9 兄の我が儘と妹の我が儘
『マタン~』
「おっせぇよっ!!」
キノコ怪人の頭突きを回り込むように回避し、背中の傘部分にナイフを突き立てる。
黄色い光のヒットエフェクトが出て、敵を切り裂いた確かな手応えを感じた。
だが――
「再生した!?」
ヒットエフェクトが消えた後には、傷一つないキノコの傘があった。
確かに手応えはあった――ならば異常なまでの再生能力が――
「にーちゃ。グラフィックにダメージ差分が無いだけだから」
「――ぐ……」
恥の上塗りをしながら、キノコ怪人へ攻撃する。
―― …… ―― …… ―― …… ――
ボスとは言っても所詮は序盤のモンスター。そうして攻撃を続けていると、さほどの時間もかけずに、悲鳴を上げながら消滅した。
未来も時折り、ぽこぽこと杖で殴っていたのも効いているのだろう。
その場に残っていたのはさっきのキノコ怪人を小さくしたようなキノコ。
……これが大きくなるとさっきのキノコモンスターになるのか? ちょっと触るのが嫌だ……
「これでクエスト達成。帰ろ? にーちゃ」
「お、おう。そうだな未来」
うだうだしている俺とは対象的に、未来は平気な顔でキノコをさっさとアイテムストレージに仕舞ってしまった。
そのまま二人で、洞窟の出口に向かって歩き出す。
「にーちゃ。未来じゃなくて『ライム』」
「おっと……悪りぃ、ライム」
気が動転してから、また呼び方がライムから未来になってしまっていたようだ。気を付けないと……
「あと、“俺”じゃなくて“僕”……言葉遣いもちょっと変わってる」
「お、おう――うん……」
十年の異世界暮らしで、僕の喋り方も幾分か変わってしまっていた。だけど、妹はそれが気に食わないらしく、戻ってきてしばらくはこうして釘を刺されていた。
……半年ぶりぐらいに注意されたなぁ。
「それとにーちゃ。もし私が死んだとしても、これはあくまでゲームだから。あんなに必死になることないよ」
「ああ……うん……だよな」
そう、所詮はゲームでの事。死んだところで街に戻されて、デスペナルティを受けるだけの話だ。
そのデスペナルティも、スキルやステータスアップの経験値が二時間だけ半分になるっていう、割と緩いものだ。
――けど。
「にーちゃ?」
人が死ぬところなんて、いくらでも見た。
人を殺したことだって、沢山ある。
でも、それで平気だったことなんて、一度も無い。
魔物の牙に砕かれる村人。
魔族の剣に首を跳ねられる騎士。
恐怖と後悔に歪む盗賊の首を跳ねた。
聖剣で腹を貫いた魔族に怨嗟の眼を向けられた。
死を眼前にして、最初は吐いた。
次は眠れなくなった。
その次は自己弁護の言葉を心で何度も唱えるように、
そのまた次は何も感じない振りをして、次はまた吐いた。
そうしていって、その内に死に慣れてきた。
――それでも、死を前にして平気だったことなんて一度も無い。
まして、未来が死ぬところなんて、ただの仮初のものでも見たくない。
……なんて、口には出さないけどね。
ゲームで死なせたくない――なんて台詞、ちょっと陳腐過ぎるだろう。
「にーちゃ……」
ぎゅっ――っと、後ろから、未来に抱きしめられた。
「お……おい、みら――ライム――」
「よくわかんないけどにーちゃ、嫌だったこと思い出してた」
「……ああ」
そう、この子は僕が『向こう』の事を思い出すたびにこうしてくれる。
「にーちゃ。にーちゃはにーちゃの好きにしたらいいよ」
抱きしめる力が、少しだけ強まる。
「ここは“ゲームなんだから”にーちゃの嫌なことや怖いことなんてしなくていいんだよ。にーちゃは、にーちゃの好きなように――我が儘にしていいんだよ」
「ライ――未来……」
「私は、にーちゃのワガママを聞きたい。にーちゃのワガママを叶えたい。それが私の我が儘」
「未来――」
あっちから帰ってきてから、時折、夜にうなされる事もあった。
全てが夢で、眼が覚めたら戦場に居るんじゃないかと、眠れない夜もあった。
仲間たちのことを思い出して、ただ切なくて涙を流す時もあった。
ただひたすらに流れる平和な時間に、自分は本当にここに居ていい人間なのか、と、焦燥に駆られる時もあった。
でも、そんな時――いつだって未来が傍に居てくれた。
朝に学校に行ったと思ったら、その日の夕方に「異世界で十年も戦ってきた――」なんていうわけの分からないことを泣きながら話す兄に、未来はどう思ったことだろう?
それでも未来は、そんな与太話を疑うこと無く、僕の傍に居てくれた。
「――ワガママを十回言ったら、ブラックリスト行きなんじゃないのか?」
「男のワガママを許すか許さないかは、女の裁量だよ、にーちゃ」
「ははっ」
こんな面倒くさい兄を、未来は許してくれる。もったいないぐらいに出来た妹だ。
「にーちゃ――」
なおもグイグイと抱きしめてくる未来。
もう、いいよ。未来の気持ちはちゃんと受け取ったから――
……というか
「ハァハァ……にーちゃ」
「お……おい、妹さんや? 鼻息が荒くなってきていませんか?」
ライムの顔のある辺りの背中が、やけに生暖かい。
抱きしめられ、触れている部分もやけに擦りつけられている気がする……
「ライムさんや? そろそろ離れて下さいませんか……?」
「やだ。ハァハァ……にーちゃの筋肉……一年もすればリアルでもコレが私のモノに……!」
お前のじゃないよ!? 僕のだからね!?
ライムがもぞもぞ動く度に、ささやかだがしっかりと柔らかいものが、背中を刺激する。
――ぶっちゃけ言うとおっぱい当たってる。
「ラ……ライム、そろそろ離れてくれ!」
「だめ、ワガママ言わないで、にーちゃ」
さっきと言ってることが違う!?
「胸! 胸が当たってるから!」
そう叫んだところで、ようやくセクハラ警告が出たらしく、妹様が渋々離れてくれた……
「…………にーちゃ、勃った?」
勃ってないよっ!!
…………VRだから。