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現世の魔法使い  作者: yuki
第二章
31/56

闇の魔法使い -1-

「ちょっとだけ出かけてくるね」

 夜の九時過ぎ、当番だった夕飯の片づけを終えた優衣はリビングで寛いでいた妹の雫にそう言うと玄関に向かう。

 いつもならコンビニによって何かを買ってきてほしいと頼まれるくらいだったのだが、今日に限ってはソファーで転がっていた雫が俊敏に起き上がると玄関に向かう廊下に先回りして立ち塞がって見せた。

「ダメに決まってるじゃない」

 両腕を大の字に広げ、さも当然といった顔で言い切る雫に優衣は不思議そうに首をかしげる。

「あ、何か買ってくるんだった? 何がいい?」

 いつもの頼みごとかと思った優衣がそう尋ねるのだが、雫は芝居染みた大きなため息とともに手に持っていた携帯を開いてずいっと見せつけた。

「今何時だと思ってるの?」

 電気のついていない薄暗い廊下で燐光を放つ液晶には21:32という数字が躍っている。

「雫、ちょっと携帯を貸しなさい」

 だが優衣の視線は右上に小さく表示されている数字を見向きもせず、設定されていた待ち受けにばかり注がれていた。

 それもそのはずで、先週の休日、一日は着ていることと厳命された時のあられもない写真がしっかりと貼り付けられていたのだ。

「写真には残さないって言ってたよね」

 数々の黒歴史(トラウマ)を過去に持つ優衣は反省を活かし、条件を受け入れる代わりに絶対に写真で撮らないこと、という制約を付けた。

 珍しく怒気さえ含んだ声だったのだが雫はあぁそんなこと、とばかりに言った。

「それムービーから切り出したやつだから"写真は撮ってない"よ? やだなぁ、写真でベストショットを探すよりずっと撮って良い部分を切り出した方が早いに決まってるでしょ?」

 動画なら写真じゃないから問題ないよね、というとんでもない屁理屈をかざされた優衣は何それと抗議の声を上げた。

「酷いっ! 詐欺だよ!」

「条件を提示したのはお兄ちゃんでしょ?」

 いまさら何を言ってるのとばかりに余裕の笑みを見せる雫の屁理屈だったが、どんなに理不尽な内容でも否定できなければ理屈に変わる。

 そしてそれを裏返すだけの理屈を優衣は咄嗟に思い浮かべることが出来なかった。

 できたのは悔しそうに俯きながら頼むことだけだ。


「……それ、消して」

「頼みごとをする時はそれなりの態度と見返りが必要だと思うの」

 兄の屈辱に濡れる表情を心底楽しそうに眺めている雫を見ていると、育て方を間違ったかと思わなくもなかったが今更そんなことを嘆いても始まらない。

「消してください」

 がっくりと項垂れた兄を見て雫も満足したのか、いいよーと快い返事をするのだが、問題はここからだった。

 古今東西、頼み事には何かしらの代償が伴う。

「5着分」

 びくり、と優衣の肩が明らかに震えた。

 これは消してあげるから代わりに5着分、別の服を着てね、という代償の要求に他ならない。

 重すぎる対価をどうにかできないかと考える優衣だったが、雫はその暇を与えまいと続けた。

「早くしないとついうっかり周りに待ち受け配っちゃうかもしれないけど」

「着させていただきます!」

 交渉の腕は雫の方が遥かに上手だった。

 周囲に散布されるよりは家の中で着替えて自室に籠城した方が遥かにマシだと決断した優衣の即答に満足げに頷くと、目の前で携帯を操作して待ち受けをデフォルトの味気ない単色に変える。

