10 あの日見た景色と似た景色
「はぁ……」
ほとほと疲れた。なにがって言うと、妹のセクハラが一番疲れた。
あの後すぐに、ライムは「お花摘み」と言ってログアウトしていった。
まぁ、すぐに戻って来るだろう。
VRゲームに排泄とかを実装したらヤバいことになりそうだよな……
夢の中でトイレに行くと、布団がヤバいことになってたアレと同じ事が頻発しそうだ……
「ただいま、にーちゃ」
そんなくだらないことを考えている間に、ライムが戻って来た。
そして、僕に向かってグッと親指を突き立てる。
「ついでににーちゃの部屋を見てきた。……立派に勃ってた!」
「やかましいわ! ど阿呆!!」
いつからこんなセクハラ妹になってしまったんだろう……この娘は……
―― …… ―― …… ―― …… ――
洞窟から出て、帰りの山道をとことこと歩く。
「あ、にーちゃ。こっち」
だが、帰り道の途中――ライムが藪の生えた獣道を指した。当然、街への道とはまるで違う。
「ん? そんな方に何かあるのか?」
藪の中の狭い道を進もうとするライムに声を掛けるが、ライムは藪の中をグイグイと進んで行ってしまう。
「ちょうど良い時間だと思うよ、にーちゃ」
「なんのことだ?」
藪を掻き分けるようにして進む。背の高い木々が太陽の光を遮り、まだ夕方だというのに夜の初め頃のように薄暗い。
草の蒸した臭い。微かに聞こえる虫の声。羽ばたく鳥の鳴き声と――ゲームとは思えない作り込みなのに、「でも、ボスモンスターのダメージ差分グラフィックは無いんだよなぁ……」と、妙な気分になった。
「ついた」
薄暗い林の中を抜け、突然に開けた視界。
そこに飛び込んできた西日と吹き付ける風に目を細める。
二、三度目を瞬かせると、眼の中に飛び込んで来たのは橙色――
「あ……」
そこは切り立った丘の上で、この世界の一部分が広がっていた。
手前の崖下には森。川が流れ、湖の水面が揺れ、青々とした木々が揺れている。
その先には草原が黄金色に輝き、その奥に霞む古城のシルエットは、夕陽を背に長い影を伸ばしている。
その向こうには、今まさに太陽が落ちんとする水平線――
それだけ多くの物が、この風景に詰まっていた。
「あぁ……」
――――…………
『――ユーシ、ちょい来てみろ。いいもん見れるぞ』
野営準備中、いつの間にかどこかに行っていた、巨大な両手剣を持つゴツイ男がひょっこりと戻ってきて、そんなことを口にした。
剣士アルベロス――剣聖と呼ばれていた男。
『――なぁにアルベロス。またマンティコアの交尾してるぜ! なんて言い出すんじゃないでしょうね……』
野営の準備など我関せず、と木にもたれかかり魔術書に眼を落としていたダークエルフの女性が妖艶で切れ長な眼をさらに細め、アルベロスを睨んだ。
魔導師ヘギサ――魔術、魔導に精通した、ダークエルフの女性。
『――その後、見つかって酷い目にあったな……マンティコアの突進は腕がもげるかと思った……』
巨大な盾と重厚な鎧を身に着けた男がため息をつく。
重戦士セルシン――最前線で皆を守る、動く鉄塊のような男。
『――まぁまぁみなさん……今度こそ本当にいいところですよね? アルベロスさん? それじゃ――』
仲間を取り持つように、柔和な微笑みをみせる女の子。
治療法師ミミア――治療法術に通じ、通常医療法にも通じる。僕を兄のように慕う女の子
――――
『ユーシ』『勇者サン』『ユー』『兄さん』
――行きましょう
――――…………
それは、遠い日に仲間たちと見た風景と似ていて、とても良く似ていて――知らない内に、僕の頬には涙が伝っていた。
「ここを見つけた時、にーちゃにも見せてあげたいと思った」
「あぁ……」
「前にーちゃに聴いた話、それに出てきた景色のイメージが、こんなだったかなって」
「うん……」
「似てる? 異世界の――グランスモールの景色に」
「うん、似てるよ、とても……」
ゆっくりと太陽が海の向こうに消えて行く。
それを僕たち二人は、何も言わず、ずっと眺めていた――
やがて空は宵の紺色になり、眩しかった風景を夜に隠す。
そこでようやく僕たちは顔を向き合わせた。
「ありがとう、未来」
「ごめん……にーちゃ」
……何を謝ることがあるんだろう?
「逆に、グランスモールが恋しくなっちゃったかなって……もう帰れないのに」
「――いや」
違うよ未来。グランスモールは帰る場所じゃない。
仲間たちに会いたい気持ちはある。だけど、僕は戻って来ることを選択したんだ。
勇者だった僕はあの世界での役目を終え、生きるべき世界へ戻って来たんだ。
――その選択に、後悔は無い。僕はここで生きるべきで、僕はここで生きたいのだ。
僕の生きるべき場所はここで、僕の帰る場所もここだ。
「向こうで見た景色と似ていたけど、やっぱりこれは別のものだよ」
あの時の風景は今でも思い出せる。
けれど、海は無かったし、川の形も違う。
森の木も針葉樹が多かったし、城の位置も形も違う。
「これは、僕と未来が二人で見た風景だ。他の何かじゃない」
そう口にすると、未来はするりと横に立ち、僕に体重を預けて来た。
「……また、見に来ようね、にーちゃ」
「うん、また一緒に見よう」
互いに手を握り、僕たちはまだしばらく、夜に落ちた風景に目を向けていた――
―― …… ―― …… ―― …… ――
「すっかり暗くなっちゃったな」
「うん」
夜の移動は危険を伴う。灯りが無ければなおさらだ。
だけどもまぁ……月明かりでまるで見えないこともないし、ゲームだから危険な獣が襲ってくるということもないだろう。なんたってゲームだからな。
「本来なら野営をするところだけど……街まで帰った方がいいのか?」
僕の質問に、ライムはいじわるそうな表情を浮かべた。
「にーちゃ、これはゲームだよ?」
クスクスと笑うライム。
そして彼女が取り出したのは、片手に乗る程度の大きさの水晶――“帰還の晶石”だった。