梟の小冊子 その一
新章 梟の小冊子 その一 です。
駐車場から離れてどれくらい経っただろう。もう午前二時は過ぎたかもしれない。空を見上げるとどんよりとした雲が鎮座している。東京文化会館の通りすぎて上野公園の大通りを歩んだ。右手には国立西洋美術館の建物が見えた。小冊子にも書かれていたが、上野は美術館が多い。いたるところに美術展の看板や案内が出ている。通りには外灯は見当たらず、非常に暗かった。
上野公園を訪れたのは初めてだ。そもそも上野に訪れたことが殆ど無い。電車乗り換えで上野駅のホームに降りたことはあったけれど駅から出たことはない。桜子ちゃんも公園内のどこに何があるのか知らない様子だった。
奥へと進むに連れて木々が増えていく。細い木よりも年輪を重ねている巨木が大通りの脇を占めていた。木の多いところは体感気温が下がる。またジャケットを桜子ちゃんに貸そうかと尋ねたがやんわりと断られた。
変わったデザインをした建築物の室内から明かりが灯っていた。通りすぎようとした時に室内を見るとカウンターとなっている台の上に「ただいま巡回中です」と書かれたプレートが置かれていた。こんな建物が交番なのかと驚いた。
「公園の安全を守るために巡回中なんでしょうね」
「あんたがいうと皮肉にしか聞こえないな」
世間を騒がせた女泥棒と傷害罪を犯した男が仲良く会話をしている。
大きな十字路に出て、左に曲がる。そのまま真っすぐ進めば閉園している上野動物園があるようだが、暗くて看板もろくに見えない。
上野東照宮の幟が三本ほど見えた。どうやら目的地まであと少しらしい。その幟の前で中村さんが足を止めて振り返った。
「ここからは二人で行ったほうがいいんじゃない」
「羊の石があーとこまで連れて行ってくれんで?」
「もしそれで小冊子を見つけることができなかったら困るでしょう」
「せめて、羊の石がどこにあったのか教えてもらえます? こうも暗いと見つけるのにも時間がかかると思いますけど」
「懐中電灯あるよ」
中村さんはボディバッグから細長いペンライトを取り出して僕に手渡した。海外の刑事ドラマで使われそうなペンライトだ。スイッチのオンオフをして光量を確認した。
「なんでも入ってますね。天空に浮かぶ城でも探すつもりですか」
「なんだ、井上さん、そういう冗談も言えたんだ」と中村さんはくすりと笑う。
「心に余裕がないと言えませんけどね」
「頼もしいね。空中海賊は面白そうだけど、あたしは泥棒でいいや。石が置かれていた場所は東照宮の境内じゃない。鳥居を正面にして左に行くと大きな巨木があるの。その下のあたりに石があったはず」
「俺もここで待ってる。なにもないとは思うけど、気をつけてろよ」
僕は中村さんと加藤に頷いてペンライトのスイッチを入れた。通りに明かりを照らして桜子ちゃんと並んで歩いた。
「まるで実家の夜道を歩いとる感じだわ。東京来て驚いたんは、夜道が明るいことだったけんね」
「出雲にだって外灯くらいあるでしょ?」
「あーけど、うちの住んどった町内の歩道なんて外灯はぽつんぽつんとしか置かれとらんかったけんな。満月の日は月光の明かりだけで辺りを見渡せーで」
「月明かりだけで? 一度は体験してみたいよ」
「そんなら出雲にきんさいや。遊べーとこなんてゲーセンとかカラオケぐらいしかないけど、静かでいい町だで」
「機会があれば行こうかな」
「そん時はうちが出雲の案内しちゃーわ」
鳥居を目の前にして僕らは左を向いた。
「小冊子を見つける前に、あの文章には数字が隠されているはずなんだけど、わかるかな」
「なんとなくだけどわかっとーで。あんなん小難しく考えたらダメだに。三冊目の小冊子もっとーか? それ見ながら教えちゃーわ」
ペンライトを桜子ちゃんに渡して虎と羊の小冊子を開いた。
「高天原の神々つーとこだけどな。出雲神話だけじゃないけど日本の神様は八百万おるって言われちょるに。八百万と書いて八百万な。八百万は今で言うと無限の意味になーに。つまり、神々の力を借りるっつーことは、その数を指しとるんだと思うわ」
「八百万は多いから、百万を引いて八か」
「次に大蛇だけど。これは八岐の大蛇を指しとるんだと思うに。さすがに八岐の大蛇はわかーが?」
僕が頷くのを見て、桜子ちゃんは続けた。
「黄泉比良坂つーのはイザナギノミコトがイザナミノミコトから逃げる際にあった坂のことだわ。イザナギノミコトが投げた桃の数っつーのはわかーけど、どうせなら、なんでイザナギが桃を投げたのか話してもいーだーか」
こういう話しを聞く機会はない。後回しにしてもいいことかもしれないけど、場の流れに合わせて聞くべき話もある。というのは、格好つけた言い訳で、純粋に彼女からこの話しを聞きたかった。
「聞かせてくれるかな」
「一応、簡単に話すわ。まずイザナギノミコトは亡くなった奥さんのイザナミノミコトに会いたいから黄泉の国に行ったんだわ。イザナミが死んだ理由は火の神様を産んで大火傷を負ったからなんだけどな。そんで、黄泉の国の奥地でイザナミを見つけーけど、イザナミは自分の姿を覗かないでくれとお願いしたんよ。イザナギは見ないと約束した。だけど、イザナギは愛しいイザナミを見たくてその約束を破ったの。そして驚愕した。イザナミは火傷でただれ、腐敗した体をしとったに。変わり果てたイザナミを見たイザナギは恐ろしくなって黄泉の国から出ようとしたの。ところが、自分の醜さを見て逃げていくイザナギを許せなかったイザナミは黄泉にいる亡者を使ってイザナギを追い掛けさせた」
