器の外に出た後も料理の味を守ろうとする。
作品は作品の中に読者が居る間は読者を守る。
可能なら作品の外に出た後も読者の時間を守ろうとする。
◇
作品の中にいる間は読者を守る。
俺は作品に何度も何度も何度も何度も守られてきた。
だから恩を感じている。
しっくりくる。
色々と辻褄が合う。
そういうことか。
大体わかった。
◇
長編小説とは何かが見えてきた。
適当にそれっぽいのは作る事が出来る気がする。
じゃあエンディングをどうするか。
エンディングを決めて書くと俺の場合は短くなる。
その分まあ計算して面白くは出来る。
この手法だと10万字超えは今の資源や技術では難しいな。
エンディングを決めて書かないとダラダラする。
テンポも悪くなる。
面白くなるかは博打。
じゃあどうするか。
まずはつまらない長編小説を書いたらいいんじゃないか。
初めて自転車に乗るが如く何度も転べばいいんじゃないか。
最終回は適当でいいんじゃないか。
読んでいる間だけ読者を守るのが長編小説の役目だ。
これが俺の定義だ。
これはゆくゆくはその水準を超えたいねという話で。
まずはむしろ最初は読者に守られる覚悟で10万字書けばいい。
飽きたら適当に打ち切り。
10万字届かなくても詰まったら打ち切り。
エターナルエンドは嫌いだ。
だから
『俺たちの冒険はこれからだ』
エンドを用意しておけばいいと思う。
気分次第で第2部を再開出来るようにしておけばいいと思う。
矛盾だらけでいいと思う。
設定が穴だらけでいいと思う。
さあどうしようか。
でかいデメリットがあるんだ。
◇
俺の場合。
連載中ずっと話を考える。
一部の脳がずっとその演算を続ける。
日常に支障が出る。
困る。
俺の生活は俺が創作に没頭することを許さない。
故人の作品の模倣も始めたたばかりだ。
一つの短編と自分の主義主張を混ぜて練って焚く。
焚くごとに様々な体験をする。
益々研究にも製作にも興味を感ずるようになりつつある。
それで良いじゃないかという気もする。
短編集で良い気もする。
だがしかし。
俺は俺の長編小説を読んで見たいのだ。
駄作で良い。
良くないが良い。
習作でも良い。
書いてみたいのだ。
そして日常に支障が出たら。
『俺たちの冒険はこれからだ』
をやりたいのだ。
どうしても完結したくなったら。
『数年後』
これで強引にまとめれる。
『主人公の補正無しの死』
を書いても良い。
どうにでもなる。
100時間くらいか。
とりあえず1時間でもいいか。
ほうっておけば他人の作品に渡してしまう時間だ。
乗りかかった舟だ。
俺は構想を見つめつつ盛んにその先を考えているのである。
まだ乗りかかっただけなんだけど。
良い舟があるんだ。
◇