黒豹の小冊子 その三
黒豹の小冊子 その三 です。
自称弁天様が登場します。
夜の井の頭公園には外灯が白く濁って周辺を照らしている。そんな心もとない明かりのせいか園内は寂しさが漂っているようにも思えた。歩道は薄暗く数メートル先しか視認できない。
春の終わりとはいえ夜の野外は肌寒い。もちろん、歩道の周りに生えている森林のせいもあって余計に寒いのかもしれない。
僕は仕事着のシャツにジャケットを着ているのでそこまで寒くはないけどTシャツ一枚の桜子ちゃんは腕をさすりながら歩いている。その仕草を見かねた僕はジャケットを桜子ちゃんに羽織らせた。
桜子ちゃんはありがとうといいながら、ジャケットの襟を交差した両手で掴み胸元で抑えた。
駅から歩き始めて十分くらい経っただろうか。池に囲まれた小さな島にお堂の姿が見えてきた。暗くてはっきりとは見えないけど朱色の桟橋も見える。僕らは右手に見える弁財天を眺めながら道なりに進んで石灯籠が設置されている橋の前で立ち止まった。
「俺はここで待つ。ここに訪れるのは井上さんと桜子の二人だけのはずだろ。もちろん、訳を知らない先客がいるかもしれないが、見知らぬ男が加わっていたら向こうも警戒するだろ」
加藤のいうことは最もかも知れない。春生が僕に宛てた手紙には桜子ちゃんと一緒に小冊子を探せと書かれていた。部外者はなるべく立ち入らないほうがいい。
加藤は橋の脇にある石灯籠の陰に潜んだ。加藤を残し僕と桜子ちゃんは小幅な桟橋を渡る。日がでている時間なら橋の下を漂う池は綺麗に見えるのだろう。こうも暗くては水のゆらぎが別の生き物のように見える。
幅の狭い橋を渡っている途中から、桜子ちゃんがシャツの袖を摘んでいた。彼女の様子を伺うとまっすぐ橋の先に見えるお堂だけを見つめている。
「大丈夫。小冊子を受け取るだけだよ」
僕の言葉に桜子ちゃんは「ん」と短く答えて、しかし摘まれたシャツの抵抗感は奥に進めば進むほど強くなってきていた。
たどり着いた弁財天のお堂は朱色で造られていた。お堂はすでに閉門されていて中には入れないようになっていた。お参りをするために訪れたわけでもないけど、僕らは水屋に向かい禊を行った。
お堂の前には香炉が置かれていたけれど、こんな時間にお香は焚かれていない。その先には弁財天が祀られているお堂がある。建物の正面に立つとその造りに見惚れてしまった。古い建物がとりわけ好きというわけでもないけど、こういう日本の古い建物に魅力を感じてしまう。
「知っとーか。弁財天てな。本当は日本の神様じゃないに。付け加えーと、七福神はほぼ全員、日本以外の神様や仏様を混合した存在だに」
桜子ちゃんの博識に声を上げて驚いた。
「へぇ。そういうの詳しいの」
「詳しいというか、これもお兄ちゃんの受け入りだけん。あんま自慢げに言えんけどな。弁財天はヒンドゥー教の神様だけんね。大黒天もヒンドゥー教におった神様だけど、なんつったかいな。わっせたけどヒンドゥーで偉い神様の一人だに。日本では大国主と同一視されとらいね。因幡の白兎は知っとるでしょ?」
「ごめん、そういう宗教や神話には疎いんだ。僕の知識なんてゲームや漫画くらいだよ。神様がどうこうなんて言われてもピンとこないよ」
「やっぱこっちに住んどー人は興味ないか。しゃんもんだわな。因幡の白兎は出雲神話の一つだで。うちら兄妹って出雲出身だが。だけん、出雲神話なんてあっこに住んどったら自然と聞くようになーけんね。お兄ちゃんは昔から色んなもん知りたがる人だけん、出雲神話以外のことも覚えてはうちに自慢しながら話しとったわ」
桜子ちゃんは昔話を懐かしそうに話してくれた。お堂に入る前の緊張感はもうなくなっていた。軽い口調で話す桜子ちゃんの地元自慢は聞くだけでも楽しかった。僕は神奈川県出身だけどすぐに思いつくことといえば、横浜や鎌倉くらいしかない。どこも多くの人が集まる都市でおしゃれなお店も多い。人の集まる街から外れれば地方の田舎と変わらない。けれど、彼女の地元と僕の地元は根本的な何かが違う気がした。
