未来が見る未来
――兄妹は結婚出来ないよ――
「にーちゃと結婚する!」と言うわたしに、にーちゃが繰り返し言ってきた言葉。
幼いわたしは、その言葉に納得出来ず、それでも成長に連れてその意味を知った。
でも、納得できたわけじゃない。
なんで元々は兄妹じゃないのに結婚出来ないんだろう?
この国の法律を呪ったし、わたしを引き取ったおとうさんとおかあさんを身勝手にも憎らしく思ったこともある。
おとうさんとおかあさんが引き取ってくれなければ、そもそもにーちゃと出逢うことも無かっただろうということも理解しているけど……
いつもにーちゃにべったりだったわたし。
だけど小学校から中学校に上がる頃には、いくらなんでも『おにいちゃんっ子だから』では誤魔化せなくなってくる。
“距離を置く”というほどではないが、それ以前のように無邪気にべったりと引っ付くようなことは無くなってきた。
時々すごく寂しかったり、苦しくなったりしたけど……
やがてわたしも中学三年生――受験生になった。
受験する予定の高校は、にーちゃと同じ高校。
別の高校に進んで兄離れをすることも考えたけど、一瞬で却下するしかなかった。
――兄離れ、つまりにーちゃと別の生活をし、別の人生を歩んでいくということ。
想像した瞬間に呼吸が出来なくなった。
喉に生ぬるい風を感じて、呼吸をしている感覚が無くなる。
心臓がこれまで体験したことが無いほどにバクバクと脈を打ち、そのくせ手足は段々と冷たくなってゆく。
『息を吸わなきゃ』という本能のままに、呼吸をしようとしても、喉に何か突っ掛かったように、空気が喉を通らない。
息を吸うことが出来ないのに、吐くことは出来る。
わたしの中から酸素が全て無くなる――
そう感じて、少しでも呼吸をしようと喉を動かすけど、どんどんどんどん息が苦しくなって、キンキンと耳鳴りがする。頭もぼぅっとしてきた――――
『たすけて、にーちゃ』
声にならない声を上げながら、わたしの意識は遠のいていった……。
゜。+。゜゜。*。゜゜。+。゜*゜。゜。+。゜゜。*。゜
部屋の床の上でまるまったままの体勢で、意識を取り戻したのは三十分後。
どうやらわたしは死ななかったらしい。
直ぐにVRコンピュータを立ち上げてバイタルチェック。結果はオールグリーン。
そのまま、ネットで症状を詳しく調べてゆくと、どうやらさっきのは『過呼吸症候群』というらしい。ストレスが元になって現れる症状だとか――
この時『わたしはにーちゃから絶対に離れられない』と、そう実感した。
――してしまった。
もう、どうしようもない。兄妹だとか関係ない。
ずっとずっと好きだから。恋してきたから。
幼いわたしが壊れないように守ってくれたのはにーちゃで、にーちゃが居なくなってしまったら、わたしは壊れてしまう。
これは依存だってことも解っている。両親を亡くしたわたしは、その代わりをにーちゃに求めた。
でも、それの何がいけないのだろう? 親の庇護下から離れた女は、今度は男と寄り添って生きる。
それが早かったか遅かったかの違いでしかない。
私の中の“女”は、とっくの昔ににーちゃを寄り添うべき“男”だと認識してしまっていただけの話だ。
まず考えたのは兄妹で結婚する方法。
日本の法律では無理でも、別の国ならなんとかなるかも知れない。
もしかしたら日本でも、おとうさんとおかあさんに養子縁組を解消して貰えば、結婚出来るかも知れない。
なんとしてもにーちゃと結婚できる方法を探す――
そうして意気込んで調べ始めたけど、それは呆気ない結果を結んだ。
調べ始めて数分。出た結果は『血が繋がってなければOK』という、なんとも肩透かしな答えだった。
バカバカしい。本当にバカバカしい。悩む意味さえ無かった。
「バカバカし、普通に結婚できるとは思わなかった」
そっか、
結婚できる。結婚できる。結婚できる。結婚できる――――
結婚できるんだっ!
どうやら、わたしは思ってた以上に、にーちゃと結婚できないということに心を抑えつけられていたらしい。
家はここでいい。
両親との仲は気にする必要はない。
ペットは飼いたいかも? 犬と猫、どっちがいいかな? 他の動物でもいい。
夫婦の寝室は一緒で、ダブルだと大きいからセミダブル。
あ、にーちゃかわたしの部屋に二人だと、ちょっと狭いか……。
おとうさんとおかあさんの寝室を譲ってもらって、二人は一階の和室に移ってもらおうかな?
