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現世の魔法使い  作者: yuki
第一章
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回想 全ての始まり -2-

 どうにか痛む肺に空気を取り入れることに成功した優衣は痛みで閉じられた視界を僅かに開き、涙で滲む景色を確認する。

 獣は動かなくなった優衣に興味をなくしたのか、ぷいと顔を逸らすとより人の多い食料品店の入り口に向かって歩き出した。

 止まっていた時が動き出した。

 ようやく目の前で何が起こったかを理解した人々が今頃になって狂ったような悲鳴を上げる。

 獣はまるで吐き出される狂気を楽しむかのように口角を釣り上げ、声を上げた一人に向かい飛び掛かるべく体勢を沈ませた。

 再び空へと飛び上がった獣が店舗の入り口にあった屋根を踏み潰し、轟音と共に破壊する。


 幸いにして巻き込まれた人はいなかったが、もしこの獣が店の中で大暴れすればどれ程の被害が出るかなど想像もできない。

 逃げ惑う人々は混乱の最中においてもめまぐるしく移動しており、獣はあちこち視線を移すだけで獲物を絞れないでいた。

 だが、その中に一人、喧騒から離れた位置で立ち止まっている6歳程度の小さな女の子を見つけると、これ幸いとばかりに飛び上がる。

 パニックの際に親からはぐれてしまったのか、女の子は何が起こっているのか理解が追いついておらず立ち竦む事しかできていない。

 このままでは第一の犠牲者になることは明らかだった。


(誰か、助けろよっ)

 逃げ惑う人々は女の子に気付いてすらいないのか、店の中に退去することしか頭が働いていないようだ。

 現状に気付いているのは離れた場所にいる優衣だけ。傷の痛みもどこへやら、やけくそのように立ち上がると全力で駆ける。

(間に合えっ)

 その甲斐あってか、獣が地面を女の子ごと押し潰すよりほんの僅かに早く、小さな女の子を抱きとめると勢いを利用し飛び込むように転がって距離をとる。

 先ほどの車の位置とは比べ物にならないほど近くに衝撃を感じ、身を硬くするが止まっている暇はなかった。

 獣の着地と同時に地面を覆っていたアスファルトは無残にも放射線状にひび割れ、砕けた拳サイズ程の破片が飛来し身体を打ち据える。

 全身を何発も殴られるような痛みをどうにかして耐え凌ぐと、間に合った感慨に息を付く暇もなく女の子を抱き上げさらに距離をとるべく駆け出した。

 獣は度重なる失敗にいい加減苛立ちを募らせたのか、低い唸り声を上げながら完全に優衣と小さな女の子を標的として定める。


「何なんだよあれはっ」

 思わず叫ぶが、誰かが何かを答えてくれるわけがなかった。寧ろ叫び声によって呼吸が乱れ体力が大きく奪われる。

 それでも叫ばずにはいられなかったのだ。

 夢であって欲しいと思うが先ほどの痛みは紛れもない現実をこれでもかとばかりに優衣へ伝えている。

 次の瞬間、獣が再び大きく跳躍した。

 慌てて車体の近くにあった車体の影に隠れるも、上空から攻撃されたのでは意味がない事に気付き、ギリギリのタイミングで別の車の車体に移る。

 再びの轟音、降り注ぐ石礫の雨を車体を盾にどうにかやり過ごし様子を伺えば、そこそこ大きかったワゴン車は見るも無残に潰れ地面が抉れている。

 あんな物に潰されたら間違いなく即死だ。痛みを感じるまでもなさそうではあるが、そんなことは全く救いにならない。

 幸い敵は飛び上がって押し潰すという攻撃パターンしかないのか、落ちてくるまでのタイムラグを使って全力で逃げれば避けられないものではない。

 しかし直撃を免れたとしても飛散する石礫は当たり所が悪ければ、特に後頭部にでもあたればそれだけで動けなくなる可能性がある。


 どうすれば逃げられるのか、店に逃げれば沢山の人を巻き込むことになるし、かといって隠れられるような場所はない。

 家の中に入ってもあの威力だ、屋根や壁くらい簡単に粉砕できてしまうだろう。

「っく」

 獣が再び跳躍した。ギリギリまでひきつけてからまた別の車体の陰に滑り込む。

 そうやって何度か攻撃をかわしているうちに、優衣はハッと周囲を見渡し、ある事実に気付かされる。

 ……隠れられるような車体がもう殆ど残っていないのだ。無残に潰された車体では遮蔽物になりえない。

 地元民がよく使う入り口の駐車場は大きな道路と繋がっていないため、車の数が少ない。避けられる回数は初めから極限られていたのだ。

 だが絶望的な状況を前にしても優衣は諦めるわけに行かない。

 ひとりならまだしも、腕の中には不安そうな顔で見上げてくる女の子がいるのだから。

 今度の攻撃も同じようにどうにかかいくぐると最後の1台の車体の陰で身を低くして飛散する石礫を回避する。

 これでもう後はなかったが、身をかがめた時、不意に鼻を突く嫌な、それでいてよく知っている匂いがした。

 弾かれるように顔を上げた優衣は無残な車の残骸を探るように周囲を見渡すと、憔悴していた表情が僅かに光を取り戻す。

(なんとかなるかもしれない)

