69 魔女王の教え
開店直前の10時手前まで待って、それからホームセンターへ。
まずはこれでいいかな? と思う蝶番とビスを手に、ついでに店内をぐるぐると回る。
ペット用品コーナーで妹さんが足を止めた。ペットが欲しいのだろうか?
「ペットを飼いたいのか?」
「うーん、結婚してからかな? 今はちょっと手いっぱい」
ぽふぽふと猫ベッドを押して感触を確かめている未来。
まぁ、今は夏休みだが――家事に学校にと未来は忙しいからな。少しはこちらに回してくれてもいいんだが、未来自体が世話好きなのもあって聞きやしない。
「まあ、共働きなら諦めるけど。にーちゃはなに飼いたい? 要望ある?」
「爬虫類はあんまり――って……なんで僕の要望が関係するんだよ……」
「夫婦のことだからに決まってるよ、にーちゃ」
「兄妹だ」
いつまでそんなことが言っていられるかな? と、クツクツと悪い笑みを浮かべている妹を無視してレジへ――
「あ、にーちゃ待って。キッチンペーパーが安い。それとポイントカード」
……本当にウチの妹はしっかりものです。
――――
帰って早速ドアを直す。
壊してしまった負い目もあるのか、その様子を、未来はじっと横で見守っていた。
とはいえ、作業自体は10分も掛からない。金具を逆に取付けそうになった事以外は、特に何事も無く終えられた。ガタつきもないので大丈夫だろう。
「ところで、なんであんな時間に風呂に入ってたんだ?」
「あ……えーっと、汗かいちゃったからだよ、にーちゃ」
……なんだか目が泳いでいるが、まぁどうという話ではないだろう。気にしないことにした。
二枚のシーツを取り込み、洗濯物を畳むと、未来は昼食の準備に取り掛かる。
僕の方はと言うと、いつもなら剣振りをしているところだが、今日はなんだかんだと汗を流しすぎた。
今日はもう、これ以上汗まみれになる気はせず、リビングの絨毯マットの上で胡座を掻く。
――瞳を閉じて、体内に意識を集中。腹の底にある魔力を感じる。
『こちらの世界では魔法が使えない』というのは間違いではないが、正確でもない。
正しくは、『こちらでは魔素が無いために魔力の補充が出来ないから使えない』――である。
実のところ、僕の内には少量の魔力が残っている。あちらの世界からの持ち越しだ。
試し撃ちをしてしまえば無くなってしまうような僅かな魔力――――肉体が高校生の物に戻っても、この魔力が消えなかったのは、魔力は魂に宿ると云われているからだろう。
まるでデリンジャーのように一発分しかない魔力。補弾は不可能。
何かあった時の隠し種だ。その『何か』が無ければ墓の中まで持っていっても良い。
『そうだ、細く、長く――もっと早く。思い描いた通りに形を変えるんだよ』
そう、頭の中でウィスパーボイスが聴こえる。
声の導く通りに、僕は身体の中の魔力を糸のように撚り上げる。
僕の魔力のイメージは、青く薄輝く、ゼリー状の物質だ。
『そう――そう――もっと細く。そう、一本の糸のように、一本の髪のように』
魔導師ヘギサ――魔の法を追い求めた、美しいダークエルフの探求者。
魔法の扱いに関して、“魔女王”と呼ばれた彼女以上の者を、僕は知らない。
『そう、蜘蛛の糸よりも細く。そして均一の細さに。それを一瞬で行いなさいな』
まったく、途方もないことを簡単に言う……
僕は体内にある僅かな魔力を細く細く紡ぐと、一度球体にしてから再度糸を作る。
――なるべく早く、そして正確に
『あんたたちは魔法より剣の方が早いとか思っているようだけど、私からしたら笑っちゃうわ。魔法は構える必要すら無いんですもの』
大言壮語などでは無い。
事実、あのアルベルトですら、剣の間合いで戦っても彼女には敵わなかった。
『魔力は粘土の様に扱えばいい――なんて言う魔法使いがいるけど、そんなのは五流以下ね。そんな粘度の高いものじゃなく、水――いえ、空気。光まで行けば大したもんよ。そもそも手で捏ねるイメージなんて捨てなさい』
そうは言っても、それが難しいんだって……
『魔法は作ったり、出したりするものじゃないわ。“そこにあるもの”よ。それが当然の理と思いなさいな』
くっそ、日本出身者に無茶言いやがるなぁ。
『例えば魔法で作った服を着るならば、デザイン、製糸、機織、採寸、裁断、縫製それを無意識で、刹那の間もなく行いなさいな。ほつれなんて論外。思考の中ならそれが出来る』
