虎と羊の小冊子 その十
虎と羊の小冊子 その十 です。
この話で虎と羊の小冊子は終わりとなります。
最後の小冊子が上野だと中村さんが言い当てた理由は簡単だった。小冊子の表紙に描かれている動物とこれまで隠されてきた小冊子の場所が、三ヶ月前に春生が出現させた動物の場所と同じだということ。狼は井の頭公園、黒豹は吉祥寺駅近辺だ。そして、次に虎を出したのは上野だから四冊目も上野だと中村さんは得意気に言った。三ヶ月前の当事者なのだから気づいて当然ではあるけれども。
そんな説明を聞きながらホテルを出た僕らは大通りを目指している。
ホテルを出たくらいで僕の体の痛みはだいぶ引いていて一人でも歩けるようになっていたけれども、歩みは亀の速度よりも少し早い程度だ。
さすがに四人とも疲れと睡魔もあって口数も少なく大通りに出た頃には会話らしい会話はほとんどなかった。
「君たちはここで待ってて。あたしは車を調達してくるから」
「調達って盗むんですか?」
二冊目の小冊子では緊急事態と言って車を拝借した上に廃車にさせた。さすがにもう追われる心配は無いかもしれないけど、必ずしも安全とは言えない気がする。
「あのね。あたしにも常識はあるんだってば。二十四時間やっているレンタカーショップがあるからそこまで行くだけ」
さすがに盗難車に乗る勇気は僕にはないので安心した。しばらくして、中村さんは捕まえたタクシーに乗り込んでレンタルショップへと向かった。
「待っとる間に読んでしまーか」
そういって桜子ちゃんはショルダーバッグから小冊子を取り出した。外灯はあるけれども薄暗くて読みづらいはずだ。
すぐに読み始めると思いきや桜子ちゃんは小冊子を開かずに表紙を眺めていた。
「さっき中村さんの話だとお兄ちゃんは虎もだしたんだが。でも羊なんかだしとらんし、そもそも羊は石だで。なんで羊まで表紙に描いてあるんだーか」
意味があるのかないのか。羊を追う虎を表現したかっただけかもしれない。
あれ、この絵って。
「桜子ちゃん。表紙の裏を見せてくれない?」
僕の言われるとおりに桜子ちゃんは小冊子を開いて表紙裏を見せてくれた。一冊目と二冊目には模様があった。たしか、この三冊目には他の二冊に会ったはずの模様がない。
そしてもう一度、表紙の絵を見る。この見覚えのある絵は間違いない。
「この絵がどないしたで」
「わかったのはその絵は春生が描いたことくらいかな」
「あー。言われるとこれお兄ちゃんの絵だわ。もう色んなことが起きすぎてそこまでよー見とらんかったわ」
理由はわからないけれど、この絵は春生が描いたものだ。そして、これまでの絵は破棄された技術書の一枚だ。この虎だけ用意しなかった意味があるのか無いのか。この謎も一端は保留にしておこう。これから僕が考えることには関係のないことだ。
桜子ちゃんはというと、この暗い場所で小冊子を読もうと挑んでいたが諦めた様子だ。
「中村さん、はや帰ってこんかいね」
「気長に待てばいいだろう。双子の件だって片付いたんだからな」
「それ、お前がいうことか?」
思ったことをそのまま口に出てしまった。
「そげだで。もう加藤の目的とかなーなっとーがね。なしていまでもうちらと一緒におるの?」
「お前、軽く酷いこと言っているの気づいているか?」
それは僕も思った。冷たく突き放すような言い方なので言われていない僕まで傷つく。必要ない人間ですよと言われているのと一緒だ。
「うち、そんなに酷いこといったかいな?」
桜子ちゃんが僕に助け舟を求めてきた。どうしよう、正直に言っていいものか迷う。
「方言もあるからな。関東の人間からするときつい言い方に取られてしまうことが多々ある」
そう加藤に言いくるめられて、桜子ちゃんが両肩を落とす。
「うちが喋っとる時に怒っとるとか言われんのも出雲弁のせいだーか」
「初めはびっくりするけれど。慣れると平気だよ」
「てことは、やっぱ怖いとか思っちょったん?」
僕は初めて会った頃の桜子ちゃんを思い出した。
否定は出来ないな。
何も言わないことが悪かったらしく桜子ちゃんはさらに身を小さくした。
「東京の言葉にしたほうがいいんかなぁ」