「んで、弁天って人はいつになったらくーかいな。もう時間すぎちょらんか?」
桜子ちゃんは携帯電話を取り出して時間を確認した。僕も釣られて腕時計を見る。二十時四十七分と表示された。
「十時まで待つのはたいぎぃわ」
出雲弁の意味はわからなくても言いたいことがだんだんとわかるようになってきた。
弁天なる人を待ち続けるにしても時間の無駄に思える。僕はせっかくここまで来たのだからと、お堂の周辺を回ってみようと提案してみた。
「体動かしたほうが、うちは気が楽でいーわ」と桜子ちゃんは同意してくれた。
まず右手に見えるおみくじ棚から回ることにした。お堂の後ろには龍の形をした銭洗いが設けられている。桜子ちゃん曰く、弁財天は水の神様でもあって、お金を洗うことで財産が増えて利益を得られると信じられているそうだ。
さらに足を進めていくと、碑石と観音様の石像があった。それらを眺めつつ左に折れると絵馬掛けがある。どの絵馬にも白蛇が書かれていたけど、今年の干支ではない。理由があるとは思うけど、桜子ちゃんもわからないので深く考えずにやり過ごした。
絵馬掛けを通り過ぎると弁財天のお堂へと渡れる橋がもう一本あるのだが、その橋の上。ちょうど、真ん中の辺りに人が立っていた。暗くてよく見えないが髪が長くて、背も高い。彼女が弁財天かもしれない。向こうも僕らの存在には気づいていたらしく、ゆっくりと近づく。お互いの顔が確認し合えるほどの距離になると、橋を渡ってきたその女性は僕らに向けて大きく手を振った。
「どもども、弁天様のご登場だよ」
弁天様と自己紹介をした彼女の容姿がはっきりとわかった。
「あなたが、弁天なんですか」
僕の問に、自称弁天様は得げに頷く。
「当然じゃない。あたしじゃなかったら誰が弁天役をやるのか聞きたいくらいよ」
「井上さんの知っちょる人? やっぱ東京に住んどらい人はいろんな人と友達になっちょらいの」
「友達じゃない」
知っているけど、知らない人だ。にこやかに笑っているこの人は確かに会っている。女性にしては背が高く、初対面にも関わらず馴れ馴れしいその態度。僕に小冊子を渡したあの赤毛の外国人女性客だ。
「いやー、ごめんごめん。野暮用ができちゃってさ。そっちを片付けてきたら時間に遅れちゃったんだよねー。井上さんは数時間ぶりー。お、隣の女の子は彼女? 若くね? てか、井上さんの年齢考えたら犯罪じゃね?」
「違う! 違う違う違う! 違うけんね! 井上さんとは今日会ったばっかだけん。よー知らんし。一緒にお兄ちゃんを探してもらっとーだけだに。そんだけだに!」
必死に否定した桜子ちゃんを見て、自称弁天様は大声で笑った。
「知ってる知ってる。冗談だって。もー、そんなに焦って否定するとか可愛いねー。春生くんとは大違いだ。あ、そうそう春生くんからあなたのことも聞いているからさ。妹の桜子ちゃんでしょ。改めて自己紹介しようか。あたしは中村千弦。まだ二十代だよ! よろしくねー」
「「え?」」
僕と桜子ちゃんは同じ言葉を発した。
桜子ちゃんはどう思ったかわからないけど、僕の中では小冊子に描かれていた桜子というか中村千弦像はもっと冷静で何をしでかすのかわからないような、危険な香りを出しつつカッコイイ女性をイメージしていた。本人を前にして失礼だが予想以上の裏切りで脱力してしまった。そもそも二十代を強調する必要性はあるのだろうか。敢えて言うと無い。
僕の隣にいた桜子ちゃんは「ありえんわ」と呟く有様だった。
「本当に中村千弦さんなんですか?」
あなたはどう見ても日本人ではないですよねとまで言いたかった。
「うん。見た目はこんなんだけど、名前は中村千弦」
「「はぁ」」
再び僕らの呼吸が合った。