 それを見届けてほっと安堵の域を漏らすのだが、雫はそんな兄を見てまだ弄り足りないのかにこやかに笑いながらSDメモリの内容を見せつけた。

「まだメモリーには動画が残ってるけどね」

 安堵の域を漏らした瞬間にこの仕打ちは余りにも酷いのではないだろうか。

 天国から一転、地獄に叩き落されたような目に変わる。

「そっちも消してよ!」

「だって待ち受けを見て"それ消して"しか言われてないもん」

 事も無げに言う雫に今度こそ優衣の表情が絶望で塗り固められた。

 それを見て流石に可哀想だと思ったのか、雫は少しだけ悩んでからメモリの削除ボタンに指を押して尋ねる。

「こっちも消してほしい?」

 当然また何か対価を求められるのだろうが、動画がそのまま残っているよりは条件を受け入れた方がいいかもしれないと思った優衣がこれ幸いとばかりに頷く。

 雫は人差し指を1本だけ立てると優衣の目の前に突き出す。

 指が1本ということは「1」という意味だろう。

 1着追加という事だろうかと思ってそれならどうにか飲めそうだと再び内心安堵を漏らす。

 だが悪魔はそれほど生易しくなかった。

「一生分」

「……へ?」

 思わず優衣の口から間抜けな声が漏れる。」

「だから、家の中では一生着てくれる?」

 突き立てられた「1」の意味は一生の「1」だったわけだ。

 それはつまりこれからずっと永遠に際限なく死ぬまで終わらないということだ。

 ようやく意図することを飲み込むとさしもの優衣も声を荒げた。

「お、横暴すぎるよ!」

「別に無理はしなくていいよ? ずっと大事に保存しておくから」

 騒ぎ立てる兄と違って雫は酷く冷静で満足げでもある。

 初めから削除する気などなかったのだ。待ち受け一枚を餌にこれだけの条件を引き出せればもう満足という事なのだろう。

 何か言いたそうに恨めしげな視線を送る優衣だったが急に何かに気付いたように携帯で時間を確認する。

 ついうっかり本来の目的を忘れていたが急用があって出かけようとしていたことを思い出したのだ。

「帰ったらまた話すけど、今はそれどころじゃないんだった。ちょっと出かけてくるから」


 優衣が立ちふさがる雫の脇を通り抜けて玄関に向かおうとするのだが、雫は無言でそれを邪魔する。

 優衣が右に動いて避けようとすれば右に、左に行こうとすれば左に、フェイントを織り交ぜるのだが狭い廊下ではどうにもならない。

「どういうつもり……?」

 ただの悪ふざけだと思っていた優衣だったが、雫が本気で譲るつもりがないと見て若干荒くなった息を整えつつ少しだけ険しい声色で聞いた。

「ダメだって言ったでしょ? 女の子が一人歩きする時間じゃないよ」

 その声は先ほどの冗談ではない冗談の応酬とは明らかにトーンの違う真剣な物で、さしもの優衣も怒鳴ることなどできなくなる。

 雫は本気で優衣の事を心配しているのだが、時間はまだ9時半。最近は塾帰りの子どもだっているし、そもそもここら一帯は治安がいいことで有名だ。

 大きな事件だってここ数年は一つも起きていない。

 過保護に輪をかけた雫の態度だったが、過去の優衣もそれと同じか、或いはそれ以上だったことを鑑みれば不満を言える立場にはない。

「ちょっとだけ、友達と会ってくるだけだから。心配しなくても大丈夫」

 優衣だって好き好んで夜の街を徘徊したいわけじゃない。

「学校の友達なら明日会えるよね。どうしてもすぐじゃないとダメなの?」


 雫のいう事は最もだろう。でも、優衣に送られてきたメールは今すぐでなければならないと如実に語っていた。

 差出名は影人から。内容は、もし魔法について理解があるのならすぐに会いたい。

 指定された場所は影人の家からも優衣の家からもちょうど真ん中にある公園の一角だ。

 サッカー場としても使われている、一面芝生を引いた広場は桜の季節になると花見客がわんさと訪れてくることで有名な場所でもある。

 突然のメールに驚きはしたものの、それからすぐに光輝から電話がかかってきて彼にも同じ文面が送られたことが分かった。

 いつもの厨二病の一種かと思いはしたのだが、影人がこんな夜遅くに来てほしいと言うことはそれなりの理由があるのだろうという事も短い付き合いの中で分かっている。

 彼は口調さえなければ至って普通の、或いはずっと気の利く常識人なのだから。

 それに、今更ながら今日の忘れ物を取りに戻ってきた影人の態度も気になっていた。

 あんなところに昇降口はない。ならば彼はいったい何を忘れてきたのか。

 これはきっと都合のいい想像なのかもしれない。

 結果だけを先に決めて、その過程を都合よく解釈しただけの妄想なのかもしれない。

 影人が香奈に食事に誘われた時、彼は迷っていた。