やっぱり新婚さんはベッドがいい。
後は、後は――。
手を置いていたおなかが熱い。
ここに、にーちゃの赤ちゃんができるんだ。
おなかの大きくなった自分を想像してみる。
幸せ。幸せだ。ものすごく幸せ。
ぽっこり膨れたおなかの中には、愛が詰まっている。
にーちゃとわたしを混ぜ合わせたもの。
にーちゃとわたしの愛をぎゅうぎゅうに詰め込んだ新しい命。
愛おしくて愛おしくてたまらない。
まだ、真っ平なおなかを両の手で暖める。
じんわり、じんわりと熱を帯びる両手とおなか。
不思議なものだ。まだ顔も見ていないその命を、わたしは愛していると断言できる。
――――って、
「……やめよ、想像妊娠しちゃいそう」
そもそも、新しい命どころかまだなにもしていない。まずはその下準備から始めなければ……
――ガタンッ
と、いつもより荒々しく玄関の開く音。
どうしたんだろう? と玄関まで様子を見に行ってみる。
「おかえり。にーちゃ」
日が落ちかけて薄暗い玄関に、にーちゃは立っていた。
わたしが玄関まで行くと、まるでわたしの顔を忘れたかのように、呆然とわたしを眺めていた。
「……? どうしたの? にーちゃ」
「み……未来だよな? 本物の未来――だよな?」
「うん?」
玄関に置いてある鏡を見てみる。
そこに写っているのはいつものわたし。
髪だって切ってないし、とんでもない厚化粧をしているわけでもない。もちろんマスクをしているわけでも、巨乳になってるわけでも――ない…………ないんだよ…………
「どこか変? いつもと違う?」
「いや――未来だ。ハハハッ! 未来だよ!! 未来だ……」
がくんとその場に両膝を突くにーちゃ。
両目からはぶわりと滂沱の涙が流れ落ち始めた。
「に、にーちゃ? だいじょぶ? 具合悪い?」
「だ、大丈夫。大丈夫だから」
慌てて駆け寄ったわたしに、にーちゃは縋るように抱きついてきた。
「ににに……にーちゃ? 玄関ではちょっと……」
「大丈夫、大丈夫だけど……しばらくこうさせてくれ」
抱き着いているけど、抱き締めてはいない。
にーちゃの腕はそっとわたしに触れるだけだった。
まるで、壊してしまうことを恐れているようだった。
まるでお豆腐でも持つように、まるで熟れすぎた果実を持つように。
ただ、サワリと触れるように、にーちゃの腕がわたしを囲い込む。
「…………にーちゃ?」
「ぁ……っく、ぁぁァ――ぁみら、あああっ…………ハっ……ぁぅ――あ…………」
返ってくるのは噛み殺した嗚咽だけ。
――だからわたしはにーちゃの頭を抱き込んだ。これ以上出ない、限界の力で。
「ぁ、っハ――みらい……?」
「にーちゃ。わたし、そんなに脆くないよ? 大丈夫だから」
「あっ、あっ……あ――!」
「大丈夫、大丈夫だよ。にーちゃ」
ゆっくり、ゆっくりと。
にーちゃの腕に込められる力が強くなってゆく。
「あああああああああっ――――!」
「うん、大丈夫。大丈夫」
ぎりぎりと締め付けられるおなか。本当はすごく痛い。
だけどいいや、肋骨の一本や二本ぐらい折れてもいい。
にーちゃのちょっと固い髪を撫でながら嗚咽を漏らすにーちゃを抱きしめ続ける。
「大丈夫、大丈夫」
じわじわと濡れゆくシャツの胸もとが、やけに冷たく、熱かった。
゜。+。゜゜。*。゜゜。+。゜*゜。゜。+。゜゜。*。゜
結局その日、にーちゃはわたしから片時も離れなかった。まるで昔のわたしとにーちゃが入れ替わったようだ。
あまえんぼのわたしとそれを守ってくれるにーちゃ。
だけど今日のにーちゃはとってもとってもかわいいあまえんぼ。
そのまま二人でベッドイン。
……とは言っても、そういった雰囲気は無かったけど。
ベッドのなかで、にーちゃはぽつりぽつりと話してくれた。
何故か自分が異世界に召喚されたこと。
そこで勇者として戦ってきたこと。
沢山殺してきたこと。
沢山殺されそうになったこと。
沢山仲間に助けられたこと。
沢山怨まれたこと。
沢山微笑まれたこと。
沢山嘆かれたこと。
そして、魔王を倒して帰ってきたこと。
――
「十年、十年も掛かった。ここに帰ってくるまで」
「……そっか」
他の誰かの話だったら、そんな話は信じなかったと思う。
でもにーちゃだから、わたしのにーちゃだから。全部信じられる。
これは、にーちゃが本当のことを話している時の声だ。
「おかえり、にーちゃ」
良かった。帰ってきてくれて本当に良かった。
わたしは異世界に追いかけていく方法なんて知らないから。
「あ、ああ……ああ……ただいま。――未来」
――
わたしの腕に抱かれ、疲れ果てたように眠るにーちゃ。
愛おしい。
今までわたしを守って来てくれたにーちゃはわたしと同じように感じていたのかな?
だったら、今度はわたしがにーちゃを守る。
でもごめんね、にーちゃ。
わたし、後ろ暗いことも考えている。
――もし、にーちゃとわたしが逆になるというのなら――
「にーちゃは絶対、わたしが好きで好きでどうしようもなくなる」
ごめんね、にーちゃ。
わたし、悪い子になっちゃった。




