55 暇のつぶしかた。
「あちー……」
「五時ぐらいだとまだ暑いね、にーちゃ」
その割には繋いだ手を離そうとはしない未来。
じっとりと濡れた手の平の汗は、未来のものなのか僕のものなのか――たぶん、両方なのだろう。
兄妹二人で近所のスーパーマーケットへ買い出し。
ご近所さんからは『仲の良い兄妹ねー』で済んでいるのでいいが、そろそろブラコンシスコンにも分別をつけた方がいいんだろう。
……とは思いつつも、この手を振り解けずにいる。
もう少し、あとちょっとだけ、このままでも良いよな?
この時間は、僕が十年も乞い求めてきたものなんだから。
「にーちゃ、今日は何を食べたい?」
「うーん……親子丼?」
「母娘丼とな? 娘はいいけど、母は食べちゃダメ、にーちゃ」
「オイこら、まだエロゲ脳が抜けてないのかよ」
ついでに言うなら、卵より鶏肉の方が食いたいんだが。
「いつだってエロいことを考えていいのは、思春期の特権だよ、にーちゃ」
「そんな特権は聞いたこともないな」
精神年齢二十六歳オーバーの僕は、あまりエロいこと考えてはいけないのかもしれない。
――――
本日の夕食
きのことニラの玉子とじ丼+鶏の竜田揚げ
――――
――【“brand-new World”へようこそ】――
「ん? ああそうか……」
ログインした先が、周りを崖で挟まれた峡谷だったので、ちょっとビックリしてしまった。大ガエルを倒した直後にログアウトしたんだっけか。
さて、【帰還の晶石】で街まで戻ってもいいが、どうせライムもここにログインしてくる。
【帰還の晶石】の効果はパーティ単位なので、各々で使ってしまうと勿体ない。
それと、『ライムを置いて一人で帰ってしまった』という字面がどうにも好ましくない。そのライムと言えば、現在入浴中。さらに細々とした家のことをしてからログインしてくるだろう。
……そこそこ時間が空くな。
それまで再度ログアウトしてもいいんだが、ログアウトしたところで特にやることもない。
家のことの手伝いは他ならぬ妹自体に突っぱねられる。「にーちゃは家のことは出来なくていい。家のことは妹に任せろ」とか言われる。
……毎回思うが、ルビが変じゃね?
ぼぅっとしながらリビングにいても、ライムに気を遣わせるだけなので、仮想空間にいた方がいいだろう――と、取りあえず剣を出してみる。
「芋剣……か」
ぶっちゃけ全然愛着が湧かない。シンプルすぎるフォルムと丸みを帯びたスタイル。
色艶はプラスチック製のおもちゃのそれとよく似ていて、生命を預ける武器とは到底思えない。
「弱くはない……んだがなぁ」
ロロクのNPCショップに行っても、買えるものは大体似たような強さのものだろう。
買い換える必要もないが、さりとて愛着も芽生えない――そんな微妙なところもとてもとても芋っぽかった……。
「まぁ、プレイヤーショップで別の剣を探そう……」
バスタードソードを買うんだ。そう決めたんだ。
やっぱり十年間使った、手に馴染んだタイプの武器が良い。流石に聖剣とそっくりな剣は無いだろうが。
――ヒュッ
剣を振り下ろす。
見た目はプラスチック製だが、重みは立派に鋼鉄製の剣だ。
――ヒュッ
横に薙ぐ。
風を斬る音も正常。欲を言えば、まだステータスが低い為か、風切り音が低く鈍い。
アルベロスは鉄塊のような剣ですら、もっと高く鋭い音をさせる。
――ヒュヒュッ
袈裟斬りから左斬り上げ。
遅い。音が二回した。
――ヒュッ、ブンッ
逆袈裟からシールドチャージ。
遅い。これでは剣撃から体当たりに移るまでに、敵が体勢を取り戻してしまう。
セルシンはこんなに遅くない。
――ヒュガッゴッ
足切りから右斬り上げ、そしてリアマグレル。
全然駄目だ。剣は当然にして、魔法の魔力の練りも精度も足りていない。