 忘れ物を取りに戻ってきたという影人と出会ったのは中等部のグラウンドに繋がる道だった。

 そして今、魔法について理解があるならば会いたいといっている。

 ……もしかして、彼が忘れたものとは、あの魔物だったのではないだろうか。

 彼もまた、この世界を乱す魔物を倒す役割を背負わされた魔法使いなのではないだろうか。

 もしそうだとすれば、いや、その可能性があるのだとすれば今すぐにでも駆けつけなければならない。

 時間を食ってしまったが全力で自転車を漕げば待たせる前に辿りつけるだろう。

 だからこれ以上、どうしたって雫に邪魔されるわけにはいかない。変なところで律儀な優衣だった。


「どうしても必要で大切な事なんだ」

 こういうとき優衣は今まで真面目で通してきてよかったと心底思う。

 目の前の雫は真剣な言葉を受けて諦めたように溜息を零した。

「私も着いて行っちゃだめ?」

「ごめん、自転車じゃないといけないから」

 この家には共用の自転車が1台あるだけで、雫は二人乗りが好きではない。

「危ない事じゃないんだよね」

「友達と会うだけだよ。全然危なくなんかないって」

 優衣がどうしても必要というのならば、それは本当に必要な事だというのを、雫も理解している。

 それを無理やり止めるのはきっと誰にとってもよくないのだから。

 納得してくれた雫の隣を通り抜けようとするが、突然再び腕が伸びる。

「でも、やっぱり譲れない」

「雫」

 窘める声色で名前を呼ぶと明らかに態度が萎れた。きっと本人もよくないとは思っているのだろう。

 心配性だなと苦笑しつつもありがたみを感じて再度言い聞かせようとしたのだが、それよりも早く雫は立ち直った。

「お兄ちゃんが女の子として外出するなら考える」

 とんでもなく不真面目な事をまたとない真剣な表情で告げる妹に、なんと言葉を返せばいいのか。

「ちょっと待ってよ。それってどういう」

 意味なのか、と聞くまでもなく、雫は続けた。

「私が選んだ服を着ていくなら外に出てもいいよ。嫌なら絶対に通してあげない」

 それは徹底抗戦の構えだった。

「お兄ちゃんは無防備すぎるから、夜遅くに出るなんて絶っ対にダメ。ほいほい他人について行っちゃいそうだもん」

 語尾を強めて断定する雫に優衣は困った顔をする。

「いや、流石にほいほいはついて行かないって」

 だが雫は一向に疑いの眼差しを弱めずに優衣を窺い、物は試しとばかりにこんな質問をした。

「じゃあ聞くけど、一人で誰もいない公園を通った時に倒れている男の人がいたらどうする?」

「いきなり凄い設定だけど……当然大丈夫か声をかけるでしょ」

「その人がかなり泥酔してたら?」

「家を聞いて近くなら送り届けるか、必要なら警察か病院だと思う」

「家が近くて、肩を貸してほしいって言われたら?」

「そうする、けど」

「お兄ちゃんは死にました」

「なんでボクがいきなり死んでるの!?」

「だから無防備だっていうの! じゃあ聞くけど、そこでもしお兄ちゃんがふりふりな私のお下がりを着てたらどうする?」

「それは……確かめはするけど、あとは全部警察に任せるよ。見られたくないしすぐに帰りたい」

「ほらね。決定、絶対に着ていかなきゃ出してあげない」

 そのやり取りだけで萎れかけていた雫の心は復活どころか、有無を言わせぬ頑強な物へと変わり果てていた。

 こうなると雫は絶対に意志を変えたりしない。

 魔法を使ってこっそり抜け出そうかとも考えたがここで引き下がっても今日一日は監視の目が続くだろう。

 抜け出すまでは上手く行ったとしてもその後の応酬は考えたくないし下手に外を探されるのも心配だ。

「どうするの?」

 時間がないなら早く決めてとばかりに迫ってくる雫を言いくるめる方法は見つからなかった。

「会うの、学校の友達なんだけど」

「だから?」

「流石に、女の子の服を着て会うのはちょっと……」

「もう本当の事を言っちゃえば?」

「そんな事したら生きていけなくなる」

「大げさだなぁ……あのね、いつか絶対にばれるんだよ? 隠そうと思って隠せるような事じゃないんだから」

 雫の一言は心に刺さる物があった。

 確かにその通りなのだ。いつまでもこの状態が続くなんてことはきっとありえない。

 夏になれば水泳の授業も出てくるだろう。そうなったら授業を全て休むくらいしか隠し通す手段がない。

 父親はそれまでに戸籍をどうにかすると張り切っているし、やりきれる確証さえ持っている雰囲気だった。

「分かったよ。出ていいなら着てく」

 究極の選択ではあるものの、影人が魔法使いだったとすれば、天秤はこちらに傾かざるを得ない。

 これでもしもいつもの厨二病だったらしばらくの間香奈と一緒に弄り倒してやる事を心に決めて、嬉々として手を引く雫の後に続いた。

 

