表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
科白空白  作者: アサクラ サトシ
第一章 狼の小冊子
3/32

狼の小冊子 その三

狼の小冊子 その三 です。

「あ、これ狼か。犬かと思ったわ」

「犬ではないよね」

 僕は笑って誤魔化したが顔から水蒸気が噴き出しそうなくらい熱かった。作り話とわかっていても、試さずにはいられないのが少年心というものだ。そんな心を持ち合わせていても、二十歳を超えた大人のするような言動ではなかったと後悔する。

「そんで、これからどげすーで。次の小冊子がどこにあーか分かっちょるの」

「二冊目の小冊子がどこにあるのか、見当はついているんだ」と、僕はワンテンポ遅れて返事をした。

 桜子ちゃん本人は普通に話しかけているかもしれないが、こちらとしては聞きなれない方言を理解するのに数秒ほどかかるので返答が遅れてしまう。彼女の方言に慣れるには時間がかかりそうだ。

 僕は二冊目が受け取れる時間と場所を教えると、桜子ちゃんは携帯電話で時間の確認をする。

「いま六時半だけん。ちょんぼし時間があーね」

 僕らは二四六号線の上を歩道橋で渡り、渋谷駅西口で足を止めた。

「これから向かっても七時前に到着すると思うから、一度ここで別れてから井の頭公園駅前で待ち合わせしようか。井の頭線一本の駅だけどわかる?」

「井の頭公園は知っちょーで。うち、吉祥寺に住んどーけんね」

 なるほどと納得してしまった。僕が紙芝居を見せられる時、井の頭公園だったのは吉祥寺住まいだったからなのか。

「井上さんは池ノ上に住んじょーが」

「なんで知っているの」

「お兄ちゃんの書置きに書かれとった。あんな、めっちゃ恥ずかしいんだけど、個人的なお願い、聞いて貰えんだーか」

 これ以上の厄介ごとは御免こうむりたいのだけど、桜子ちゃんの態度はこれまでと打って変わって恥ずかしそうに上目で僕を見つめている。

 どうしよう、すごく可愛い。

「うち、井上さん家に寄ってもいーだーか。今な、めっちゃお腹空いちょるに。お兄ちゃんの書置きに、料理が上手だけん、時間があれば飯を食わせてもらえって」

 春生。君は妹にどんな書置きを残したんだ。この子もこの子で、お腹が空いているとは言っても今日知り合ったばかりの男の家に上がろうとするのは軽率な発想だ。僕がもう少し邪な心を持っていたら大変なことになるところだ。と、紳士ぶった考え方をしても、桜子ちゃんの強さを体感した後では邪な行為をしようなんて気は起こさない。春生が桜子ちゃんに実力行使の指示を出した理由がよくわかった。それでも、こういう図々しいところは兄妹なのかそっくりだ。

「いけん?」

 桜子ちゃんが上目遣いのまま呟く。方言を喋る女の子ってどうしてこんなに可愛らしいのだろう。その目と言葉にあてられてしまい「いいよ」と返事をしそうになってしまった。

「作ってあげたいけれど、いまさっき知り合ったばかりの男の家に上がるのはあまりよろしくないと思うよ」

 僕は思っていたことをそのまま口にした。思っているだけでは伝わらないのだから、口にしないといけない。

「お兄ちゃんの友達だけん、信用しちょるよ」

信用されても困るのだ。僕が住んでいるボロアパートにこんな若い子を連れ込みたくもない。

「また黙っちょる。そげにうちと一緒におるのが嫌だ?」

「そうじゃないってば。調理するにしても、時間がかかるし僕だってお腹が空いている。だから、僕の手料理は後日ってことで、いまは外食にしよう」

 桜子ちゃんは眉間を八の字にさせて、いかにも不機嫌な顔をした。

「うち、牛丼とか好きじゃないで。食べるなら手作りがいいわー」

「安心して。牛丼屋じゃないし、味も保証する」

 チェーン店の牛丼屋も手作りは手作りだけど、そこは言わないでおこう。ただ、外食イコール牛丼という発想はちょっとひどい気がする。きっと春生と外で食べるときはいつも牛丼屋ばかりなのだろう。

