闇の魔法使い -2-
冷え切った影人の声に優衣が目を見開く。
元から何の警戒もしていなかった優衣が振るわれた剣を防げるはずもなかったが、その切っ先はいつかの炎によって防がれた。
「何してやがる」
優衣を守るように広がった炎を見て影人が驚きつつも距離を取った。
『想いの炎か、どうやら攻撃対象を自由に選択できるらしい』
その隣では青い兎が光輝の攻撃を冷静に分析している。
『優衣、結界を展開しろ。他人を巻き込むわけにはいかぬ』
突然戦い始めた2人を見て呆然としていた優衣がサラマンダの声で慌てたように結界を展開した。
これでこの中は完全な閉じた世界だ。
「何のつもりで優衣に刃を向けた」
優衣には一瞬、それが誰の声なのか分からなかった。
外見が怖かろうが光輝という人間は底抜けに明るく、世話好きの性格をしていて基本的に怒鳴ることはおろか怒ることも少ない。
香澄との勝負の際に声を荒げることはあるが、それにもどこか温かさが籠った本気でない物だ。
初めて見る友人の純粋な怒りは傍に居るだけで内を揺さぶられるような圧力が籠っていた。
けれど影人はその声にもほとんど何の感情も示していない。心ここにあらず、といった様子だ。
『お前の隣の少女が一体何であるか理解しているのか?』
今度も同じように足元の青い兎が言うと、返事も待たずに先を続ける。
『魔力量も、親和性も人の領域を遥かに超えている。……それが最も近いのは我々と同じ精霊か、さもなくば魔物だ。だが精霊であることはありえない』
暗に魔物なのだと告げるエクリプスの言葉に光輝は相貌を一層凶悪に歪める。
「ふざけたことを」
地面が爆ぜた。紅の火の粉が土を抉り飛ばしながら巻き上がると光輝の身体が瞬時に加速して離れていた影人との距離を瞬きにも満たない一瞬で詰める。
「抜かすなっ」
手に炎は宿っていないがこれだけの速度で人を殴り飛ばせば怪我で済む範囲を大きく逸脱しているのは間違いない。
それを分かっていながらなお、拳は影人の頬を正確に捉え振りぬかれるが、伝わってきた感触は肌の柔らかさではなく鋼の様な冷たさと硬さだった。
低い音が大気を震わせる。見れば影人が大剣の腹で以って光輝の攻撃を完全に受け止めていた。
低く屈められた腰としっかり大地を踏み締める足は今の攻撃の衝撃で多少滑っているものの、大きなダメージもない。
「何を……っ」
さしもの影人も今の一撃には驚いて声を上げた。ダメージはどうにか防いだものの、圧倒的な速度には目を見張るものがある。
勿論光輝もたたらを踏んだ影人をそのまま見逃すはずもない。
再度、今度は至近距離で右肘を身体に寄せると振りぬく。
大気を震わす振動がまた一つ生まれ、影人の顔にも明らかな焦りが生まれた。
今の右肘は身体を影人に密着させるための物で、そこから流れるような動作で腹に向けて膝を突き上げる。
近ければ近いほど長物である大剣には不利な間合いとなるが、近接攻撃を主体とする光輝にとっては最も得意な間合いだ。
迫りくる右肘を後方に飛んでどうにかかわしたところに、避けられることさえ見込んだ光輝がさらに1歩前に踏み出して拳を振るう。
大剣を僅かに動かしどうにかそれを耐え凌ぐが、ほんの僅かな間をおいて2、3発目の打撃が止め処なく繰り出された。
目で追うのが難しいほどの連撃を繰り出し続けている光輝も凄いが、それを数瞬の間に見切って防ぎ続けている影人もまた異常だ。
どうにか距離を取りたがっている影人だったが中距離では不利になる光輝がそれを許すはずもない。
話す余裕は当に失っているのか、2人は全くの無言のまま暗闇の広場でひたすら攻撃をぶつけ合っていた。
