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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

悪夢日記

作者: 付焼刃 俄

夢なら痛くないなんてウソでした。

僕は夢でも痛みを感じます。

 キィーー。


 耳鳴りに似た音が聞こえていた。

 ふっと目が開いたのであたりを見回す。いつもと変わらない。寝床に寝転んでいる時に見ている天井と壁、そして足を向けてる方には居間に通じる引き戸がある。

 あっと、何かに勘付いた俺は一気に恐怖に支配された。

 あいつが来たんだ。すぐそこにいる。

 そう思って身構えようとするも身体はすでに動かなくなっていた。

 突然なにかに引っ張られるようにして、強引に上体だけ起こされる。

 足の方にある戸がひとりでに開き始めた。

 その先にいる。

 何がいるかまではわからない。けれども、恐ろしい何かであることだけは知っていた。

 見たくないのに、閉じようとする俺の目は誰かに「見ろ」と強制されるように見開かれる。

 引き戸が開いていき、居間の床と食事の時に使っているちゃぶ台の端が見えた。引き戸が4分の1ほど開いたところで床の異常に気がつく。粘性の高そうな赤い液体が広がっている。それが血であることはすぐに察しがついた。

 問題は何が血を流しているのか……。

 俺の目は床の血溜まりに吸いつけられた。

 さらに引き戸が開いてくと、血溜まりが波紋に波打っているのが見えた。半分ほど開いたところでちゃぶ台のへりに血の滴った跡を見つけ――。


 そいつと目が合った。


 ニィッと嫌らしく口角を引きつらせて笑うそいつの、カッと見開いた異常な眼光に俺は射竦められる。

 目を合わせているのが嫌で他のところに目をやっても心の落ち着く景色は見えてこない。

 完全に開かれた引き戸の先は血の海になっていた。

 目につくそこかしこに人間の一部が破かれた包み紙のように散乱している。

 肩からもぎ取られたらしい腕は、引き千切られた皮膚と皮が糜爛びらんした痛々しい傷口をこちらに向けていて、大根のように転がされた足は付け根から切断された荒れた断面から今しも血を滴らせている。四肢と頭の五体すべてを奪い取られた胴体がちゃぶ台の向こうの壁に凭れ掛っていた。胴体のわきには解体のために使われたのであろう鉈やノコギリが立てかけられている。

 虐殺か死体損壊で赤くなった部屋に水音を鳴らしているのはちゃぶ台の上に置かれた頭部だった。首から流れ出した血は床に滴り、ぴちゃっぴちゃっと赤いしずくを落としていた。