「無理に変える必要なんてないよ。むしろそれが桜子ちゃんの個性だ。同じ顔に同じ服になっても、出雲弁を喋るから桜子ちゃんなんだから」
自分でも何を言っているのかよくわからない言い方だけど、気持ちだけでも伝わると嬉しい。
「うん、だんだんね」
桜子ちゃんの顔が花を咲かせたように明るくなった。会った当初はどうなることかと思ったけれど、一日一緒にいると本当にいい子だなと思えた。
「もういいか?」
加藤はいつの間にか煙草に火をつけていた。
「二人の邪魔になるなら同行しない。ただ、ここまで一緒に来ておいて俺だけはいさようならというのも身勝手な気がしたんだよ。双子のことは別として最後まであんた達に同行させてほしい」
「邪魔なんて思っとらんで。それに中村さんだっておーがね。なにをいきなりゆっとーかいな」
必死になる桜子ちゃんに加藤は悪戯をする前の子供みたいな目をした。
「小冊子を探す時は二人きりだろ?」
「なしてそう揚げ足を取るで。ほんに嫌な奴だわ」
「嫌な奴だよ。俺はな。どうやら千弦が戻ってきたみたいだぞ」
煙草を持った手で車道を指さした。
左右のハザードを点滅させてこちらへ向かってくる白いワゴン車が見えた。運転席には、もちろん中村さんがハンドルを握っていた。
助手席に加藤が座り、僕と桜子ちゃんは後部座席に座ることにした。肝心である中村さんの運転はというと。小冊子のイメージとは裏腹に中村さんの運転はとても丁寧だった。これなら廃車になるような心配はなさそうだ。
レンタルしてきた車がセダンタイプではなくワゴンにしてくれたのはありがたく、痛め疲れた体を休めるには十分な広さだった。本当なら移動中の間に、さきほど気づいた問題を整理するはずだったが、安全運転で走る大きなゆりかごが睡魔を呼び起こし、いつの間にか眠ってしまっていた。
目を覚ますと車内灯が灯っていたため、目を開けるのに苦労した。起き上がろうにも体中が痛くて起こすのもまた一苦労だった。
霞む目をこすりながら腕時計を見る。深夜一時を少し過ぎたところだった。車内には僕一人残されていて、誰も居なかった。空腹感はなかったけれど、喉が異様に乾いていた。
窓の外を見ると、車はコンビニの近くに停められていた。きっと他の三人はあのコンビニに寄っているものだと思い、スライドドアに手をかけようとしたが車内を無人にするわけにも居ないので大人しくみんなが戻ってくるのを待つことにした。
せっかく一人になれた時間だ。エレファントマンから得られた答えと新たな問題を整理していこう。
一つ一つ整理していく。職場から始まったことを丁寧に思い返していた。彼らの会話に抱いた違和感と疑問。現実味のない出来事。小冊子の内容。これらは個別の紐だ。これを一本に集約すれば自ずと答えが見えてくる。
すでに答えらしき答えはもう出ているのだけれど、あまりにも突拍子もなくて自分でも納得していない。
僕には確認すべきことが二つある。ひとつはもちろん最後の小冊子を読むことだ。内容も重要ではあるけれど、最も注視するべきは巻末だ。これまでの流れであれば最後の小冊子にも暗号めいたヒントが残されている。
そして二つ目の確認は、二人きりにならないと出来ない。
僕が座席シートに背を持たれると、勢い良くスライドドアが開かれた。
「起きらいたの? よー寝とらいたね」
「おはよう」
桜子ちゃんはなにが嬉しいのかニコニコしながら車に乗り込んで僕の隣に座った。続いて、助手席と運転席が開き加藤と中村さんが乗り込んでくる。
みんな口々に僕の心配をしてくれる。僕は表向きには笑顔で大丈夫だと答えたけれど、胸の中では違うこと思っていた。
これ以上、騙されてはいけないと。
「井上さん、お腹は空いちょる? おにぎりとお茶買ってきたけん。欲しかったら食べていいけんね」
じゃあ、と言って僕はペットボトルのお茶を貰って一口のんだ。口の中が切れていて、お茶が染みたけれど美味しかった。
「すみません、すっかり寝てしまって。いまどのあたりですか?」
中村さんはサンドイッチを片手にして僕の方へ振り向いた。
「いま? 後楽園の近くだよ。東照宮までいくのなら、もう少し走らないといけないね。食べ終えたらすぐに車だすから」