 桜子ちゃんは、ふてくされながらも僕の後に付いてきた。

 マークシティを素通りして路地に入った。路地の通りはパチンコ店や立ち飲み屋もあれば地方の鮮魚を取り扱った居酒屋に風俗案内所などがある。そのどれもが僕らには用のない店ばかりだ。T字路に突き当り、左手には井の頭線の高架下で、西口の改札が見える。右手の先には道玄坂へと繋がっている。

 僕らは右手に曲がり、コンビニエンスストアの真向かいにある中華屋で立ち止まる。

 店内は夕飯時ということもあって食事をする人たちで混み合っていた。カウンターなら二人並んで座れる席は空いていた。

「最近出来たお店なん? ちょっと新しい感じがすーけど」

「一年くらい前に新装したんだ。少なくとも十年以上はここで店を構えているよ。しかも、ここ二十四時間で営業しているんだ」

「はー。東京はなんでもかんでも二十四時間にすーね。それに東京は食券が好きだが」

 桜子ちゃんは新しく設置された食券を指さした。新装する前、食券販売機はなかった。たぶん、朝方は酔っぱらいも多いから所持金不足や食い逃げ防止なのだろう。

「本当は小洒落たお店とかのほうがいいかもしれないけど」

「うちは食べるならこんなんがいいよ。お洒落なところもいーかもせんけど、お腹満たすなら小ぢんまりとして、がっつり食えるところが好きだで」

「さすが体育会系は違うね」

「うっさいわ」

 桜子ちゃんは無遠慮に僕の背中を平手打ちした。力の加減はしているとは思うけど、それでも痛い。

「なにがおすすめ?」

「チャーハンと餃子は鉄板で美味しいかな。定食だとレバニラも美味しいけど、匂いが気になるなら、やめたほうがいいかな」

「じゃあ、チャーハンと餃子でいーわ」

 僕はさっさとお札を販売機に投入してチャーハンと餃子の食券を二枚ずつ購入した。桜子ちゃんが財布を取り出すと、僕はしまうようにとジェスチャーした。

「いいの?」

「手料理を食べさせられなかったお詫びと思ってくれればいいよ」

「そんならお言葉に甘えーわ」

 桜子ちゃんはにこりと笑って食券を受け取ってくれた。

 店内に入りカウンター席へ腰を下ろすと、隣にいた桜子ちゃんは座りもせずに店の外に見入っていた。

「どうしたの?」

「いんや、気のせいだと思う」

 そういって、僕の隣に座ったが首をかしげていた。

「知り合いでもいたのかな」

 明るく聞いてみたものの、彼女の腑に落ちていない顔色は変わらない。

「今日な、家からここに来るまでの間に何度も同じ人を見かけている気がしちょるに」

 僕はわかりもしないのに店の外を見渡して、桜子ちゃんと目を合わせた。

「跡を付けられていた?」

 何故か小声になってしまう。僕の中では、桜子ちゃんを付け狙っているのは目つきが悪く、上下ジャージなのに恰幅がよく、肩で風を切るような男の姿が想像されてしまった。絶対に友達にもなりたくないし、知りあいたくもない人種だ。

「あんま考えたくないけどな。けど、わからん。お兄ちゃんがおらんようになって、気弱になっとたから、そう思えたかもしれんしな。大学におる女の子もおんなじ服装の子ばっかおーけんしな」

 またもや早口だったので適当に相槌を打った。彼女が口にしている言葉をニュアンスで理解するのに時間がかかる。おる、おらんというのは、いる、いないの意味だろう。それに、桜子ちゃんは女の子もと言っていた。彼女が見かけた同じような人というのは、女性なのだと察した。そうとわかれば、さっきまでの男性像は打ち消されて、甘めのファッションをした女子大生像が浮かび上がる。