 どうやら中年の女性らしいその女は、身体をバラバラにされて頭だけで俺を見ているのだった。

 ふいに女は口を開いた。口内に溜まっていた血が漏れ出して口自体が傷口に見える。

 喉の奥から赤いあぶくを沸かせながら――。

「逃げられないわよぉ逃げられないわよぉ逃げられないわよぉ逃げられないわよぉ……」

 女は何度もそう言ってきた。

 しだいに女の声は、耳ではなく頭の中で反響しだし倍音となって際限なく大きくなっていった。



 汗だくで目を覚ました。

 心臓があばら骨を内側から叩いてくる。大きな恐怖感が全身に染みこんでいて、小さな物音ひとつでも跳び上がりそうな心持ちだ。

 心を落ち着けるのに10回以上の深呼吸が必要だった。

 ひどく喉が渇いている。おまけにトイレに行きたい。

 トイレには居間を通らないと行けないのだった。

 俺は「そんなことあるわけないだろ」そう声に出して言って寝床を出た。

 なんだか電気を点けるのが格好悪い気がして、暗くしたまま引き戸の前に立った。

 引き戸がやけに重く感じる。

 高い所から水に飛び込むような勢いをつけて引き戸を開けた。

 その瞬間、思わず身構えてしまう。

 引き戸の向こうにはいつもの居間が整然としてそこにあった。

 翌日、友人に昨日の夢のことを話した。

 友人は精神科医を目指していて人の見た夢や描いた絵、書いた文章などを研究しているらしく、俺はよくその研究対象にされていた。

 絵が描けない俺は、見た夢を文章にすることで友人の研究に付き合っていた。

「この『あいつ』って誰なんだい?」

「さぁな、わかんねぇよ。だけど、夢見ている時って何か大前提的な意識のベクトルがあるもんだろ? 世界観のひとつとして」

「そこに登場した中年女性のバラバラ死体が君の恐怖の源みたいだから、その女が『あいつ』なのかなぁ……」

 それにしても、と友人は俺の顔をまじまじと見る。

「だいぶ強迫観念に駆られてるみたいだね。特に人の声が倍音になって頭に響いてきたっていうのは幻聴に近いね、不安障害によくある症例だよ」

「その診断が合ってるかなんてどうでも良いんだよ。お前に話すことでいくらか気が紛れてくれるんだ」

「夢から覚めた時はどう? 夢中夢みたいなボヤけた感覚はある?」

「ない」

「じゃあ大丈夫だね。意識がしっかりしてるなら」

 ただ。

 と、友人は言葉を切った。

「ただ――、なんだよ」

「あまりにも悪夢ばかり見るんだね。そのうち突然死しちゃうかもよ」

「あ? 突然死だぁ?」

 友人は冗談めかすように笑う。

「まあ大抵は心疾患か脳障害なんだけど、たまに理屈に合わない死に方をしているケースがあってさ。全然健康だった人がいつものように眠った翌朝に死んでたりとか、ただお風呂に入ってただけの子供が特に外傷もなく事切れてたりとかね。

 まるで誰かに持って行かれてしまったみたいに、命だけがふっと消えてしまうっていうそんな死に方があるんだけど、僕はそれが夢や想像のせいじゃないかって考えているんだよ」

 バカなこと言ってやがる。夢や想像に殺されてたまるかよ。

 そう思っているのが顔に出ていたのか、友人はそれに答えてきた。

「でも考えてみなよ。君は今まで色んな物を見たり聞いたりしてきただろう? それこそ普通の日常会話からネットのアングラ動画までさ。

 その記憶っていうのは普段思い出せないだけで、必ず脳のどこかには正確に記録されているんだよ。それを垣間見させてくれるのが、夢を見ている時の脳の思考状態だとすれば? それに夢っていうのは想像を超えてくるところがあるだろう。今までの記憶を引き出してその情報同士を融合した新しい体験をするとしたら、その結果として痛みを体験することもないとは言えない。

 それが精神的なショックとなった時に、果たして僕たちの脆弱な脳はそのショックに耐えきれるだろうか?」

「……やめてくれよ」

 冗談じゃない。変に理屈をつけて説明しないでくれ。

「そうだ」

 友人は手の平サイズのボイスレコーダを渡してきた。

「今夜からこれを使って録音もお願いできないかな? ちゃんとお礼はするし、君の見た夢と関係のない寝言は消してもいいから」

「へいへい」

 俺は貴重な飯の種のためにボイスレコーダーを持ち帰った。



 キィーー。


 耳鳴りに似た音が聞こえていた。

 両手足の激痛で目が開いた。

 天井から吊り下げられた工事用のライトがひとつ、部屋をというより俺を照らし出している。

 なんとか首を持ち上げて見回すと、左右に伸ばされた腕の手首が錆びの浮いた鋲で打ちつけられ、両足首にも鋲が打ち込まれていた。

 たちまち思考が恐怖に塗り潰される。

 俺の身体は血生臭い鉄の板に横たわらされて大の字にはりつけられていた。

 首を振って見回したその部屋はコンクリートがむき出しで、工事中なのか解体中なのかそれとも放棄された建物なのかはわからないが、壁紙の代わりに血を塗りつけたのかと思うくらい血の乾いた赤茶色に染まっていた。

 部屋の外で足音がした。

 『あいつ』が来た!