「逃げたイザナギには同情するけどね」
「約束を破るような男はダメだわ。そんで逃げずに受け入れとるのが愛情だと思―で。んで、話の続きな。亡者に負われたイザナギは持っていた十拳剣を使って振り払ったけれど数が多い。そんで坂下の所に桃の木があって、そこから三つの桃をもぎ取って亡者に投げつけた。桃に気を取られる内に、イザナギは現世に戻れることができたに。めっちゃ簡単に話したけん、違うところもあーけど、だいたいこんな感じだわ」
「それって他の神話でも同じような話しがあったよね。神様の名前までは覚えていないんだけど」
「ギリシア神話のオルフェウスだわ。亡くなった奥さんを助けるために冥界まで行くやつだが?」
「そうそう。よく覚えているね。あの話も振り返って奥さんが冥界から出られなくなる話だったよね」
「どちらも悲劇で終わっちょるわ。これもお兄ちゃんの受け入れ知識だけどな。神話つーのはね。地域や国が違っていても同じような話があーと。なんかこうして薀蓄をしゃべっとーとお兄ちゃんになったみたいで変な気分だわ。んと、桃の実は三つだで」
「左に三回かな」
「最後のところも話すで。神の立つ橋っつーのは神立橋のことだわ。出雲にはその名前を残した橋もあーに。名前の由来はな、神在月の時は出雲大社に日本各地の神様が集まーが。そんで大社さんで大切なお話をした後はその橋から神様たちが去っていからいことから、これを神が立つ橋と書いて神立橋とよばれちょるに。旧暦の神在月を今で言うと十月だわな」
「メモリは十か」
「間違えちょったらごめんね」
「たぶん、合っているよ。問題は金庫じゃなかったらどうしようかって感じだね」
「がいに心配せんでもいーがね。きっと金庫であっとーわね」
桜子ちゃんからペンライトを返してもらい、鳥居を正面にして左折した。巨木と思える木は三本ある。もう少し歩けば外灯があるのだけど、こちらまで届く光量ではなかった。まずは手前の木から探索する。木には虎の爪痕が残されているはずなのだが、この木にはそれらしい痕は見受けられなかった。念のため羊の石らしい物がないか探してみたが見つからなかった。続いて二本目の巨木を探索しようとして、桜子ちゃんが僕の名を呼んだ。
「ここ、ライトで照らしてごさん」と桜子ちゃんが三本目の巨木を前にして言う。
指差された所にライトを当てると、木の表面に爪痕が残っていた。
「これが虎の爪痕なんだーか」
「本物、かな?」
爪痕となっている溝を指でなぞる。深くはない、ごく最近に傷つけられた人為的な痕だろう。木の下にペンライトを向けると真っ二つに割れている石がある。二つをつなぎ合わせると羊のようにも見えた。ペンライトを地面に置いたまま手にした石を使って地面を掘り始めた。柔らかい、一度掘り返している証拠だ。掘り進めていくとカツンという金属音がした。
石を近くに放って、柔らかくなっている土を両手で払うと、黒い金庫が出てきた。持ち上げると予想よりも軽かった。
「井上さんの予想どおりだがね!」と桜子ちゃんが僕の肩を掴んで揺らした。
地面に置いた金庫にはちゃんとダイヤルが備わっている。
「ダイヤルを回そう」と言って、桜子ちゃんと目を合わせた。
桜子ちゃんが読み解いた数字を思い出しながらダイヤルを回す。
右に八回まわしてメモリを八に合わせる。次に左へ三回まわして、メモリは十に合わせた。安物の金庫のせいか、手応えというものがなかった。
「井上さん、鍵、忘れとーで」
鍵の存在などすっかり忘れていた僕は慌てて財布の小銭入れから小さな鍵を取り出して、鍵穴に差し込んで回した。
カチっという音が金庫から聞こえる。
「開いた」
金庫の蓋をあけると中には梟の絵が書かれていた小冊子が入っていた。
「あったよ。最後の小冊子!」
小冊子を手にして描かれた梟をまじまじと見た。
「梟が女神の鳥というのはなんだろう」
「それもギリシア神話のアテナだと思うで。梟ってなアテナの使いとも言われとるに。それに森の賢者とも言われとーけん。木の下に隠したのもそれがあーかもね」
「春生の奴も素直に梟と書けばいいのに」
「変に意味のあるようなことをしようとされーけんなぁ」
立ち上がる桜子ちゃんの手を握ってここへ留まらせた。
「どげさいた? 中村さんたちを待たせたら悪いで」
待たせればいいと口にはしなかった。僕にはまだ桜子ちゃんと二人きりにならないといけない理由がある。
「一緒に読んでからでもいいんじゃないかな。これ、数ページしか無いよ」
「一緒にって。最初に井上さんが読まんとうちは読めんで」
「僕が小冊子を開けばいいんだ。そこに桜子ちゃんがライトで小冊子を照らして一緒に読む。ほら、二人で読めるよ」
「うち読むの遅いから」
「僕が先に読み終わっても、桜子ちゃんが読み終わるのを待つよ」
「ん、わかった」
桜子ちゃんは僕の隣に座って肩を合わせる。ペンライトは僕が持ったままにして、梟の小冊子を捲るのは桜子ちゃんに任せた。
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