2 元勇者、VRの地に立つ
キャラクターメイキングの最終確認に【はい】を選択すると、視界が光に包まれる。
その光が収まると、場面は一転して賑やかな街の中に変わった。
ゲーム開始後に降り立ったのは、どこかの街内の噴水広場だった。
周りには幾人か、僕と同じような服装をした人達が忙しなく動いている。辺りをキョロキョロと観察している人は、僕と同じくたった今、初ログインした人達だろう。
未来の話では“brand-new World”が正規リリースしたのは二、三日前らしいので、ここに居るのはたぶん、僕と同じく夏休みから始めた学生がほとんどだろう。
西洋風の街並み。近代建築はまったく無く、空を分け這う電線も無い。
海外に出たことはないが、欧州の古き良き街並みの風景が残る場所なんかは、こんな感じなんだろうか?
「――っと」
色々見て回りたい気持ちはあるが今は未来を待たせている。ゆっくりするのは後だ。僕と違い、キャラクターメイキングの必要がない未来は、もう待ち合わせの場所で待っているはずだ。
僕は未来が待ち合わせに指定した教会を探して、噴水広場を後にした。
教会はかなり目立つ建物で、程なくしてすぐに見つかる。
僕達と同じ考えだろうか? 幾人かの人たちが教会の前に佇んでいた。
この人たちが噴水広場を待ち合わせ場所にしないのは、これから増えるだろう夏休み組で混雑するのを予見したからだろう。
まばらな人の中で、僕は見知った顔を見つけ出す――とはいえ、いて当たり前の妹だが。
未来のキャラクターは、髪の色こそ浅葱色になっているが、どうやら他はデフォルトから殆ど弄っていないようだ。
僕は、普段から見慣れた髪の色とは違う妹に駆け寄り、声を掛ける。
「悪い、待たせたね。未来」
「あ、キャラ出来た? にー……ちゃ?」
振り返った未来は、僕の姿を見て、ちょっと困惑したような声を上げる。
「……にーちゃはデフォのままにするかと思ってた」
「ああ、ごめん。ちょっと変えた」
現実より、少しだけ伸びた身長。
少しだけ彫りが深く、濃くなった顔。
細身だが、しっかりとついた筋肉。
そして、身体のあちこちには大小の傷痕が無数に残っていた。
「にーちゃ、老けた」
「老けッ!?」
そんなふうに言われるほど歳はとっていないよ!? おじさんとか言われるほどは老けてないよ!?
「――にーちゃ、それってあっちの?」
「あ、ああ……うん」
そう、この姿は異世界グランスモールでの僕――勇者と呼ばれ、世界中を仲間と共に旅していた時の姿だ。
「これが二十五歳のにーちゃ……」
「うん」
この姿だったのは一年も前の話になる。
だからもうちょっと違和感というか、動かしにくさみたいなものを感じるかと思っていたが、驚くぐらいにしっくりと馴染んだ。
なんだかんだで、コレも僕の身体には違いないってことだろう。
――……なんてことを考えていたら、いつの間にか未来が、僕の身体をぺたぺたと触りまくっていた……
「……細マッチョ」
「……おーい? 未来さんや?」
「にーちゃ、リアルでこうなるまでどのくらいかかる?」
「……後一年ぐらいかな?」
異世界から戻った僕は、毎日欠かさずトレーニングをしている。
十五歳の頃の脆弱な身体にガッカリしたというのもあるが、戦争の中に身を置いた人間としては、戦えもしない身体のまま生活してゆく事に不安感を覚えたからだ。
とはいえ、短期に付ける筋肉と長期につける筋肉ではまるで性質が違うので、少しづつ肉体改造をしている真っ最中――というわけだ。
「むぅ、だったらしばらくは仮想で我慢する」
「我慢の意味がわからないんだけど……?」
とうとう、未来の手が裾から侵入して、僕の腹筋を撫で回し始めた。
あの、未来さんや? なんだか鼻息が荒いんですが? むふーとかいってますが?
「……む?」
「今度はいったいどうしたんですか? 未来さんや……」
「【セクシャルハラスメント警告が出ています。これ以上の身体的接触は相手プレイヤーの承諾が必要になります】ってダイアログが出てきた。にーちゃ、承諾して?」
「ダメです」
セクハラをする相手なら、GMコールを使わざるを得ない。
てか、そんなに筋肉が好きだったのか……? ウチの妹さん。
「傷、いっぱいだね。にーちゃ」
「まぁね」
未来の指が脇腹に残った傷痕をやさしくなぞる。
そこの傷はたしか――四魔天、『火炎王ゾーラ・ゾーラ』との戦いの際に負った傷だ。
異世界には回復魔法はあったものの、ゲームのようになんでもかんでも綺麗さっぱり治せるような便利なものではなかった。
切り落とされた部位はくっついたりしないし、よしんばくっついても後遺症は残る。
普通の傷も、小さな傷なら綺麗に治るが、大きな傷は治っても傷痕が残ってしまうようなものだった。
「痛い?」
「まさか」
実際にこの傷痕があった時は、少し引っ攣るような感覚はあったものの、ここはVR。当然、この傷痕もただの『グラフィック』でしかない。
この傷痕はただの、僕の思い出の残滓でしかないのだ。
「そっか」
「うん」
未来の指は、まだ傷痕をなぞっていた。
「痛かった、ね」
「うん」
痛かった。ゾーラ・ゾーラの持つ歪な形の剣が腹に突き刺さり、傷口を炎に焼かれ、気を失いそうなほど痛かった。
だけど、仲間も戦っているのに、僕だけ寝ているわけにはいかなかった。
重戦士のセルシンなんて、真っ赤に焼けた盾を手放しもせずに仲間を守っていたんだ。
ゾーラ・ゾーラを倒した直後にセルシンが、騎士の誇りとも言える盾をぶん投げて、「俺の手から焼き肉の香ばしい匂いがするっ……!」って悲鳴を上げた時は、セルシンには悪いけど笑っちゃったな。
そんなことを思い出し、一人でクスクスと笑っていると、不満げな顔の未来がつんつんと脇腹を突付いてきた。
「にーちゃ、そろそろ行く」
「ああ、ごめん。そうしようか」