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(五)

 最初に、神々が在った。

 太陽の神、月の神が在り、実りの神、知恵の神、火の神、酒の神が在った。 

 そして最後に、滅びの神が生まれた。

 滅びの神が全てを呑みこみ、それを人間に生まれた英雄が討った。

 神殺しの名を受けた英雄は妖精たちの国へと逃れた。

 かくして、大陸の覇権は神々より人へと明け渡された。

 神の子も人に混ざり、恐ろしき魔物の存在も吟遊詩人が歌うばかりとなった。


 どこまでも広がる草の波、その向こうに陽光を受ける主人が、美しい金髪を風に踊らせている。ここからでは表情は伺えない。

 ただ、悲しげなことだけは解った。

 誰が、彼の強き女性を悲しませているのだろう。

 凛として美しく、強く、心根こそ真っすぐだけれど発する言葉はどこか拗けている。愛すべき方だ。

 リーナル様、

 呼びかけても、声は届かない。自分の声では届かない。そのことが堪らなく悔しい。

 嗚呼、自分が兄君様であれば、あるいは黒髪の傭兵であれば、その美しい顔をこちらへ向けてくれたのだろう。

 リーナル様。

 心の中でもう一度呼びかけて、自分は彼女の傍へ向かう。

 声をかけて気づいてもらえないのなら、自ら歩み寄るよりないのだ。


 偉大なる神ではない、ちっぽけな人間に出来ることといえば、己の脚で進む事だ。

 そう、フォモールが話してくれた。

 過去へ戻る術は無い。

 他者へなりかわることもできやしない。

 先へ進む事。

 それが、自然と共に在るということ。人間に出来る事。



「目をさましなさい!」

 ペシ、と小さな手のひらで頬を張られ、ケトは夢から戻った。頭がガンガンと痛む。

 自分に跨るようにして、黒い髪の、深い色をした瞳の少女が顔を覗きこんでいた。見知らぬ娘だ。

「見て、ファリド様! レイティアねえさま! ヴァルフィルト騎士の情けない姿。わたくしが退治してやったわ!」

「うぅ、すみません、大声はちょっと……いたたたた」

「姫、それくらいに。今はその情けない騎士も大切な客人なのだろう?」

「も~~~ ファリドの意地悪!」

 姫と呼ばれた少女は、頬を愛らしくふくらませ、ケトから離れた。

「リーナル王女の従騎士、ケトね。ご主人様は先に起きていてよ。ほんっと、だらしないの。とんだ恥さらしよ!」

「ミュウ。よしなさいって言ってるでしょう。ケト君、お水ドウゾ」

「あの……さっきから、状況が」

 頭の痛みの合間合間で、追い打ちをかけられている。ケトはなんとか体を起こし、見知らぬ美女から木の器に入った水を受け取った。

 自分はヴァンと二人用の天幕を宛がわれていたが、寝入る時も今も、ヴァンが入ってきた気配は感じられなかった。とはいっても、自分は酔いつぶれていたので事実は確認しようはない。

