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現世の魔法使い  作者: yuki
第一章
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何気ない日常

 車一つ見かけない閑静な住宅街に車輪が勢い良く転がされる軽快な音が響いていた。

 路面はよく整備されているおかげで上下に揺さぶられる振動もなく速度は増す一方だ。

 もちろん時折見かける十字路では路肩に設置されたミラーを覗き込んで、誰も居ない事を確認するのも忘れない。

 季節は晩春、まだ肌寒さを感じる日もあるが薄手のコートを羽織るのはちょっと暑い。

 つい一月ほど前までは頭上に満開の桜が咲き誇り、優しげな薄桃の霞が(あまね)く広がっている、それはそれは幻想的な風景を醸していたのだが、今はもう散って青々とした若葉に衣替えを行っている。

 残念ではあるけれど、頭上で茂る葉が時折吹き抜ける風に揺られひとりでに奏でる涼しげな音色や、木漏れ陽が黒いアスファルトへ宝石の様に零れ落ちる今の風景も悪くはない。

 風にはほんのりと若草の匂いが混ざり、心が洗われるような清々しさを感じる。

 もう少し時間が経てば脇に植えられた街路樹のツツジが咲き誇り、色鮮やかな赤や薄桃や白がこの道を染め上げるだろう。

 この通学路は地元民から愛さる故に車は殆ど近づかず、フラワーロードと名づけられていた。


 そんな住宅街を抜けると町並みは唐突に色合いを変える。

 通勤の為に駅へ向かって歩く人の数もぐっと増え、全く見かけなかった車が列を成して進む大通りが見えてくる。

 その大通りに沿って暫く進めばこの四籐(しとう)町で一番賑やかな国鉄の駅が姿を現すのだ。

 数年ほど遡ればそこかしこが空き地でビルの一つすらなかった町だったが、国鉄の駅ができて周辺区域へのアクセスが随分と便利になってから爆発的な発展を遂げ、今では大きなビルやマンションさえ並ぶ都会へと姿を変えた。

 といっても都会なのはあくまで駅の周辺だけ。

 駅の向こうには未開発の山々が夏の緑に山肌を染めていて、10分も歩けば大自然を体感することもできるだろう。

 そんな都会的な便利さと自然の憩いを併せ持つ特色のせいか、この町に移住してくる人は少なくなかった。


 駅を挟んで通る大きな国道に設けられたスクランブル交差点の前で住宅街を走り抜けていた自転車は動きを止める。

 歩行者と乗用車で完全分離型となっているこの交差点はどうしても一度掴まってしまうと待機時間が長い。

 かといって携帯を広げて何かをするには少し短く、誰もが手持ち無沙汰に前方をひた走る車をじっと眺めていた。

 それはこの自転車の主でもある月島優衣(つきしまゆい)もまた同じだ。

 自転車のハンドル部に腕を組むと顎を乗せ、風を伴って通り過ぎる車を眺めながら信号が変わるのを待っている。

 と、その姿が開店準備をしているメンズ物の洋服店に置かれた大きな姿鏡に映りこむ。

 自転車に乗っていても分かってしまうほど小さな体躯が纏っている真新しい制服はこの町では有名な公立の高校の物だというのに、良くて中学生か場合にしか見えないほど細く華奢だ。

 幼さの残る可愛らしい顔立ちに気だるげな瞳が少し閉じられてぼうっと前を通り抜ける車の群れを眺めている。

 それがどこかふてくされた子猫のようで見た目の幼さと可愛らしさを強調していた。


 一番サイズが小さい制服にも関わらずブレザーの袖は手の甲を隠し、指先だけがちょこん、と頼りなさげに顔を覗かせていて、それが余計に庇護欲を掻き立てる。

 しかし高校生には見えない小柄さにしろ、無自覚な愛らしさにしろ惹かれる部分は幾つかあるが、何より目を引くのは身体の半分以上を覆い隠している見事な長い髪だろう。

 澄んだ紅色の紅茶にたっぷりのミルクと砂糖を入れて丁寧に丁寧にかき混ぜた、そんな温かみのあるスノーホワイトに茶を足したような、染めただけでは絶対に作りようのない色合いの髪が、先ほどから足止めされた人々の注目を絶え間なく一身に集めている。