もしこれが夕日の浮かぶ海であったならば、ある種の美しい光景になっただろうか。……なるはずもない。
影人も防ぐばかりではどうにもならないと判断したのか、光輝の攻撃の間を見つけては打って出ていた。
とはいえ大剣を振るうには距離が足りず、相手の体制を崩すことを優先して距離を稼ぐ算段のようだ。
斜め上から降りぬかれる拳を寸でのところで交わすと、引くのではなく前に身体を滑らせて光輝の肺に肩を突き入れる。
回避を諦めた光輝はタックルを受けた身体を地面にわざと倒す事で衝撃を逃がしつつ、お返しとばかりに影人の軸足を払って体勢を崩させた。
もつれるように転んだ地面で襟首を掴んでいた光輝が巴投げの要領で影人を放り投げる。
バランスを崩した上に空中では逃げ場などないとみた光輝は、影人が落ちるよりも早く一撃を入れるべく、多少ダメージの残った肺を庇いながら起き上がるのだが、影人はその隙に器用にも地面に大剣を突き立てて体勢を立て直していた。
2人の間に開いた距離は拳で殴るには遠すぎ、大剣で切りかかるには近すぎる微妙なものだった。
初動の一歩が戦局を大きく動かすと見た光輝と影人は前に、或いは腰を引いて大剣を構え互いに振り下ろす。
互いの攻撃は避ける隙などなく、両者に少なくないダメージを与えるかに思われた刹那、拳は重低音に、剣は甲高い音によって遮られた。
見れば互いを遮るように不可視の頑強な結界が展開されている。
「2人とも何してるの」
いつのまに傍にいたのか、俯いたまま表情の見えない優衣がゆらりと2人の間に立ちふさがった。
その声は氷のように冷たいもので頭に血が上っていた光輝の頭を冷やすには十分だった様だ。
「それ、当たったらどうするつもり?」
静かに、淡々と問いかける優衣の様子は普段の穏やかな物と比べ物にならないほど据わっている。
「そういう問題じゃないだろう、影人はお前を……っ!」
だがあまりにも場違いな優衣の物言いに光輝が声を荒げた。
一方、その正面に立つ影人は出来上がったインターバルに大きく息を吐くと持っていた剣を地面に突き立ててお手上げとばかりに手を上げてみせた。
「すまなかった」
突然の謝罪に光輝は狐につつまれたような顔をして思わず立ち尽くす。
一体どういうことなのかさっぱり飲み込めないといった光輝の前で、影人は苛立たしげに声を張り上げた。
「エクリプス。もう十分だろう? これ以上続けるというのなら、俺はお前を斬る事になる」
影人の言葉にあの青い兎がびくりと身体を硬直させて焦ったように飛び跳ねる。
「どういうことだ?」
光輝が構えを解くことなく影人に尋ねると、今度はちゃんと本人が口を開いた。
「初めから魔物じゃないことくらい分かっていたんだが……あいつが納得しなくてな。本当に、軽く驚かすだけのつもりだったんだ」
突き立てていた剣を引き抜いて自分の腕に振り下ろして見せると、驚くことに何の抵抗もなく腕を通過した。
いや、通過した、というより通り抜けたという方が正しい。彼の腕には傷一つ付いていなかったのだ。
「これはただの幻と結界を組み合わせたナマクラにもならない幻影だ。どうやったって人はおろか豆腐さえ斬れない。まさか突然隣から乱入されるとは思わなかったんだ、一瞬のドッキリで終わるつもりだった」
『宿している魔力が人の限度を大きく越えていたのには気付いていたのだが、魔法まで使えるとあっては完全なイレギュラーだ。念の為とはいえ確認しておかねば気が済まなかった』
命の危機に瀕すれば本性を現すかもしれないと思ってやった一芝居に、申し訳ないと頭を下げる一人と一匹だったが光輝はまだどこか納得していないようだ。
