梅美人さんに出会う
「 今なんと言ったの?」
なぜか呆然とした様子の美人さんに抱っこされている私は、彼女のその常にない表情にも気付けぬほど必死だった。
いくら人より少し小柄だとは言っても、私も成長期をとうに終えた身体だ。
同じ女性に、それもこの美人さんに全体重をかけて抱えられている状態を、今すぐにどうにかしたかったのだ。
「 早く降ろして下さいと申し上げたんです!」
私は美人さんの肩を押しながら繰り返した。
「 違う。その前だよ」
美人さんは私の手がかける力など気にも留めず、私の顔を見つめたままそうおっしゃった。
「 おい、見てみろ梅。物凄い美人がいるぞ」
兄さんが興奮して行儀悪く指差す方向をのぞくと、確かに、生まれてこのかた見たこともない程の美しい人がいた。
「ほんとね。すっごくきれい。天女さまみたいだわ」
艶やかな黒髪と、すっきりとした目元、柔らかく弧を描く口元が印象的だった。
「ありゃ間違いなく向こう通りの座の花形役者だな。お前知ってるか?俺も噂に聞くだけだったが実物は噂以上だな」
本店から私の小さな水茶屋へ菓子を届けに来ていた兄さんは、じろじろと失礼な視線を美人さんに向け続けている。
菓子職人として経営者でもある父と共に働いている兄だが、今日はいつもお使いに来てくれている見習さんがお休みだったため代わりにやって来ていたのだ。
「俺ちょいと声かけてくるわ」
「 やめてよ兄さん、子供じゃないんだから」
「 なんでだよ、花形役者と知り合う機会なんて滅多にねえぞ」
「 そりゃそうよ。でも声かけたってあんな綺麗な人と知り合いにはなれないわよ」
「 だからなんでだよ」
「 なんでって・・・、ああ!無視されたら知り合えないでしょう」
「 そりゃ一理あんな」
茶屋をやっているのだから、お客さんからの噂話でちょっとした情報通になっていてもおかしくないとは思うのだけど、なんせ肝心のお客さんが少ない。
世の情報に詳しいとはとても言えない私だったが、兄さんが言っている役者さんについては、お客さんではなく女友達から耳にしたことがあった。
何でも、年のころは私達よりいくつか上で、男装して芝居に出ているらしい。
いわゆる男装の麗人として特に若い女性達に大人気なのだそうだ。
偶然本人を目にする機会があった友人も、私に話して聞かせながらうっとりとしていた。
確かに、鼠色の着流し姿でこちらへ歩いてくる姿はすらりとしていて、口元に浮かべた天女さながらの笑みと相まって、とても色っぽかった。
「 兄さん、見るのやめてってば。失礼でしょ」
兄妹で見惚れていて、兄さんへの注意も遅すぎたようだ。
美人さんは桜の木のたもとにあるわたしの小さな茶屋へ、目前まで迫っていらっしゃった。
天女様が近づいていらっしゃるわ。どうしよう。
混乱した頭と日頃の性のおかげで、いらっしゃいませ、と喉元まで出掛かるが、なんとか寸前で飲み込んだ。
この美人さんがわざわざ私の店に、お茶をしにいらしたはずがないからだ。
この簡素な水茶屋は、賑わった大通りからは中々に離れ、この先は小さなお寺で行き止まり、という何とも人通りの少ない川のほとりにあった。
きれいで穏やかな流れの川を見渡すことができるこの場所は、日当たりも見通しも良く、大通りに続く赤い橋までもがきらきらとした流れの向こうに見えている。
桜の木陰にある縁台からの眺めは最高なのだけれど、とにかくお客さんが少なかった。
通りかかる人といえば、一にお寺に用のある人、二に川辺を散歩する人、三にうちを目的にいらっしゃる数少ない常連さんだった。
美人さんが常連さんでないのは確実だ。きっとお寺に用事か散歩にいらしたのだろう。
たとえ通りがかりにうちに寄ってくださるとしても、ご用やお散歩がひと段落されてからのはずだし。
きっと美人さんは、じろじろと不躾な視線を送る兄妹に苦言を呈しにいらっしゃったのだろう。
他人に盗み見られるなんて常人なら良い気分な訳はない。きちんと謝らなくちゃ。
目の前に立ち止まった美しい人に気まずい視線をちらちらと向けながら、そんな思いをめぐらせていると、兄さんがやってしまった。
「 らっしゃい!」
笑顔で言い放った兄さんに愕然とした。
すぐに美人さんへ目を向けると、なんと美人さんも呆気にとられた様子で目を見開いて兄さんを見ていらっしゃった。ひどく可愛らしいお顔だった。