 時折吹き抜ける風に遊ばれた一束の髪が陽光を受けて踊り、光の粒子を振りまく様子はどこか現実離れしていて絵画のような神秘的な光景に映ってしまうほどだ。

 その場の何人かは見惚れたように視線が外せなくなっているというのに当人は全く気付いていない様子で小さく欠伸をもらす。

 車の信号が点滅して青から赤に変わる。

 すると気だるげだった表情に萎んだ花が再び開く様に活気が宿った。

 それがまた子猫のきままな仕草を彷彿させて周囲の人間に自然と笑顔を灯していた。


 が、当人の優衣にとってみれば、これから先の道のりは気力と活気が充実していなければ越えることのできない壮絶なものなのだ。

 車用の信号が切り替わると吊るされている自転車用の信号が青に変わった。瞬間、誰よりも早く自転車のペダルを精一杯踏み込む。

 この道路には何故か自転車専用の信号が併設されていた。時間はさほど長くないのだが歩行者も車も通れない特別な時間が流れる。

 それは過酷な現実に立ち向かう生徒たちへのせめてもの手向けか、エールか。

 スクランブル交差点を渡り左手に進めば賑やかな駅前に到着するのだが、生徒たちが向かうのは駅の右隣、交差点の直線上に存在する高架の下、駅の奥手に広がる山への坂道だ。


 それもこれも、彼等が通う公立四籐学園は何故かこの辺鄙な山の中腹に、とんでもない広大な土地でもって建てられているのが原因だった。

 校庭が広いことからグラウンドの取り合いもなく、運動系の部活にしてみれば喜ばしいことかもしれないがそれ以外の一般的な生徒にしてみれば冗談ではない。

 ではどうしてこの高校を選んだのかと言えば……公立にしては珍しく、実験的な小中高一貫校だからという部分が大きい。

 小学校からきめ細かな授業や遅れている生徒への補助を行うことで全体的にレベルが高く、周辺の高校と比べても頭一つ飛びぬけている偏差値を持つ。

 小中学校をここで過ごした生徒は特別な事情でもない限り転校しようとは思わないのだ。

 この坂に嫌気を覚える生徒も多いが、電車で1時間以上乗り継いで高校に通うのと比べればまだ坂の方がマシである。


 山道の勾配が平均8%と聞けば然程辛くないのではないかと思われるかもしれないが、この8という数字が自転車で駆け上るにはどれ程の気力と体力を消費させられるか、苦痛は味わったものにしか分かるまい。

 校門までその勾配が渦巻きながら凡そ400メートルほども続くことになるのであればなおさらだ。

 今はまだ晩春だというのに登りきるころにはほんのりと汗をかいてしまう。これが真夏になればさしずめ修行僧の苦行に変わる。

 坂を登りきる頃には滝の様な汗が流れ落ち、校内で別のシャツに着替える人も多い。

 その上帰りは目の前に人通りの多い横断歩道があることから、坂で得た加速を活かす機会はどこにもない。

 見事な不完全燃焼、生殺しである。

 そして冬になれば山には凍てつくような極寒の冷気が吹きつけ、雪など降ろう物ならば坂道は地獄の様相をなし、転倒被害が多発する。


 雪の日に自転車で登校する猛者などいないだろうと思うかもしれないが、高校生、特に男子高校生という生き物はその胸に常に燃え滾る浪漫を秘めてやまない生き物なのだ。

 誰かがやらないことを自ら進んでする。それこそマイジャスティス。

 数多くの学生が雪の坂道に転げ回るのは、既にこの学園の風物詩になっている。

 それが転じて雪の積もった坂道を転ばずに駆け上ることができれば願いが叶うなんていうジンクスさえ作られているほどだ。


 そんな坂を何人もの学生が徒歩で、或いは自転車で駆け抜けていく。

 自転車専用の信号が設けられた経緯は定かではないが、その恩恵を活用して幾人かはうぉぉぉという暑苦しい、もとい熱気の篭った叫び声すら上げて次々と坂へ食らい付いていった。