ヘギサのリアマグレルは、威力は数倍で礫一つ一つで針の糸を通すような精度で放つことが出来る。
「チッ……」
ステータスが足りない? 違う。ただ未熟なだけだ。さらに勘がなまっている。
深呼吸する。
ゲーム表示を見ると、スタミナが減ってしまっている。これでは駄目だ。無駄な動きがあるからスタミナが減る。
力を抜け。流れを滞らせるな。
風のように、水のように――
「にーちゃ」
――っと。
剣を振り始めたら、ついつい夢中になってしまった。
ライムは家事を終えてログインしてきていたらしい。
「ライム、おかえり――でいいのか?」
リアルでもVRでも一緒だから、なんと言っていいのやら分からなくなる。
家からVRの世界に来ているのだから『おかえり』も微妙に変な気がする。
「ただいま。だいじょうぶ、にーちゃが居るところが、わたしの帰るとこだから」
「――はいよ、おかえり」
ちょっと照れる。
僕の父も母も家にいない人だから、妹がこういう好意を僕に向けてくれるのは、素直に嬉しい。
人は場所に帰るものではない。人は人に帰るものだと、確認させてくれる。
「で、にーちゃ。おかえりのちゅーは?」
……こういう好意は考えものだが。
そもそもゲームの倫理規定に引っ掛かっただろ、それ。無理だよ無理。
「馬鹿言ってないで街に戻るぞ」
「ちぇ、はいはいさー」
帰還の晶石を使って、僕たち二人は街へと戻った。
―― …… ―― …… ―― …… ――
最後に立ち寄った街はファアート。
【帰還の晶石】は最後に立ち寄った街へと帰還できるアイテムだ。
なので、僕たちは自動的に華の街ファアートの地に降り立つ。
「ライム、特に用事がないなら、そろそろ剣を買い換えたいんだが……」
さほど資金があるわけではないが、生産プレイヤー作成の二級品ぐらいなら買えるだろう。
望んだエンチャント能力が付かなかったとか、そういう処分品は結構あるはずだ。
「んー? ならわたしが頼んで来よっか? にーちゃ」
「ん? 頼む?」
「ベータからの知り合いに、鍛冶職人がいる。その人にバスタードソードを作ってもらう?」
「ふむ……」
そうしてもらえるなら願ってもない。僕にゲー厶的な目利きなんて利かないからね。
例え二級品だといえ、どんなエンチャントが良いかとか、どの程度の金額が相場なのか等がさっぱり判らん。
……確か【目利き】とかいうスキルを持ってるはずなのにね。
「じゃ、芋剣出して」
「下取りでもするのか?」
「そんなカンジ」
ライムに要求される芋剣を出して、ライムに手渡す。
まぁ、バスタードソードさえあれば片手剣は必要ないからいいんだが、この微妙剣が売り物になるのだろうか?
「じゃ、行ってくる。にーちゃは好きにしてて」
そう言い残し、てとてとと街道を行ってしまうライム。
はてさて、好きにしていろと言われても、何をどうすべきかも分からない。
探すつもりだった剣はライムが用意してくれる。
暇に任せて、下手に市場巡りをして、なんかいい感じのバスタードソードなんか見つけてしまったら、買おうかどうか悶々と悩んでしまいそうだしなぁ……。
例えるならば『これ使えるかも? でも実物を見ないとイマイチよく分からないな』と思ったものを駄目元でネット注文した後――
それが届く前に、ちょっと遠出した場所の店頭で『ああ、これなら使える』という、ネット注文したものと似て非なる物を見つけた時の気分は、形容しがたい。
さらに値段が、ドブに捨てるには惜しいが、致命的に懐に痛いわけじゃないという……実に微妙な値段だったりするのだ。
ネット注文した物がイマイチ使い勝手が悪かった場合、この店に再度買いに来るのも地味に面倒……という距離で、ネット注文したものが駄目だった場合に、という保険程度に気軽に買うほど安くもない。
さらに、あると便利だから買ったけども、無くてもまぁ困りはしないという……ジレンマ!