親友がそんな、光輝にしてみればくだらない理由で冗談とはいえ刃を向けられたのだから無理もない。
「優衣はそれでいいのか?」
光輝はそう聞くが、優衣は影人とエクリプスの行動を殆ど気にしていなかった。初めからどこかおかしいと思っていたからだ。
それに影人が望んでこんな事をしているわけではないことも薄々感づいていた。
「もし本当に影人がボクを殺そうとするなら、光輝をここには呼ばないでしょ?」
『真理だな。初めから気付いていたのか?』
優衣の言葉にサラマンダが得心したように頷く。
「ちょっと驚いたけど、影人にそういうつもりがないのはすぐに分かったよ」
なんでもないように笑顔でそう言いきってみせると光輝もそれ以上こうしていても意味などないと悟って構えを解いた。
それから若干考え込む仕草をして、今度はハッと顔を上げて叫ぶ。
「ちょっと待て! それじゃ俺だけ空気読めてない雰囲気じゃねぇか!」
雰囲気ではなく、ある種の事実ではあったのだが咄嗟に助けにきてくれた事を責められる理由はないだろう。
影人も優衣が魔物ではない事くらい分かっていたのだが、それでもエクリプスを宥めるため、それから……彼の個人的な理由で確かめずにはいられなかったのだ。
「光輝もありがとう。助けてくれて」
「流石にあれは驚いた。中々の騎士っぷりだな」
なんて事はない、純粋なお礼と厨二的な賛辞だったのだが光輝は先ほどの自分の行動を思い出したのか頭を抱えて叫びだしたくなった。
そんな2人を前に、影人は一度居住まいを治すとばさり、と羽織っていたマントを閃かせて一礼する。
「本題に入らせてくれ。今こそ我が真の名を告げよう。我は闇の魔導師にして世界の安寧を守る守護者也。常闇の底から浮き上がる有象無象を屠り、因果を外れた魔を断つ剣。神無月影人だ」
完全にいつもの調子に戻った影人を前に光輝もようやく抱えていた頭を上げた。
影人も今から3年前、突然精霊が現れて契約をせがまれたらしい。
その頃から完全に厨二病を患っていたという彼は一も二もなく契約を了承した。
契約した精霊の名前はエクリプス。青い兎形の彼は闇の精霊で、なるほど、影人の性格にはぴたりと符合する。
普段着として幾度か見ていた黒尽くめの服とウィンドブレイカーは変身時の服装を基にしたらしい。
といっても、変身時のそれは黒のマントになっているのだが、本人の容貌と合わさって不思議と違和感がない。
「ふっ、まさか他にも血を分かつ前世の仲間がいるとはな」
「まさかこんな狭い輪の中で3人も魔法使いが居るなんて、世間ってどれだけ狭いの」
「優衣が魔法使いだった時にも驚いたけど、まさか影人までとはねぇ……て言うかこの場合、影人のあれは厨二病になるのか? 言ってたことは割とマジだったってことだろ?」
中二病の人間が実際に魔法を使えたら、それは厨二病になるのか。
難しい問題だったが、どちらにせよ痛い分類の人間とみて間違いない些細な問題だ。
「まぁ我が闇の領域に関してはこの程度だ。それより、個人的にもっと気になることがあるんだが……」
魔法の事よりもっと気になること、と言われて優衣も影人もなんだろうかと首をかしげる。
「誰も何も言わないから言わないでいたんだが、それが普通なのか?」
そういって彼が遠慮がちに指差したのは優衣だ。何のことだとばかりに2人はさらに首をかしげる。
「いや、その服装だよ。あぁ、悪い。別に趣味嗜好についてとやかく言うわけではないんだが……」
言い難そうに切り出した影人に、光輝はもう一度まじまじと優衣を見て、今更のように叫んだ。
「そうか、全然気付かなかったけどその服どうした! いや、似合ってるんだけど」
