4.問うに落ちず語るに落つ
雛子ちゃんから試合観戦のお誘いがあったのは、体育館で清美と彼女が揉めていたという噂を聞いた後だった。痴話喧嘩だと言う奴もいた。ここ1週間ばかり昼休みの練習に2人揃って現れていたから、きっと本格的に付き合う事になったのに違いないと周囲の人間は思い込んでいたようだ。雛子ちゃんの好意はあからさまで後は清美がいつ折れるかどうか、時間の問題だと一部で言われていたらしい。
俺は雛子ちゃんのお誘いに即レスして、地崎を呼び出した。
「この間清美と雛子ちゃん、揉めたんだって?」
「あ、まあ……」
地崎は曖昧に頷いた。
これは真相を知っているに違いない。地崎は視野が広く思い込みだけで物事を判断する性格では無い。何より清美と地崎は仲が良かった。
「『痴話喧嘩』って聞いたんだけど。部活に恋愛のゴタゴタ持ち出されると困るんだよね」
「……違います。痴話喧嘩じゃ、ありません。鴻池と清美は別に付き合っているわけじゃありませんから」
俺は2人が付き合っていないのを知っている。清美の想い人は十中八九、晶ちゃんの筈だ。清美が本命以外に余所見できるような器用な性格じゃない事も承知している。口の堅い地崎から情報を引き出す為にわざとそう言ったに過ぎない。
「でも最近一緒に昼練来ているでしょ。一緒にお昼食べているのかな?付き合い出したって専ら噂になっているけど」
「あの、それは鴻池が清美に勝手に付いていっているだけで……それにお昼は清美のお姉さんも一緒に食べている筈です。だから痴話喧嘩なんかじゃ、ありません」
「じゃあ、何で雛子ちゃんが泣いたの」
『泣いた』とは聞いていないが勘で言った。それにその場で泣いていなくても、後で泣いていてそれを俺が見かけたと受け取ってくれるだろう。
「それは……」
地崎は逡巡した。
「……わかっているよ。清美が雛子ちゃんの事何とも思っていないの。俺、ミニバス時代から清美が超『シスコン』なの知っているから。雛子ちゃんって、清美のタイプから懸け離れているでしょ?」
俺は更に一押しした。なら最初から『痴話喧嘩』なんて言いださなければ良いだろうと、冷静になっていれば思うだろうが俺の意図的な圧力にまだ気付いていない地崎を、つい気を緩めてしまうような言葉で誘導したのだ。その事に敏い地崎は後で気が付くかもしれない。が、今は必要な情報が得られれば良い。
「清美とお姉さん―――森先輩、いつも一緒に弁当食べているんですけど、この間から無理矢理鴻池がそこに入り込んで来たみたいで。鴻池は2人が一緒にお昼ご飯食べるのに反対していて何度言っても絡んでくるからお昼の場所を移したそうなんです。それで腹を立てた鴻池が清美に文句を言ったらしくて。それで清美もとうとう堪忍袋の緒が切れたというか―――」
だから、痴話喧嘩じゃないです。と言う地崎。
まあだいたい予想通りというとこか。つまり―――清美がヘタレって事には違いない。自分に気のある女の子を上手く捌けなかったのだから。
「つまり雛子ちゃんは清美に気があるけど、清美にその気が無いから苛ついていると」
「そう―――なんでしょうね。はっきり清美に告白したわけじゃないらしいですけど」
「あからさまだよね。清美がきっぱり断ればいいのに」
「いや、アイツ鈍くて……そういうのよく解んないみたいです」
「童貞は面倒臭いね」
「はい……って、あ、いや」
地崎は僅かに頬を染めた。
そうか、地崎は『済』か。道理で落ち着いていると思った。
「あの、この事は他の人には……」
「うん、言わないよ。何か部活として対応できる事があればと思って確認したけど。その状態じゃ介入できる事は何も無いね。もし普段の練習に影響ありそうだったら、教えてくれない?別に清美を排除しようとか雛子ちゃんを晒しものにしようとか考えていないから。ただこれ以上部活中に揉めるようだったら……話し合いの場を作らなきゃいけないけど。剛力は噂に疎いから気にしていないけど、何かあったら俺もフォローするし」