その後すぐに、目をぎゅっと細めてあははと笑い出された。
天女が思いのほか元気に笑うので驚いた。
天女の微笑はやはり笑顔ではなかったらしい。あれは通常のお顔だったのに違いない。
笑うとまるで、天女が人間に、とりわけ美しい人間に戻った様だった。
笑いながら心地の良い柔らかい声でおっしゃった。
「ああ、すみません。客ではありません。今日はもう時間がないので、今度寄らせてもらいます」
男装の姿に良く似合うさっぱりした言葉で兄さんに挨拶されたのだが、兄さんはといえば、美人さんの言葉で時を忘れていた事に思い当たったらしい。
「 あ、いけねえ!俺も時間がねえわ!そんじゃお客さん!」
美人さんに適当な挨拶を返し、私のほうを見もせず凄い勢いで走って行ってしまった。
子供の頃から悪さをしては逃げ回っていたおかげか、足が早い。
父さんにどやされるのが面倒なのはわかるけど、菓子を入れてきた盆も本店へ持ち帰るはずの色々も全て置きっぱなしのままだ。
「 あ!こら兄さん!何も持ってないじゃないのー!」
美人さんの手前大声を張り上げるのも気がひけ、通常の半分くらいの大きさの声で叫んだ。
猪のように走り去る兄さんには届くはずもなく、虚しい独り言になってしまいいっそう恥ずかしかった。
自分が忘れたくせにどうせ取りにも来ないだろう猪善太郎の背中から、おそるおそる視線を美人さんに戻すと今度は私を見ながらくすくすと笑っていらした。
顔に血がのぼり、恐ろしく真っ赤になっている自覚があるが、笑っていらっしゃるうちにとにかく先程の非礼を謝ろう。
このままでは私たちは、失礼で阿呆な猪兄妹のままだ。
せめて失礼で阿呆で猪なのは兄だけだと説明したい。
「 先程は二人してじろじろと申し訳ございませんでした!」
桜の木の下で人間に戻っている天女に頭を下げて、一息に言った。
「いえ、良いんです。もともとあなたの視線は不快ではありませんでしたし」
頭の上から穏やかなお許しの言葉が降ってきたので、そっと顔をあげると、笑いをおさめた美人さんが天女と人の間くらいの微笑で私を見ていらした。
ああ、鼻血が出そう。
「 お兄さまには一言申したかったのですが、あの様子では遠回りな皮肉でご挨拶しても気付いていただけたとは思えませんね」
兄さんの視線はやはり不愉快だったらしい。指差してたしなあ。
「本当に申し訳ありません。天女さまみたいにお綺麗だったので二人して見惚れてしまいました」
美人さんが目を細めて更ににっこりと笑われた。うわあ、可愛いー・・・・
「 天女ですか。あなたの反応はまさにその様な感じでしたね。ちなみに天女という表現をなさったのはお兄様?それともあなたですか?」
「 わ、私です・・・」
釈明ついでに兄もかばおうとしたが、失敗したらしい。まあいいか。本人は謝る気もないんだし、自業自得だろう。
「天女とは光栄ですね」
微笑まれて、あまりの美しさに息を飲んだ。
「 で、ですが、たとえ天女さまでも不躾に見られてはご不快でいらっしゃいますよね。いえ、違う、ええと、お笑いなったら人に戻られたので天女さまではないとわかったんですけれど、あれ、私何を言ってるのかしら?・・・・・・・とにかく非礼をお詫びいたします!」
やってしまった。考えをまとめる前にしゃべりだす癖はお客様相手の商いをしている者には致命的だ。
日頃から気をつけているつもりだったが、謝罪の途中という肝心なところで出てしまった。
幸い美人さんはお怒りにならず、くすりと笑われながらおっしゃった。
「 あなたも面白い方ですね。人に戻る天女か・・・天女の役はまだやったことがないな」
美人さんは思案げにつぶやいて、役者さんらしく軽い口約束を残していかれた。
「 もし天女を演じることがあれば、招待しますから是非いらしてくださいね」
美人さんが立ち去られたあとも、天女の様な方と言葉を交わした余韻で、私の頭と心の中は凄いことになっていた。
身体の中で花火が次々と打ちあがり、同時に猪善太郎が走りまわっているような、何とも言えない興奮状態であった。
その日はそれから終いまでお客さんはなく、兄さんも予想通り忘れ物を取りに戻らず、胸の内の興奮を伝えられる相手もないまま一日が終わった。
読んで頂いて有り難うございます。とても嬉しいです。
美人さんの言葉が馬鹿丁寧で読みにくいと思いますが、そのうちくだけてきます。