 大声で助けを呼ぼうとしたが上手く声が出ない。悪夢特有の行動制限から思うように身体が動かせなかった。

 打ちつけられた手首と足首に自分の声が響いて痛みがはしった。

 その時、金属性のドアが開く重たそうな音が部屋に反響した。頭の先がふうっと明るくなる。大きな黒い影が部屋に入ってきた。

 ミリタリーブーツでも履いてるのか、ゴツゴツと固い足音が近づいてくる。逃げようともがく俺の視界に『あいつ』が入ってきた。

 背は低いのに筋肉質に幅がある体躯で黒色の作業着を着て、祭りの的屋で売られているようなプラスチック性のおかめ面をつけていた。光沢のある表面がライトの光を歪めながら反射している。明るめられたおかめ面の目は彫刻刀で切りつけたみたいに細く、その細い穴の先は漆喰で塗り固めたように黒い。

 表情がまったくうかがえないそいつは、足元の暗がりを手探りする――。

 電動の丸鋸を持ち上げた。

 カチカチと何度かスイッチを押して試運転をするそいつの手元で丸鋸が唸りを上げる。丸鋸をいじりながらそいつは俺の足の方へと回り込んだ。

 そいつの意図に思い至った瞬間、身体が動かなくなる。同時に声も上げられなくなった。 丸鋸のスイッチが押し込まれ、暴力的なモーター音が下腹部へ近寄ってくる。

 暴れたくても暴れられない。ただただ思考だけが錯綜し、必ずやってくる激痛と恐怖に絶望させられる。ただその為だけの数瞬が流れて回転する刃が服に触れた。

 繊維が細かく弾き飛ばされて間もなく――。


 ぷしゅぁっ!


 湿り気を帯びた音を立てて刃が皮膚を切り裂いた。丸鋸の回転に合わせて血しぶきが跳ね上がる。皮膚から身体の内部に向けて燃えるような痛みが降りてきた。皮膚、脂肪層、筋肉を断ち破って内臓に到達する。痛みにそって丸鋸の音が低く濁ったものになっていった。

 許容できる限界を超えた痛みに目がチカチカと明と暗を繰り返す。

 回転する刃が背骨にじかに触れてきた。脊椎反射というやつだろうか、全身が振動に波打つ。固定されている手足が意思とは関係なしにビクビクと蠢いた。

 丸鋸が上へと移動し始める。

 胃に刃が入ると喉に塩辛い液体がのぼってきた。止めどなくのぼってくる液体にむせて身体が反射を起こして咳き込むと、見上げている天井に鮮血が飛沫した。さらに口から溢れてくる血で顎から胸元までが暖かくなる。

 唸る丸鋸がどんどん上がってきて喉仏を砕いて顎に押し当てられた。目の奥につっと痛みが走って視界が赤く染まる。頭の内部を血が上ってきて涙腺からも血が溢れていた。

 頭蓋骨が回転する刃で振動する。

 ついに痛みと絶望で何も考えられなくなってきた。丸鋸の刃が到達する前に脳は思考を止めた。



〝やめてくれぇえええええ!!! 死にたくないぃぃい! 死にたくないぃいいい!〟

 僕はボイスレコーダから再生される彼の声を聞いていた。

 あの日の夜、日付が変わった頃に警察から連絡があった。何でも彼が変死体で発見されたらしい。原因不明の心停止らしいが、枕もとに置かれていたボイスレコーダーに録音されている音声に心当たりはないかという事情聴取の要請連絡だった。

 僕は彼の精神推移や夢の変化の記録と研究をしていただけで、特に薬を飲ませていたわけでも、彼の生活行動にこれと言った指示をしていたこともないと説明して開放された。

 実際、彼の身体からはサプリメントひとつ出てこなかったし、彼の知り合いもいつもと変わらない様子だったと言っている。

 そうして証拠物件として押収されていたボイスレコーダーが返ってきたのだった。

 僕は反省していた。

 彼を助けることが出来たかも知れないのに何もしてあげられなかった。悪夢のことを僕に話すことで気が紛れると彼は言っていた。よくよく思い出せば、あれは不器用な彼からのSOS信号だったと思えて仕方がない。

 明日の彼の葬式には僕も参加するつもりだ。少しでも供養になればいいのだが……。

 それにしても。

 僕はもう一度ボイスレコーダーを再生した。


〝やめてくれぇえええええ!!! 死にたくないぃぃい! 死にたくないぃいいい!〟


 彼は一体どんな夢を見たんだろうか?

 もし本当に悪夢で死んでしまったのだとしたら、それが自分に起こらない保証なんてない。


 僕もいつか夢に殺されてしまうのだろうか?

夢とは記憶の過大再現だと思います。

みなさんもお気をつけて。

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