 時間がないことも手伝って、雫が用意したのは淡い空色の簡素なワンピースだった。

 膝丈のスカートで若干頼りなさを感じるものの、自転車に乗るならと丈の短い物を選ばれた結果だ。

 少ない時間がより少なくなったことに焦りながらどうにか着替えると脱兎のごとく部屋から飛び出る。

「ちょっと待って、これ!」

 その後ろ姿に向けて雫が紐のついた四角い物体を投げつけた。

 慌てて地面に落ちる前に受け取ると自爆スイッチの様に、赤く塗られた丸いボタンが中央に鎮座している。

「なにこれ」

「防犯ブザー。危ないって思う前に鳴らさなきゃだめだからね! 危険を感じる1歩前に鳴らせば大体逃げていくから!」

 なにそれ冤罪怖いと思わなくもなかったが投げ出すわけにもいかず備え付けられたポケットに滑り込ませる。

 玄関から飛び出ると慣れた手つきでチェーンを外し、裾に気を払ってから座ると意識を集中して身体強化の魔法を発動させる。

 普段の倍近い力でもってペダルを力強く押しこむと、小柄な少女が座ったまま出せる限界を遥かに超えた速度で道路を駆け抜けて行った。

 

 

 夜という事もあって人通りの少ない道を爆走すれば5分ほどで待ち合わせ場所の広場につくことが出来た。

 芝生の広場は広大な面積を持つがサッカー場として使うことからエリア内部には電灯がない。

 夜ともなれば月明かりだけしか照らすものはなく思った以上に暗かった。

 自転車を近場に止めて鍵をかけると広場の中へと進んでいくが、影人はどうしてこんな寂しげな場所を指定してきたのだろうかと、優衣は若干不安に思う。

 やがて手前の方から赤く揺れる炎と見慣れた赤銅色の髪、それから僅かに照らされている影人の黒髪が見えてほっと胸をなでおろした。

「ごめん、待たせちゃった?」

 優衣が声をかけると接近に気付いていなかったのか、二人が凄まじい勢いで振り返る。

 光輝の足元には見慣れたサラマンドラが相変わらず燃えながらきゅるきゅると啼いていた。

 一方で影人の足元には深い青色のもこもことした兎が威嚇するかのように身体を膨らませている。

「優衣、下がってろ!」

 優衣に気付いた光輝が憔悴の混じる声を張り上げる。

 優衣は訝しげに周囲を窺うが特に変わった様子などどこにもない。

 どうしたのかと聞こうとして僅かに近寄った、その瞬間。目の前に黒い刃の切っ先が突きつけられ微かな悲鳴を漏らした。

 突然の事態に目を白黒させて身体を硬直させている優衣に剣を向けているのは他でもない、影人自身だ。

「何のつもりだ」

 光輝が怒りを隠しもせず威圧的に影人を睨むが少しも怯む様子はなかった。

『サラマンダ、お前ならとっくに気付いているんだろう?』

 答えたのは影人ではなく、その足元にいる青い兎。

『言われるまでもない。が、光輝が信じるに足ると言った以上、精霊がどうするかなど聞くまでもないだろう? エクリプスよ』

 エクリプスと呼ばれた精霊はサラマンダの言葉を鼻で笑う。

『仕方あるまい。ならばこうするしかないな』

 光輝も優衣も2匹の精霊が何を言っているのか全く理解できなかったが、少なくとも仲良く会談しているようには見えない。

「どういうことなの」

 精霊ではなく剣を突きつけている影人に向かって、ようやく少しは落ち着きを取り戻した優衣が気丈に問い返す。

 だがその返答は酷く簡素で淡々とした、凡そ想像した中にはない一言だった。

「悪いが、死んでくれ」

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