 優衣も遅ればせながら坂に到達し、立ちあがりながら全体重をこめてペダルを思いきり踏み込み、するすると登っていく。

 ……が、調子がいいのは最初の100メートルほどで、そこから50メートルも進めばふらつきを見せ始め、200メートルを越えた辺りで自転車から降りた。

 気温・天候・健康状態がベストであっても、この坂を自転車から降りることなく登ることができるのは一部の体力馬鹿か運動系で日々鍛えている連中だけである。

 中には100メートル付近でダウンしている生徒もいるのだから、優衣はまだ優秀な分類と言ってもよかった。


「よう、お先!」

 と、自転車を押しながら坂道を登っている優衣のすぐ隣を一人の男子生徒が自転車に乗って、あまつさえ座ったままの体勢で片手を離し手を振りながら通り抜けていく。

 運動系の部活にも属していないというのに、立ちさえせず坂を上りきれる信じられないような体力馬鹿。

 ブレザーのボタンは一つしか留められておらず、首に下げたネクタイも少し緩んでいてきっちりした優衣の着こなしとはまるで正反対。

 とても同じ制服を着ているとは思えない。

 肩で息をしながらどうにか自転車と一緒に坂を登りきると先ほどの男子生徒が自転車に跨りながら優衣の事を待っていた。

 高1にして既に180を超えている身長と赤茶けた赤銅色を思わせる髪、細く、ともすれば睨んでいるような目つきのせいで不良と思われることもよくあるが接してみればそんな事はない、ただの普通の高校生である。