 高校生になったばかりの一般人ができることは極限られているが、たった一つだけ、一矢報いるような方法を優衣は見つけていた。


「走れるかな?」

 その為にはこの小さな女の子を抱えて行動するのに無理があった。

 出来る限りの優しい、凜とした鈴のような声色で尋ねると、女の子はおずおずと頷く

 しっかり手を繋ぐと獣の跳躍攻撃で盾となる車が押しつぶされないよう、駐車場の真ん中辺りに向かって走った。

 獣はやはりというべきか、馬鹿の一つ覚えのように跳躍すると中央目掛けて落ちてくる。

 ぎりぎりまで頃合を見計らって再び先ほどの車の位置まで戻ると車体に身を潜ませ飛来する石礫をかいくぐった。

 車を通してではなく直接地面に落ちた衝撃は凄まじの一言に尽きる。あたかも地震が起きたかのようで、凹んだアスファルトのクレーターもかなりの大きさだ。

 再び獣が跳躍するのを見計らい今度は凹んだ穴のすぐ傍まで再び駆けると、女の子だけを残して優衣は建物の入り口目掛け全速力で走った。

 入り口に到着する頃に背後から轟音が響き、残されていた最後の車が破壊され石礫が飛来するが、女の子は獣が作ったクレーターの端に身を伏せることで勢いのあるものはどうにか掻い潜る。

 それでも幾つかはぶつかってしまっただろうが、決して泣いたりすることはなかった。


 一方優衣は入り口にあるはずの目当ての物を探す。

 記憶の中から場所を絞り込み丹念に、迅速に調べれば、それは確かに地面に転がっていた。

 使える状態かを確認し、問題ない事に安堵する間もなく、今まで走ってきた道を全力で引き返す。

 既に獣は空へと舞っていた。

 何も考えず、恐怖すら抜け落ちた真白の思考でもって獣より若干早く女の子の元に辿りつくと初めの時と同じように、抱きとめるようしっかりと掴んで前方に向かって転がる。

 束の間をおいて轟音と石礫、それから初めの時にはなかったばしゃりという水音が届いた。


 探していたものは火のついた状態のタバコだ。

 それを飛んできた手ごろな石礫の一つに自身の髪を使って結いつけ、緩い動作で獣の足元に溜まっていた水溜りに投げつける。

 散々破壊して回った車から漏れたガソリンは低い場所、即ち獣の作り出した一番大きなクレーターに向けて流れ込んでいたのだ。

「タバコは火を消して捨てましょうってね」

 そうぼやく間にも優衣は女の子を抱えて全力で距離をとる。

 水飛沫が身体にかかっていないとは言えず、最悪まき沿いを受けかねない。


 綺麗な放物線を描き飛来したタバコの火は見事にクレーターの中にある水溜りへと落下し、瞬時に膨大な炎を撒き散らす。

 それは着地の際に水飛沫を浴びた獣の身体とて例外ではなかった。

 足元から突然上がった身を包む炎に、獣が一際大きく咆哮すると嫌なにおいのする風が吹き抜ける。

 だが当然、そんな物で火が消えるわけも無い。

 動物であれば火には弱いはずだ。猛火が獣の身体を焼き尽くせば流石に動けなくなる。

 後は警察なり保健所なりに連絡して事態は収束するだろうと思ってその顔をほんの少しだけ緩ませた。


 だが、優衣は気づかない。

 そもそもこの獣は、初め何処に立っていたのか。

 燃え盛る車体の上から優衣の事を見下ろしていたではないか。

 まさか獣がこの世界の法則から逸脱た存在であるなど、一般人が思い至るはずもない。


 獣の身体が水滴を弾くように大きく震えた。

 全身を包んでいた炎が一瞬にして吹き飛ばされ、漏れたガソリンへ引火し周辺を地獄の様相に塗り替える。

 身体を舐めまわる炎に獣は熱さというものを全く感じていないのかこの程度の炎では掠り傷一つさえ負ってはいなかった。

 獣は静かに、その場で呆然と崩れ落ちている優衣の元へと近づく。

 優衣にはもう逃げる気力は残されていなかった。

(無理だ……勝てるわけない)

 獣がただ機械的に前足を振り上げ、鋭利な爪が駐車場に生えた電灯の光を反射して煌くのを見て、せめて痛みが長引かない事を祈りつつ硬く目を閉じた、次の瞬間。

 優衣の視界は突如として純白の"無"に染め上げられた。

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