「ちょっと、二人してやめてくれる? あからさまながっかり感を出さないでよ。お姉さん傷つくから。あ、傷ついたから二冊目渡すのやめよっかなー」
「待ってください。すみません、いままでされたことのない自己紹介だったのでリアクションができなかったんです」
「てことはさー、普通じゃない女って思ったわけでしょー。いやー、ないわー。傷つくわー。こりゃふて寝するコースだ」
なんだ、この人やりづらい。絡みづらい。面倒くさい。三ヶ月前、春生はこんな人と一緒に行動を共にしたのか? 僕なら一秒と待たずにさようならを告げる。
「ふざけんなや!」と桜子ちゃんが大声で叫んだ。
今にも中村さんに飛びかかりそうな桜子ちゃんを背後から抑えた。
「冗談ばっかゆってかーに。あんたうちらのこと馬鹿にしとーか!」
「そりゃするでしょ。春生くんが消えたっていうのに、二人して仲良くお堂の周りを歩いているんだもの。あたしから言わせてもらえば脳天気にいちゃいちゃしている二人が信じられないね。冗談でも言わないとこっちが切れそう」
「それ、喧嘩売っちょると思っていーだか?」
「男を知らない小娘が粋がるんじゃないの」
その言葉に桜子ちゃんは顔を真っ赤にして、抑えている僕の腕を振り払おうとした。なんとか抑えようとする僕は必死だった。華奢な体なのになんて馬鹿力だ。信じられない。
体全身を使って暴れている桜子ちゃんを抑えている中、僕は中村さんの様子を伺った。あっけらかんとした雰囲気で下品な言葉を口にする人の目ではなかった。普通じゃない。どういう生き方をしてきたらあんな目ができるのだろう。
このままだと収集がつかない。いや、桜子ちゃんが危ない。いま、この子は何も見えていないのだ。
「桜子ちゃん、落ち着いて」
僕の声が届かないのか、桜子ちゃんは中村さんを睨みつけたままだ。中村さんはその睨みを物ともせずゆらりゆらりとこちらへ歩んでくる。絶対に危ない。
僕は中村さんに向かって叫んだ。
「中村さんの機嫌を損ねたのなら謝ります。すみません。でも、桜子ちゃんのこともわかってください。ずっと一人で消えた春生の心配をして心細かったんです。そしてやっと頼れる誰かができて安心したんですよ。だから、ここは抑えてくれませんか」
「こげなやつに媚びらんでもいーわや。お兄ちゃんが書いた小冊子だって奪えばいーがや」
と、桜子ちゃんは僕を睨みつけた。
その直後だった。桜子ちゃんの顔が逆方向にねじれた。顔に受けた衝撃のせいか叫び暴れていた桜子ちゃんの動きはピタリと止まる。
数メートルも離れていた中村さんが目の前にいる。彼女の右腕が平手打ちを入れた後のモーションで止まっている。平手打ちをした仕草なんて全く見て取れなかった。たぶん、桜子ちゃんも。
「せっかく井上さんがこの場を収めようとしているのにわからないほど子供なわけ?」
頬の痛みの衝撃と強い叱責で桜子ちゃんは萎縮した。桜子ちゃんの体から力が抜けていくのがよくわかった。
「ごめんなさい」
「あたしは後。先にこっち!」
中村さんは僕を指差した。桜子ちゃんは僕に体を向けて、頭を下げた。
「ごめんな。井上さん。うちいけん子だね。……中村さん。ごめんなさい。うち、すぐにカッとなるから。冷静でいられんようになるに。ごめんなさい」
「よろしい」
「よろしいわけないだろ」と声がした後ろに振り返ると朱色の桟橋を渡り終えた加藤がいた。
「騒がしいとおもったら。あんただったのか。中村千弦。相変わらず揉め事しか起こさない女だな」
「あら、ありがとう」
「褒めてない」
「そうなの?」
「そうだよ」
漫才のような掛け合いをしたかと思えば、二人は急に黙り込んだ。
間を置いて、先に口を開いたのは中村さんだった。
「双子を追い掛け回しているとは聞いていたけど、女二人のケツを追いかけるのはいい趣味じゃないよ。それとも、あたしもあんたの恨みのうちに入っているのかな?」
「あんたに思うところはある。もちろん、石田春生もだ。それでも、あの双子に比べたら微々たるもんだ」