 桜子ちゃんの不安を打ち消そうと、僕は彼女に向かってこういう風に考えてみたらどうだと持ちかけてみた。

「流行りがあるからね。服装も化粧も髪型も、みんなが同じなら安心もできるんじゃないのかな」

「みんなおんなじ格好しちょってなにがおもろいんか、うちにはようわからんわ」

 流行りなのだから面白い面白くないは関係ない気もする。

「ただな、もう一つ気になーことがあってな」

「なに?」

「顔は一緒だけんど服装がちがーに」

「ちょっと、それ怖いんだけど」

 背中に嫌な汗が出た。再び、僕が想像した可愛らしい女子大生像が消えて、今度は長い黒髪をして、顔の見えない女性が出てきた。うん、これは怖い。いやまてよ、顔は見えているのだ。さらに想像する。下ろした前髪から顔半分が見える。白い肌で化粧はほとんどされていない。くっきりとした目、高い鼻、薄い唇。一見して美人とも言える顔立ちなのに、影がある。その女性がこちらを見る。顎を引き上目遣いで口元がうっすらと笑みを浮かべている。これは、もっと怖い。

 僕が顔を強張らせたのを見て、桜子ちゃんはくすりと笑った。

「そげにおぞいことないが。心配性やね。井上さんて。さっき自分でもゆっとったがね。流行りだけん、同じような服、同じような顔がおるって。うちよりも井上さんのほうが考えすぎと違うか」

 ニュアンスでも意味がわからない方言があったけれど、言いたいことは分かった。

 そうかもねと、苦笑いをしていると、厨房のおじさんが「おまちどうさまですー」と言いながら、僕らのカウンターに二皿のチャーハンと一皿にまとめられた餃子が差し出してきた。

「めっちゃ美味しそうやね。いただきます!」

 桜子ちゃんは手にしたレンゲで、丸く固められたチャーハンの山を崩して口の中に入れた。

「うまーい。うち、ひさびさにチャーハン食ってうまいってゆったわー」

 目を輝かせてチャーハンを食べる女の子なんて初めて見た。美味しさのあまり小躍りでも始めそうだ。

「喜んでもらえてよかった」

「ありがとうございます。これ、チャーハンのスープです。遅れてすみません」と厨房のおじさんがスープを出してくれた。

 チャーハン用のスープは少量の醤油だれに具は輪切りにされた長ネギと溶き卵だ。熱々のチャーハンを噛み締めながらスープを流し込む。濃い目に味付けされたチャーハンに旨味のあるスープが相まって口の中は至福だった。

 チャーハンを噛み締めながら、焼きあがったばかりの餃子を摘んだ。一つ目は醤油にも付けずにそのまま食いつくと、口の中に肉汁がじゅわっと広がっていく。下味がしっかり付いているので、なにも付けなくても美味しい。何度も食べているのに飽きがこない味なのがこの店の売りでもある。

 僕らは会話をすることすら忘れて、美味しい溜息をつきながら、箸とレンゲを伸ばしては口の中へと放り込んだ。

腹を満たして外にでると、渋谷の街は夜の装いに変化しつつあった。人の数も増えて、老若男女が入り乱れ始めた。ゴールデンウィークに浮かれている人たちの間を埋めるように客引きや若い女の子を目で物色している輩もちらほら現れはじめた。

 時刻は十九時を少し回っていた。これから各駅停車で井の頭公園前に向かっても二十時前には到着できるはずだ。

「お腹いっぱいだわ。はや二冊の小冊子探しに行かこい」

 そういって、桜子ちゃんは井の頭線の西口へ行くのかと思いきや、踵を返して僕と向き合った。僕を見る目は鋭く、顔は強張っている。

「井上さん、こっから先、振り向かずに前だけ見て、うちに付いてきて」

 桜子ちゃんは早足で道玄坂へと向かっていく。歩幅は僕のほうがあるのに、彼女の足の早さは予想以上だった。速度を合わせながら並んで歩くと横断歩道の信号は運良く青で、そのまま渡れた。ファミリーマートとモスバーガーを通り越して、小さい路地へ右折する。路地先はペットショップや飲食店に、風俗街の円山町にも近いので脇道にはラブホテル街に風俗店の案内所にアダルトショップが見える。