「どうせなら最後まで黙ってくれてればいいのに……」
2人の指摘を受けてずぅん、と明らかにテンションの沈み込んだ優衣は心底残念そうにぼやく。
「エクリプスっていったか。優衣が契約したのはアウローラなんだよ」
精霊に説明させる方が話は早いだろうと光輝が説明すると、エクリプスは吐き捨てるように言った。
『ふん、あの無類の女好きか。それはそれは厄介な精霊と契約を結んだものだな』
『エクリプスとアウローラは対照的な存在でな……あまり折り合いが良くないのだ』
どういうことだと尋ねる影人にエクリプスはふふん、と鼻を鳴らして答える。
『アウローラは契約の条件があって、女性としか契約できない』
まだ理解が届かずにどういうことだと頭を悩ませている影人に、優衣はもうどうでもいいとばかりに真実を告げる事にした。
「何も知らないで契約したら、女の子に変えられたの。それからこれは外出する時に妹に無理やり着せられただけでボクの趣味って訳じゃないから。趣味じゃないから! そこ重要だからっ!」
最後は懇願、或いは念押し、もっと言えば脅しに近い勢いに影人もたじろぎながら頷いて見せる。
「だが、本当に契約で性別が変わったりするものなのか?」
魔法は炎や障壁を生み出す、というのは簡単だが、傷を治したりするのはかなり複雑なのだと影人は言う。
使ったことはないのだが、形あるものに干渉するのは酷く制御が難しいらしい。
技術的な意味で精霊はそんなに複雑な魔法を自由に使えるのかという、単純な興味本位の疑問だったのだが優衣にとってそれは別の意味に聞こえてしまった。
「それはつまり、ボクがただの女装趣味と申しますか……」
突拍子もない申し出に影人が何のことだと固まったのは言うまでもないだろう。
何故その答えに行き着いたのか理解できずに何も返事を返せない影人の前に、優衣がゆらりと立ちはだかる。
ただならぬ気配に身を硬直させた彼の手を、優衣はおもむろに掴むと躊躇いもせずに自分の胸へと押し当てて見せた。
「ちょっと待て、お前、何をっ!」
薄い布地を通して伝わってくる生々しい体温と男にはありえない柔らかさに影人慌てて手を引き抜こうとするが、身体強化の働いている、思ったよりも強い力で掴まれているては僅かに動くだけで、むしろ余計に柔らかさを鮮明に伝えるだけだった。
「変わってるから! そうでもなければ着たりするもんかっ」
「分かったから、分かったからとにかく手を離せ!」
必死に、目尻に涙さえ溜めた上に、羞恥からか、或いは他人に触れられていることでくすぐったさを感じているのか、顔を朱に染めつつもそう主張する優衣に影人が焦って騒ぐ。
「本当に分かってるの!? 」
だが目を逸らして逃げようとする影人の態度を勘違いした優衣は引き寄せる手の力を強めて悪循環がぐるぐると廻るばかりだった。
「分かってる、分かってるからもう少し自分を省みろ! お前は俺にどうして欲しいんだ!」
影人の叫び声にようやく一抹の冷静さを取り戻した優衣が自分のおかれている状況を再確認する。
ひぅ、というか細い悲鳴と共にようやく影人の手を掴んでいた腕の力が弱まってするりと抜けた。
「……性別が変わったのはちゃんと分かった。それが趣味じゃないって言うのも分かった」
影人も恥ずかしかったのか、若干頬を赤く染めつつ告げるが優衣の方はそれ以上だったようだ。
「きょ、今日はもう帰るねっ」
それだけはどうにか言い残すと脱兎の如く駆け出してグラウンドから姿を消してしまった。
勿論家に戻った優衣が布団に包まって先ほどの出来事を猛烈に後悔して夜もろくに眠れなかったのは言うまでもないだろう。