「なるほどね。それで井上さんたちと手を組んだわけか。春生くんは二冊目の小冊子を受け渡す場所は狼の小冊子以外に残してないと言ってたもの」
「春生から二冊の小冊子を受け取ったんですか」
「彼が消える直前にね」
「お兄ちゃんから直接貰ったんなら、どこに行ったとか聞いちょらんの。もし知っちょるんなら教えて。そしたらこげな小冊子探しなんてせんでいいはずだが」
「知っていたら、あたしは井上さんに小冊子なんて渡してなんかいないよ。探すことができないから、井上さんと春生くんの妹であるあなたに頼るしかなかった」
桜子ちゃんは「そんな」と言いながら肩を落とした。
残念だけど、中村さんに春生の居場所を聞けるなんて思うのは甘い。春生は自分の意志で消えたんだ。その情報を誰かに教えるなんて考えられない。どういう意図があるのかわからないけれど、春生は小冊子を書き残して自分を見つけ出してもらおうとしている。
あいつは、自分を見つけ出すことさえも楽しんでいるに違いないんだ。
ここまでは、春生の思惑通りかもしれないけど、僕は中村さんの言葉を全面的に認めるわけにはいかなかった。彼女の言葉に説得力なんて皆無だ。僕の中で湧き上がるのは中村千弦という女性に対する疑問も疑心だった。
なにも春生を見つけるのは僕らでなくてもいいはずなんだ。
「中村さんが春生を探すことが出来ない理由は何ですか。僕らではなければ、春生を見つけることが出来ない理由でもあるんですか」
「理由なら二つある。あたしには春生くんを見つけ出すことは不可能なんだ」
消えた人間を見つけ出すことは難しいが、決して不可能じゃない。この人はなにを根拠に言っているんだ。
「手がかりの小冊子を読むことなんて誰にだって出来るじゃないですか。中村さんだってこの小冊子を読まれたんですよね」
「読めないよ」
中村さんは無表情のまま冷たく突き返してきた。
「あたしは読むことが出来ない。これが一つ目の理由。お願いだからいい加減に理解して。一冊目の小冊子を渡した時にあたしはなんて言った?」
あれほど印象に残る言葉を忘れるわけがない。
『井上さんの本なんだからね』
春生が巻き込まれた三ヶ月前の巨大動物事件。僕を物語の主人公とした小冊子。中村さんの口ぶりだと主人公が僕だから僕の本というわけではなさそうだ。では、僕の本というのはどういうことなのだろう。
この数時間のうちに起きた出来事を整理していく。四冊の小冊子。作者の春生は消えた。中村さんは読むことが出来ない。僕の本。小冊子の登場人物。実在した人々。桜子ちゃんを尾行する渡辺姉妹。その姉妹の邪魔をする加藤。姉妹の狙いは春生が手に入れた本。手がかりは僕と小冊子だけ。その本を僕に探させようとした。
何故だ。
冷たい風が吹き通る。
「もしかして、分からないの。こんな簡単なことも分からないのに、春生くんを見つけるつもりだったの」
「そげな風に悪く言うなや。井上さんは二冊目がある場所を言い当てたんだで。もしわからんかったら、ここに来とらんわ」
女性同士特有の言葉の争いが始まりそうだったが加藤が仲裁に入る。
石田桜子。加藤。二人は春生が書き残した小冊子の内容を知らなかった。
僕は二人に小冊子の内容の説明をした。その後、僕は小冊子を渡した。一人はちゃんと読み終え感想を言った。もう一人は目を通すだけだったが読めた。
何故か。
二冊目の小冊子を所持している中村さんは読むことが出来ない。
それでは誰も、
「誰も読むことが出来ない」
悪い癖は出していない。伝えるために意識して言葉にしたのだ。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
黒豹の小冊子 その三 は如何でしたでしょうか。
弁天の正体はすぐにわかったと思います。
意外性がなくてすみません。
明日も投稿いたします。
よろしくお願いいたします。