 狭い路地ではあるけれど、人は多く元気に騒ぐ大学生やら、これから楽しむためにここへ寄ったのかカップルの姿もちらほらいる。

 桜子ちゃんから説明のないまま、ここまで同行したけれど、なんとなくわかっていた。

「さっき言ってた人がいたの?」

「携帯で話しちょったけど、あきらかにうちらが店から出てくるのを待っとった。うちらを見るあの目は、絶対に怪しかった」

 桜子ちゃんの言葉を疑っているわけじゃないかったけど、本当にそんな女性がいるのか気になって振り返ろうとすると、脇腹を小突かれた。地味に痛い。

「振り向かんでって言ったが」

 脇腹をさすりながら、ごめんと謝る。

「振り向けない代わりに、どんな人なのか教えてよ」

「ほんのり茶髪で、化粧はばっちりしとって、うちよりも背は高かった気がする。あれよ、男子にちやほやされやすいタイプの女だったわ」

 具体的なようでわかりづらい説明だ。

「井上さんの学生時代にもおったろ。自分のことを可愛いと自覚している女。そんでもって、男に構ってもらえるアピールの仕方を知っとー奴だで。うちがいっちゃん嫌いな奴や」

「いっちゃん?」

「一番ってことだがね。そんくらいわかれや」

「怒らなくてもいいじゃないか」

「もう、怒っとらんわ。なんで、うちが喋るとみんなして怒っちょるとか言うで。意味わからんわ」

 口調がきつい方言のせいで怒っていると思われてしまうのだろう。関東の人からすると、誰がどう聞いても怒っているようにしか聞こえないんだけどな。

 小競り合いをしているうちに路地の反対側へ出ると西武デパートの前に出た。僕らは足を止めないまま、目の前にある道をそのまま突き進んだ。

「こっから近い駅ってどこだ?」

「このまま進んでいけば、井の頭線の神泉に着くよ。でも、各駅停車しか止まらないから、電車を待っている間に追いつかれるかもしれない」

「どげすーで」と、泣きそうな顔をして僕に訴えかけてくる。

「そんな顔をしなくても大丈夫だよ」

 陽が落ち始め、辺りが暗くなる一方で人の数も増えている。人混みの中に紛れながら、タクシーを拾えばうまく巻けるはずだ。

 僕の考えを桜子ちゃんに説明する。

「うん。その案に乗っちゃる。もう、うちが頼れんのは井上さんしかおらんけんね」

 僕を見て微笑む桜子ちゃんは、幼さを残した十代の可愛らしい女の子だった。

 彼女の笑顔に見惚れていると、前方から歩いてきた男性とぶつかってしまった。

 咄嗟にすみませんと頭を少しだけ下げたが、しかし男性は僕から離れようとしない。男と密着して喜ぶ趣味もないので距離を取ろうとすると、その男性は僕の耳元に顔を近づけてきた。

「井上優太だな」

 自分の名を呼ばれ男と距離を取る。男は二十代前半だろうか、大学生くらいにも見える。背丈は僕よりもひとつ高い。清潔感のある短めの髪、整えた眉、力強い目を持っている。服装は白いシャツにデニムといったスタンダードなカジュアルスタイルだが、顔の良さもあって様になっている。そして、やっぱり僕の知らない人間だった。

 今日、あと何回くらい僕は自分の名前を聞かされるのだろうか。


最後まで読んでいただきありがとうございます。

狼の小冊子 その三 いかがでしたでしょうか。


明日も更新いたします。

よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