消しゴムになった男
俺はインターネット上でファンタジー小説を書いているため、
よく転生という言葉を耳にする。
転生系で多いのは、異世界で勇者や魔王になったりする定番ものだろう。
実際、俺もそれをテーマにした小説を書いたことがある。
誰だって転生するなら、やはり王道が良い。
消しゴムなんて絶対に嫌だ。
その日は運がなかった。
急に飛び出してきた車と打つかって、死んでしまったのだから。
いきなり淡白に言っても分からないだろう。
もっとも俺自身がよく分かっていない。
いや、車と接触事故を起こしたことは分かる。
分からないのは俺が『消しゴム』に生まれ変わっていたことだ。
うん、我ながら何を言ってるんだろう。
とりあえず整理。
俺は高校三年生、受験生だった。
××大学に合格するため、誰よりも早く学校に登校して勉強。
そんな日々を過ごしていた。
あの日も、早朝から勉強しようと学校に向かっていた。
その途中でふいに車が飛び出してきて、撥ねられて死んでしまった。
不思議なことに、意識を取り戻すと、辺りは見知らぬ学校の教室。
自分の体を起こそうと思っても、できなかった。
理由は至極簡単。
どうやら俺は消しゴムになってしまったようだ。
服は青と白、黒のストライプが入ったカバー。
教室には鏡の類があった訳ではないのだが、それでも俺の見た目が消しゴムになっていることに間違いはなかった。
小説でいう三人称、あるいは神視点とでも言おうか。
つまり、自分じゃない誰かが俺を見ていて、その視界が俺に直接伝わってくるのだ。
かと言って、かなり視界が限定される訳でもなく、俺から半径二十メートル以内のものは、なんでも見ることができた。
消しゴムになってから二時間ほどが経って、次々と人がやってくる。
制服をみても、どこの学校なのか分からない。
けれども校章に『○○高校』と表記されているので、どこかの高校だろう。
やがて俺の持ち主の女の子が席に座った。
筆箱に書かれてある名前を見ると、『ナナ』とあったので、俺は彼女をナナさんと呼ぶことにした。
昼休みになって、ナナさんは机上に数学の問題集とシャープペンシル、そして俺を置いた。
「うーん……難しいなぁ」
ナナさんが俺の体を持ち上げる。
そして惜しむことなく、俺を摩耗させた。
白と黒が混じったカスの一部が机に散らばり、残りは床に落ちていく。
そこに痛みはなかったが、一抹の不安はあった。
ナナさんの解いている問題をみると、そこそこ難しい。
三年生用の問題集だ。
どうやら彼女も受験生らしく、問題集の端には『○○大学絶対合格する!』と書かれてある。
○○大学というのは聞いたことがある。
確か、俺の住んでいる場所の隣県にある大学だ。
もしかすると、ここは隣の県にある高校なのかもしれない。
彼女は頭が良い。
そして問題を解くときに独り言を呟く。
お陰で、俺が今まで理解できなかった部分がよく分かった。
まあ、もう意味はないんだけど。
……
消しゴムになってから半年目の今日。
俺は死にかけている。
体がないのだ。
半年間の間で、俺の体は摩耗しまくり、残り五ミリもない。
体が減るごとに視界も減り、今では半径五十センチぐらいしか見えない。
それでも俺は、確かに幸せだった。
ナナさんは物の扱いが優しい。
もしも持ち主が彼女ではなく、厳ついヤンキーみたいな人だったら、俺は半年も保たなかっただろう。
あるいは永遠に使われることなく、放置されていたかもしれない。
ナナさんとの思い出は沢山ある。
一緒に勉強したり、一緒に寝たり、一緒にテレビを見たり。
って……どれも俺が勝手にやったことなのだが。
まあ、ばれないことは消しゴムの利点だろう。
俺の半年間は彼女と共にあった。
彼女の半年間も俺と共にあった。
だが、それも今日で終わり。
ゆっくりと視界が狭まる。
思考も曖昧になってきた。
消えゆく意識の中で、最後に見た光景。
それは必死に勉強している彼女の横顔だった。
……
「消しゴム、落としましたよ」
「あ……ありがとうございます」
「いえ」
いつしか俺は元に戻っていた。
消しゴム(完全体)に戻ったのではなく、肉体に、人間の体に戻っていた。
事故に遭ったことは事実。
消しゴムになったことも事実だ。
撥ねられた俺は病院へ搬送され、そこで治療を受けていたらしい。
半年間も植物状態にあったそうだ。
その半年間といえば、俺は消しゴムになっていた。
センター試験まで後僅か。
さすがに勉強しないとまずいので、俺はここにいる。
隣の県にある、小さな図書館。
「もしかして受験勉強ですか?」
先程、消しゴムを落とした女の子が話しかけてきた。
「そうなんです。実は半年間も入院してて」
「半年も……この時期だと大変ですね」
彼女は悩ましげな顔をした。
まったく、君はすぐに人の心配をするんだから。
「いえ、意外と楽ですよ。良い家庭教師がいましたので」
「それは良かった。ちなみに、どこの大学を目指してるんですか?」
「○○大学です」
「え! 私と一緒だ!」
彼女は嬉しそうに笑った。