運転席と助手席に座っている二人の姿が反射して写しだされている。中村さんは手にしていたサンドイッチを食べ始めていて、加藤は黙々とおにぎりを食べていた。
僕の視線に気づいた加藤と目があった。
フロントガラス越しに加藤が「なんだ、やっぱり腹減ってんじゃないのか?」と、余ったおにぎりを僕によこそうとする。
「そんならうちが買ってきたおにぎりにしとんきんさいや。加藤が食べとる奴はイクラとか高級和牛のなんたらみたいな気取ったやつだけんね」
そういって桜子ちゃんがコンビニの袋から取り出してきたおにぎりは梅、昆布に玉子焼きを挟んだおにぎりまである。ついこないだまで女子高生が選ぶような具とは思えないほど渋かった。分厚い卵焼きを見て食欲が戻った気になったけれど、遠慮しておいた。
「ごめん、口の中を切っているからいまは遠慮しておくよ」
「そげかー。じゃあ次はうちがお手製のおにぎり作っちゃるわ。どんなんが好き?」
なんだろう、厚かましさに変わりはないのだけれど、なんかこう積極さというか、身の当たり方が強い気がする。
「普通のおにぎりがいいんだ。何も入っていない、海苔だけのおにぎり」
「そんなんがいいの?」
「あと、卵焼きがあればいいかな」
僕がそう答えると前にいた加藤が大きく笑った。
「なんだそれ。いまどきの小学生でももっと豪勢なおかずを要求するぞ」
「いいじゃないか。僕はシンプルなのが好きなんだ」
人の何が好きかなんて勝手じゃないか。
「卵焼きは塩と砂糖、どっちだ?」
桜子ちゃんは、なぜかここで真剣な目をして質問をしてきた。
そりゃあ、卵焼きと言ったら、
「塩でしょう?」
「ほんに? ほんに?」
桜子ちゃんが僕の手をとって喜ぶ。なんなんだ、一体。
「うちも卵焼きは塩だけんね。ほんに嬉しいわ。関東の人ってな。卵焼きは甘いのしか食べとらんと聞いてショックだったに。食べる好みが違うと色々と困るけんね」
色々と困るといわれてもなぁ。いい子だし、もちろん可愛い子だと思うけれども、もしその気があったとしても年齢差が気になってしまう。
やめよう。こういうのは大概、男の勘違いなんだ。桜子ちゃんは親しくなったらこんな風に接してきてくれる子なんだと、思わないと痛い目にあう。
僕はこの話題を逸らすため話題を変えた。勿論、真剣なほうだ。
「桜子ちゃん、小冊子は読み終えた?」
「コンビニ行く前に読み終えたで。あれ読んで加藤がほんに可哀想に思えたわ。あんなんされたら、復讐する気持ちもわかーわ」
「もう終わったからいいけどな」
フロントガラスに写された加藤は二つ目のおにぎりに手を出しながら答えた。
「加藤は、どうするんだ?」
「なにが?」
フロントガラス越しではあるけれど、僕と加藤は再び目が合う。助手席に座っている加藤の整った顔立ちから三ヶ月前の写真を思い出す。人は変われると僕は依里子にいったけれど、間違いではないようだ。
「双子に関わることもない。僕らが小冊子を見つけて、春生も見つけたら、加藤はどうするんだ?」
加藤は一瞬、目を伏せて再び僕を見た。
「何かが見つかるだろう。先のことは、わからん」
「そうか」
誰にもわからないんだよな。
僕だって今日という日が、こんな一日になるなんて予想すらできなかった。
食事を終えて間を挟むことなく、中村さんは車のハンドルを握ってアクセルを踏んだ。
車道を走る車はほとんどなくて、上野には思ったよりも早めに到着しそうだ。
「井上さん。これ返すな」
桜子ちゃんが手にしていた小冊子を受け取る。
「最後の暗号は読んだ?」
「うん。井上さんがうち次第っていったんもわかったわ。今度はうちに頼っていいけんね」
自信満々に桜子ちゃんは胸を張った。
もちろん、頼らせてもらうよ。
すべては君次第なんだ。
二つ目の確認は、僕の隣で無邪気に笑う石田桜子にある質問をすることだ。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
虎と羊の小冊子 その十 は如何でしたでしょうか。
楽しんでもらえたのなら嬉しいです。
明日は小冊子小説『音読解読』 三冊目を投稿します。
よろしくお願いいたします。