 そして何より、優衣にとって数少ない親友でもあった。

「鍛え方が足りないんじゃないか?」

 開口一番にそう告げる彼に、優衣は呆れた様子で深い溜息を一つ吐き出した。

「光輝が異常なんだって……」


 春原光輝(すのはらこうき)。運動神経に関して言えばこの少年、光輝に勝る物は学園内にいないとまでされている。

 体育で短距離だろうが中距離だろうが走れば陸上選手としてやっていけるタイムを叩き出し、バスケをすれば部のエースすら凌いでみせる。

 運動にカテゴライズされた物であれば彼の横に出るものはいないというのに、それを校内以外で発揮するつもりはないようで、様々な部からの勧誘を全て断っていた。

 校長自ら飴つきで運動系の部活に入るよう依頼したこともあるという噂さえ囁かれている。勿論、これに関しても拒否したという結論で。

「光輝はさ、どうして運動部に入らないの?」

 優衣がそう質問すれば、彼は決まって罰が悪そうに笑ってこう答える。

「柄じゃないし、自分の時間が減っちまう。そしたらアニメや漫画なんて見てらんないだろう?」

 少々特殊、或いは残念というべきか、神は彼に二物を与えなかったらしい。

「まぁまぁ聞けって、昨日さ、魔法少女ものの深夜アニメがあってだな……」

 始まった彼の悪癖というか、布教活動に優衣は苦笑する。

 彼とこうして会話をし友人となったのは中学生の時からだったが、3年の歳月を経てもその性格が変わることはなかった。

 既にこういった趣味も彼らしさの一部と認識されていて会話に付き合うのも優衣としては嫌ではないのだが……。

「で、どうだ? 今度の夏の祭典にその登場人物のコスをだな」

「黙れ」

 満面の笑顔で優衣は光輝の提案を一蹴する。友人の唯一困った趣味がこれだ。

 事あるごとにちょっと方向性の間違った少女趣味な服を着てくれと頼んでくるのは一体どういうことなのか。

「いいじゃないか、似合うと思うぞ?」


 優衣の小柄で庇護欲をそそるような体躯は確かにそういった服装に良く合うだろう。

 例え町中で着ていたとしても"あり"だなと受け入れられる程稀有な容姿をしている人材は早々いるものではない。

 そういった意味合いから考えれば適材だと言えるのではある。

「あのね、ボクは男なんだけど?」

 ただ一つの例外を除けば。

「外見はどこからどうみても小さな可愛らしい女の子だけどな! よう、歩く詐欺!」

 ポンっと肩に軽く乗せられた手に、優衣は僅かな、けれど明らかに分かる動揺を見せるものの、次の瞬間にはにこやかに笑みさえ浮かべて光輝の自転車を力の限り蹴り飛ばした。

 ぐはぁ、とそれっぽい声を光輝が上げてはいるものの、体格差さもあって自転車を微かに揺らしただけに過ぎない。

 でもそれだけで互いの間にこの話題は終わりという言葉なき意思の疎通ができていた。


「つーかさ、最近ちょっと変わったか?」

 いち早く復帰した光輝は何か難しいことでも考えているのか、眉間に皺を寄せた彼にしては珍しい表情で唐突に尋ねた。

「な、何が……?」

 優衣の声の動揺を、勿論光輝が見逃すはずもない。三年間という短い時間ではあるがこうしてよくつるんでいたのだから。

 ……といっても元より隠し事が苦手な優衣の動揺を見破るなど、一月過ごせば十分看破できるようにはなるだろうが。

「なんつーか、1週間くらい前からよそよそしいような気がしてさ」

 彼の言葉に優衣は胸のうちで溜息を吐き出した。光輝は筋金入りの馬鹿ではあるが、何故か時々勘が鋭い。

 同時に、光輝が突然触れた際に僅かな動揺をあらわしてしまったことを嘆く。

 ……彼の言葉は確かに正解なのだ。よそよそしいというより、優衣が一方的に少しだけ距離を置いている。

 だが優衣は別に光輝と距離を置きたいと思っている訳ではない。

 全ての事の発端、こうして距離を開けなければならなかった原因は、光輝が言うように丁度1週間に起きた事件のせいだった。


 さて、ここにおいて光輝の視点と優衣の視点では、優衣の性別という観念に大きな隔たりがある。

 優衣の容姿は生来からの物で、戸籍上も生体としての機能においても男性"だった"。

 ……だった、そう、過去形である。

 校内のどんな女子よりも女子らしいと言われる神秘的な外見をもっていたとしても、優衣は"彼"であったのだ。つい最近までは。

 勿論光輝もこうして囃し立ててみたりするが優衣が男性だということを知っているし、制服を見ても光輝と同じものを着ているのだから明らかではある。

 それが今、というより1週間前の事件以後、優衣の性別は超常現象もかくや、女性に変わってしまった。

 生来の可憐な容姿もあって、周囲の友人は元より、家族の誰一人として優衣が女性に変わった事に気付くそぶりすらないのが良い事なのか悪いことなのか……。

 話すべきか話さざるべきか熟考に熟考を重ねた結果、優衣は話さず、バレず、今まで1週間を過ごしていた。

 隠しているが故に、軽く触れられただけでもバレてしまうのではないかと動揺してしまうのは致し方のない事でもあり、それが光輝の感じたよそよそしさの原因でもある。


「そんなことないよ」

 こうして短くない時間を隠してきた手前、優衣がいまさら真実を言えるはずもなく、ただなんでもないように否定の言葉を告げる。

 光輝もすかと納得したように笑い、話題はまた彼の好きなサブカルチャーに切り替わった。

 しかし彼の話は優衣に届いていない。

 どうしても、事の発端である1週間前に起こった事件のことが頭から離れないのだ。

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