キャプテンの剛力は気は優しくて力持ちを地で行く見た目は筋肉ムキムキのゴリ男だが、いつも成績上位の秀才君だ。弱点は人望はあるがいまいち噂や他人の心の機微に疎い所くらい。本人が真直ぐ過ぎて複雑に縺れる感情問題などを理解できないようだ。恋愛の揉め事など、彼にとって取り扱いに困る最たるものだった。だから自然とこういう面倒な事は副キャプテンの俺の担当になる。
念押しすると地崎はホッと胸を撫で下ろした。
こいつ苦労性だな。あんまり気ぃ使っていると禿るぞ。
** ** **
待ち合わせは、地下鉄大通駅の大きなテレビの前。
お人形みたいにスラッとした人目を引く出で立ちの雛子ちゃんが行き交う人の波を見つめていた。まるで雑誌から抜け出たみたいにセンスが良い。
待ち合わせ時間の10分前なのにもう来ている。しっかり者の雛子ちゃんらしいな。
声を掛けると何かに集中していたのか、彼女はビクリと肩を揺らした。
「こ、高坂先輩っ!……驚かさないで下さ~い」
「今日は早めに着いたと思ったのに、段取り魔の雛ちゃんはさすがに早いね」
「とーぜんです!私が誘ったんですから、遅刻できませんよ」
雛子ちゃんは、明るく元気に返してきた。
可愛いよね。
スタイルも良いし気も使える、清美には勿体無いなあ。
しかし弱冠ソワソワしている。その理由は直ぐに分かった。
「さっき、森を見かけました」
「ん?そう。声かけたの?」
「いえ。お姉さんと一緒でしたから―――仲良いですよね。高校生なのに、お休みの日に姉弟でお出かけなんて」
事前に地崎に話を聞いていたので台詞の表面以上の意味を汲み取ってしまう。この前まで中学生だったのに―――もういっぱしの『女』だな。
しかし俺はサラリと流した。
「そうだね」
彼女が言って欲しい台詞は予想が付くが、追従するつもりは無い。
君もいい加減諦めたほうが良い―――清美以上の男なんて、山ほどいるのに。
そう、心の中で呟いた。
「手を繋いで歩いていたから、吃驚しました―――ちょっと、仲好過ぎですよね」
「清美、晶ちゃんのこと大好きだからな。晶ちゃん優しいから、清美がやりたいようにやらせてあげてるんじゃない?」
咄嗟に口を付いたのは、雛子ちゃんにとって酷な事実だったかもしれない。
雛子ちゃんの顔は、見る見る蒼褪めて真っ白になった。
「あ!私サピコ、チャージしなきゃ。先輩ちょっと待っていてください」
話を切って震える声で顔を逸らし、雛子ちゃんは券売機へと掛けて行った。
俺は溜息を吐いて、肩を落とす。
どうやら彼女の頭の中は未だに清美と晶ちゃんの事で一杯らしい。どう考えてもあの2人に割り込むのは無理だ。少なくとも……今の清美に雛子ちゃんを思いやる余裕はないだろう。じっくり待つなら可能性はあるかもしれないけれど、彼女のタイミングも遣り方も悪手過ぎる。
うーん……今日は楽しいデートってワケには行かないかもな。
気持ちを拗らせている後輩に付き合うっていうスタンスで、行けばいいのかな。俺は俺個人で純粋に試合を楽しむしかないようだ。
** ** **
案の定雛子ちゃんは試合中ずっと上の空で、あの2人のコトばかり考えていたようだ。帰りのホームでまたどうしようもない話題を蒸し返した。
「高坂先輩、森のお姉さんって……彼氏とかいないんですかね?」
「ん?何で?」
「お姉さんに彼氏が出来れば―――森の異常なシスコンも治るかなって。早く目を覚ましたほうが、良いと思いません?」
思わず口が笑ってしまう。
健気というか、盲目というか。
「……地下鉄来たぞ」
坑道を押し出された空気が―――珍しくポニーテールに纏めていない、ストレートに下ろされた彼女のやや明るい色の髪を嬲り、髪先がふわりと風に乗った。
「珍しいな、陰口きくの」
不快感をはっきり示すと、やっと俺の嗤いの意味に気が付いて雛子ちゃんは顔を強張らせた。
女の子を甚振る趣味は、無かったんだけどなあ。
雛子ちゃん、これ以上俺の嗜虐心を発掘しないでくれ―――違う扉が開きそうだ。
次回、最終話です。