……長命種め。十年やそこいらの経験でそこまで出来るかよ。
まずは糸で精一杯だっての。
――と。
「にーちゃ、ごはんだよ」
「っう……」
未来の声と同時に、細く縒っていた魔力の糸がぷちんと切れた。
『あーあ、駄目ね。それじゃ実戦では使えないわ』
……まったくだ。
「に、ぃ、ちゃー」
「聞こえてる聞こえてる。今行くよ」
―― …… ―― …… ―― …… ――
昼食を取ってから、二人で僕の部屋へ。
未来が僕のベッドのシーツを取り替え、そして出ていった。
シーツぐらい自分で替えさせればいいのに……あいつは僕を甘やかしすぎだ。
――【“brand-new World”へようこそ】――
「うおっ!?」
ログインすると水着姿だった。そういえば昨日は、水着のままログアウトしたんだっけな……。
「うわっ!」
――と、今ログインしてきた妹さんも声を上げる。ライムも当然、昨日のビキニ姿だ。
「そういえば水着きてた……」
「だな」
水着姿で佇む僕ら。
さらに立っている場所はただのフィールドエリアの平原。湖ですらない。
後ろに湖に着く前に通った林があることから、インスタンスエリアから弾かれてしまったのだろう。
延々と複数のインスタンスエリアを維持し続けちゃってると、サーバにかなりの負荷が掛かりそうだもんね……。
「誰かに見られたら恥ずかしいし……さっさと着替えよ、にーちゃ」
「だな……」
――……
早々にいつもの服装に戻った僕たち。
ライムもいつもの通りの鎖骨の見える若草色のローブ。レモンクリーム色のケープマント。そしてナース帽からヴェールが出たような頭装備だ。
僕もいつもの赤黒いロングコートに戻る。
「平面ディスプレイのネトゲだと、水着装備で街を歩いてる人とか普通にいたけど、VRだと流石に無理だね……にーちゃ」
「だな、ファンタジーにありがちなビキニアーマーとかも見ないしな」
この間のナリキリプレイヤーじゃないが、どうしたってキャラとプレイヤーの距離感が近すぎて、あまりに恥ずかしい恰好で人前に出ることは出来ない。
さて、街に戻るか――と思ったところで、視界の隅のメールアイコンに気付く。ログアウト中にメールが届いていたようだ。
「メールか――うわっ……」
「どうしたの? にーちゃ」
展開したメール一覧には、昨日の面子ほとんどから『あの後どうだった?』というような内容のメールが多数届いていた。
……そんなに心配されるほど、動揺していたのか、僕は。
そのメールに一通り返信し、心配ないことを伝えておく。
返信を終え、それでは街に戻ろうかというところで――
「呼ばれてないけどジャジャジャジャーン!」
「古っ!?」
半世紀前の作品だよ!
と、VRどころかカラーテレビも怪しい時代のネタで、どこからともなくやってきたのは、青い魔女服を着たアイダリンだった。
「それで、あの後どうなったんですかっ!?」
アイダリンは食いつくように僕に迫ってきた。僕の顔にふんすふんすと鼻息が当たってる。
……メールの文面では分からなかったが、この子は僕を心配したんじゃなくて、単純にその後が気になってたんだな……
「アイダリン……近い近い。それと鼻息が当たってる」
「当ててるんですっ!」
当てんなよ!? そんなもん!
「わたしがにーちゃを押し倒した」
「お――おおおおっ!?」
バビュンと音をたてて僕から離れ、今度はライムに迫るアイダリン。
「そ、それでそれで!?」
「二人でぐっちょりと汗まみれになるまで、同じベッドに居た」
……汗まみれになったのは僕だけだけどな?
「お……おおぉぉ、おお!!!!」
上気した顔で、鼻血をたらりと一筋。
アイダリン……もうね? 君の最初の頃のキャラが思い出せないよ……。
もっとこう……違ったろ? なぁ。
「で、では、二人は昨日。きょ、兄妹でくんずほぐれつのねちゃんねちゃんのキュイーンズバババッの行為を……?」
「否定はしない」
アイダリンの顔がぐりんっと僕に向く。
「師匠っ!?」
「肯定はできない」
だって擬音の意味がサッパリわからんもの。
「お……おおお……リアルな義兄妹モノの実例が、こんなトコロに……」
アイダリンの身体がぐらりと崩れ落ちる。
大地に突っ伏したアイダリンの顔は――それはもう安らかなものだった。
鼻血は流してたけど。
「なんだろコレ……」
「アイダリン、幸せそう」
――寒々しい空気の中。遠くで野鳥の鳴く高い声が響いた。