ネット注文した物が充分使えるものかも知れない。だが駄目だった時はわざわざここまで買いに来ないといけないかも知れないという、シュレディンガーの猫の前で、人は頭を抱えるしかない。
……どうでも良いって? そうさ、そんな苦悩は当事者だけが抱えていればいい。
まぁ、そんなこんなを回避する方法はごくシンプルだ。
『ネット注文した物が届くまで、それっぽい物を見なければ良い』
なので、今、時間が空いたからといって『市場でも冷やかそうかなー?』なんてのは死亡フラグである。見える地雷である。そう断言できる。
なので、今、僕が取るべき行動は――
「まってー、まってぇー!」
目の前を黒猫と、それを追いかける三つ編みの少女が通り過ぎる。
「あー! クロー!」
少女は黒猫を見失ってしまったようだ。
そして僕の視界にPOPするダイアログボックス。
クエスト:【黒猫の捜索】が現れました。
受領しますか? 【YES】【NO】
――適当にクエストでもやって、時間を潰すのが最適とみた。
―― …… ―― …… ―― …… ――
「にーちゃ? なにやってるの?」
「おう、おかえりライム。これで最後だからちょっと待ってくれ」
僕の背中には20kgの小麦粉の袋が二つ。これを角のパン屋まで運べばクエストクリアだ。
黒猫のクエストを終えた僕は、その後も馬車の荷卸しのクエスト、そして問屋から小麦粉袋六つをパン屋に運ぶクエストを受けていた。
小麦粉の袋を背負う僕の後ろを、トコトコとライムがついて歩く。
「あんがとね、これが報酬だよっ」
クエストクリア!
:【500E】【焼きたてパン】を手に入れた。
パン屋の恰幅の良い女将さんから報酬を受け取り、店を出る。
そこで妹さんが改めて話しかけてきた。
「にーちゃ、おつかいクエストやってたの?」
「うん、まぁやる事なかったしな」
黒猫のクエストはAGIとスタミナが上がったし、荷卸しとパン屋はSTRとVITが上がった。
ちなみに黒猫の子はクリア報酬に【てづくりクッキー】をくれたよ。
……VRだから食べても味はないんだけどね。
「やりようによっちゃ、上げたいステータスを上げられるし、流行りそうなモンだけどな」
街でおつかい系のクエストを受けている人を見た覚えがない。報酬はイマイチではあるが、どうしてだろうか?
「戦闘でもステータスもお金も手に入るしね、にーちゃ。ステータスも極振りする意味があまりないよ、このゲーム」
……なるほど。
「ついでに、ゲームの中ぐらいは労働したくない、って人が多数」
……それもそうか。なかなか難しい問題かも知れない。
それでも生産行為はしたがる人は多いんだから世の中は分からない。
「で、剣は頼めたのか?」
「うん、でもちょっと時間掛かって明後日になるって」
「そっか、サンキューな」
と、なると、今日明日は青剣を使うことになるか。
「と言うことで――今日はデートだね。にーちゃ」
なにが『と言うことで』なんだよ……。
「装備が万全ではない状態で冒険なんて、自殺行為だよにーちゃ」
「うん、確かにその通りなんだが、お前に言われると釈然としないのはなぜだ?」
お前、いっつも『これはゲームだよ、にーちゃ」って言って、結構無理やりなことに特攻させられるイメージしかないんだが?
「にーちゃ。妹がデートしたいって言ったら、大統領をぶん殴ってでもデートをするのが兄の勤めだよ」
「すげぇな全国の兄。全員魔王を倒せるんじゃねーか?」
大統領に喧嘩売るとか、魔王と敵対するのと変わらねぇと思うわ。
「我儘は妹の義務。それを許すのは兄の義務」
すげぇな、傍若無人の代名詞が“妹”になるぞ? ……あ、割と普通にそれっぽい?
「はいはい、ウチの妹様は可愛らしいワガママだけなので、助かってますよ」
「うむ、くるしゅうない。なのでデートだよ、にーちゃ!」
むふぅと鼻息を荒げたワガママ姫は、そのまま自分の腕と僕の腕を絡めると、意気揚々と街の中心へと進み出す。
「しゅっぱつしんこー」
「了解、マイ・プリンセス」
僕をぐいぐいと引っ張ってゆく妹。
――ふと、幼い頃の遊びで、彼女の馬になった時のことを思い出した。




