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待ち合わせ



兄さんに教えられて出向いた場所は、矢野様の座の近くにある池のほとりだった。

「 お前もいっぺんくらい向こう行け。あいつも忙しいみてえだからよ、あっちの時間空くの待つより早え」


初めて赴く矢野様の座は、私の茶屋から思いの外遠かった。

兄さんがいる本店を越えればすぐのような気がしていたのだが、予想していた距離の倍ほどはあった。

私の足よりはましだとは言え、矢野様は忙しい時間をぬって毎回いらしてくださっていたのだ。

それを思い知るためにも、最後に自分が出向いて良かったと感じた。


日差しが強く良く晴れていたが、池の周りは木陰が多く爽やかな風が通り抜けていた。

据え付けられた長椅子に腰掛けて景色を眺め、心を落ち着けるのに努めた。

兄さんは、午後の芝居が跳ね次第来るってよ、とは言っていたが、お芝居の終わる時間を知らなかった。

念のためまだ昼と言える時間に着いたので、これからしばらく時があるはずだ。

天気の良い日に店を休んでゆっくりするなどと言うことは、仕事を始めて以来なかったかもしれない。

今は何もかも忘れてのんびりしよう。


そう考えてはいたのだが、兄さんの指定した場所は当然のごとく逢瀬の場として人気があったようで、それから次々と男女が現れては私の姿を見て気まずげに消えていった。

矢野様がいついらっしゃるか分からないので、この場を離れる訳にもいかず、しかし一人なのに何故この場を独占しているのかという非難の視線も痛かった。

これから陽が傾くにつれて、もっと増えてくるのではないだろうか。

これからこの場で矢野様と会うということに緊張するよりも、早く来て欲しいと今か今かと待つ様な気持ちになっていた。


夕暮れが近づき、だいぶ傾いた日差しが木陰を薄赤くし始めようという頃、矢野様がいらっしゃった。

「 ごめんよ!遅くなって、」 

「 ああ!良かった!助かりました」 

矢野様の言葉を遮る勢いで立ち上がり駆け寄った私に驚かれたようだった。当然だろう。

矢野様は謝られずとも、急いでいらしたとはっきりと分かる様子だった。

息を切らせて、首筋に汗を浮かべていらっしゃったからだ。

急いで衣装から着替えられたのだろう。着物も髪も乱れていた。

「 どうしたの?何かあった?あれ?善太郎は?」 

矢野様は周りをぐるっと見渡された。

「 いいえ、兄は来ていませんけれど・・・」 

二人きりだとは思われていらっしゃらなかったようだ。申し訳なくなった。お嫌なのかもしれない。

矢野様は驚いたお顔でおっしゃった。ああこのまま本当のお顔でいらして欲しい。

「 こんなところに一人で君を待たせていたのか?何を考えてるんだあいつは・・・。ごめんよ気が回らなくて。私が君のところへ行くべきだったね」 

このご様子では、やはり場所を決めたのは兄さんだったようだ。

「 良いんです。ちょっと人が多くて、というか私を見て帰っちゃう人達がいっぱいいて、困ったと言うか、一人でここに座ってるのが忍びなかったと言うか。・・・でも、二人になったのでもう問題ありません」

矢野様が気に病まれないように元気に答えた。

矢野様はなおも困った顔を崩されず、尋ねられた。

「では、場所は変えなくてもいいの?」 

「 え?はい。大丈夫です」

今から移動していてはすぐに暗くなってしまうだろうし、そう長く居るつもりもなかった。

矢野様もお仕事を終えられたばかりだ、疲れていらっしゃるだろう。


「 そう」 

矢野様は先程まで私が腰掛けていた長椅子に、私を促してから並んで腰をおろされた。 

「 君とこうやって並んで座るのは初めてだね。君はいつも、立っていたから」

私の方へは顔を向けられず、前を見つめたままおっしゃった。

隣に並んでいるので、もしこちらを向かれたら近すぎて私が耐えられないだろう。

端整な横顔をこっそり見つめながら、こちらのほうが良いなと思った。

最後なのだから出来るだけお顔を見ておきたい。

「 はい。不思議な感じです。今日はお客様ではないですね」 

「 そうだね」 

唇の端が少しだけあがり、前を見たまま微笑まれたようだった。

それが屈託のない以前の笑顔であるとは思えなかった。

その作った様な微笑に打ちのめされたように感じたが、表には出さぬようどうにか顔を上げた。


「 暗くなる前に話を聞こうか」 

矢野様が斜めに身体をずらされ私に向き直り、それは優しいお顔でおっしゃった。

私を思いやって下さっている本当に優しい笑顔だったが、締め付けられる様に胸が痛く、見ているのが辛かった。

気を使ってもらっているのだ。優しい矢野様に無理に笑顔を作らせてしまっているのは私だ。

どうして兄さんにのせられて来てしまったのだろう。今更清秋様のことを話して何になるのだろう。

後悔が押し寄せた。

「 お忙しいのにごめんなさい」 

「 良いんだよ。気にしないで」 

矢野様は私の言葉を待っていらっしゃる。早くしゃべらなくちゃ一層ご迷惑になる。

「 ええと、あの。清秋様のことなんですけど」 

矢野様は酷く衝撃を受けたお顔をなさった。

その後徐々に綺麗なお顔を歪ませられ、この上ないほど嫌そうな、哀しそうなお顔をなさった。

「 そうかあの男の話なんだ・・・。そうだよね。いいよ聞くよ」

やっぱり望まれてはいなかった。兄さんの悪巧みか、良くて勘違いだ。当然だろう。

「 ごめんなさい。やっぱり良いです。帰ります」 

あわてて腰を浮かせると、腕を掴んで引き戻された。

「 いや。聞くよ。・・・・覚悟が出来ていなかっただけなんだ。私も聞きたいから聞かせて」 

だが、そう言う矢野様の視線は私の膝を通り越し、聞きたいと思っていらっしゃるとは思えなかった。

「 いいえ。気を使っていただかなくても・・・。どうか、お身体をお大事になさってくださいね」

最後の言葉になるだろうと、視線の合わない矢野様の目を見て別れの言葉を伝えると、はっとお顔を上げて私の目を捉えられた。

「待って!絶対聞くよ。詳しく話して」

急に乗り気になられた矢野様に驚いたが、もう少しだけ一緒に居られそうだと、嬉しく、切ない笑みがこぼれた。

  








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