 とにかく、今は天幕で横になっているのは自分だけ、そして見知らぬ三人組が居る。

 どういうことだ。

「わたくしは、フォモールの長の娘、ミュウよ。こちらは流れの吟遊詩人・ファリド様と、踊り子のレイティアねえさま」

「ヴァルフィルト王国騎士団所属の従騎士……ケト=ディアナ=トゥアハと申します」

「知ってるわ。早く支度をして、下の広場へいらっしゃい。準備はもう出来ていてよ」

「へ? 準備? え?」

 状況説明をまったくされないまま、ケトは一人、残されることとなった。


 ごめんなさいね、と主人が困った笑みを浮かべ、馬を並走させるケトへ言葉をかけた。

「リーナル様のご決断に、わたしは付いていくだけです」

「それじゃ困るわ。私の行動が間違っていると思ったら、必ず話して。常に正しい人間なんて、いないのよ」

 ……なにか、あったのだろうか。この一晩の間に。

 寝不足なのか目元の赤い主人はそれ以上の事は話さず、ケトもまた追及しなかった。

 『フォモールの長、吟遊詩人、踊り子を連れて王都へ戻る』

 ケトが広場へ着くと、リーナルが首領へ向けて、そう要望したのだ。事は急を要するという。

 当初、フォモール側が用意していた戦闘要員は、そのまま集落の警備に当たるようにとも。

 首領は、その話を受けて考えるように顎を撫で、長の代行として娘を遣わすと答えた。

 そして、今に至る。

 平原を自由に駆ける、イーハの馬は速い。

 意外にも、吟遊詩人に乗馬の心得があるのは助かった。

 ヴァンが踊り子を、ケトがフォモールの姫を乗せ、馬の走れる限りまで王都へ向けて飛ばした。

 行きとは違い、地理に明るい姫が近隣の集落へ寝泊まりの案内・交渉をしてくれた。

 終始、脹れっ面の彼女の真意を、ケトだけが汲み取れないまま明日には王都に到着という夜を迎えた。

「ミュウは、ヴァルフィルトを返り討ちにしようと考えていたのさ」

 その夜、寝付けないケトへ、ヴァンがコッソリ話してくれた。

「チビ姫は、二十年前の惨劇を知らねぇ。それでも、王国はオカシイと感じていたんだな。……決定打が、踊り子の件だった」

「レイティアさんが……?」

「流行病で、美声を失ったと話したろう。もっと前から、病自体はあった。しかしイーハには医術ってのが無い。王国に助けを求めるしかなかったが、跳ねのけられていたんだ。声を失うといっても命にかかわることでなし、国内では症例もない。下手に感染すると困るから、病人が出た集落はしばらく王国領土へ入るなともいわれたらしい。そのツケが、歌姫と呼ばれた彼女を襲ったんだ」

「そんなことが……」

 知らなかった。知っていたところで自分に何ができたわけでもないが、胸が痛んで仕方ない。

「ファリドとレイティアが、王都で『血まみれの三日月』の歌を流行らせてきた。二十年前の事を知らずとも、国民には西へ恐怖を抱かせるのに十分な歌さ。軍勢がやってきたところで、フォモールの勇敢な戦士たちがたちまちのところやっつける――。それを革切りに、王国へ不満を募らせるイーハの民らを纏め上げ、解放軍として乗り込むってのが筋書きだ」

「……それも酷い」

「だろ。リーナルが横から口出しして、俺達三人だけでやってきたせいで、すっかりヤル気を削がれちまったみたいだな。あのじゃじゃ馬にしてはお手柄だ」

 ヴァンは笑いながら、一人で夜風を受けているリーナルへ視線を投げた。こちらへは背を向けたままである。

 フォモールでの夜以降、完全に警戒して、ほとんど言葉を交わしていない。実に判りやすくて、微笑ましい。が、面白くないのも確かであった。 

 ……もう、遅い

 それは、自分自身へ言い聞かせた言葉でもあった。

 手遅れだ。

 クラウとソラス、あるいはナーザ。

 二人の王子と一人の王、どれか一つの命は確実に落とされており、王都は混乱の中であろう。

 女のリーナルに、何ができるという?

 女のリーナルを……守る方法は、これしかなかった。

 そうでなければ、確実にソラス側の人間に殺されていた。それは間違いない。

 彼女にとっては可愛い弟でも、彼にとっては目の上の瘤でしかないのだ。その事実を、彼女へ突きつけるのも……苦しい。

 けれど。

 リーナルは、そんなに弱い女だろうか。そうとも思う。

 

 『血まみれの三日月』を、退治するのよ。


 全てを聞いた上で、翌朝、彼女はそう言い放った。

 そのために王都へ向かうと。

 胸がざわついたのは、自分たちだけではあるまい。

 あの歌の真意を知る、あの惨劇を目の当たりにした、イーハの皆が何かを感じ取ったはずだ。

 彼女に、一体どんな考えがあるというのだろうか。

 イーハの戦士たちを連れて戻るでもなし、血で血を洗う戦いへ、どんな剣を下ろすというのか。

 鱗のように、一枚、また一枚と剥がれてゆく『平和』の欠片を、どうにかする方法があるというのだろうか……。

 呼びかけ、振り向かせたい気がした。いつものように、ふざけてその身体へ触れたいとも思った。

 しかし……月明かりに照らされた姿に気後れして、ヴァンは唇を引き絞った。柄にもない。そう笑う耳に、レイティアの歌声が聞こえた。か細い、けれどとても美しい声だった。遠い異国の、恋の歌だった。



 朝の来るのが早く感じた。

 リーナルは、すっきりとした頭で、草原の向こうにそびえる王城を眺めた。

 不安は無かった。

 王都に何かしら異変があれば、警備兵の灯すかがり火が見えるだろうし、この辺りでは巡回兵も来るはずだろうから。

「いよいよだな」

「……そうね」

 並び立つ、黒髪の傭兵を見上げる。思えば、今回の件はこの男に随分と引っかき回されたものだ。そう考えると憎たらしくなる。

「もう遅い、なんて思わないんだから」

「あ?」

「『過去へ戻る術は無い。他者へなりかわることもできない。先へ進む事。それが、人間に出来る事』フォモールがね、昔、話してくれたのよ」

「イーハの御伽噺か」

「そう。その話を聞いたから、私は進む事ができるの。悔やむ事は……この先も、きっとたくさんあると思う。それでも、進む事を非としないわ」

「ふうん。進む事……ね」

「なによ。またからかうつもり!?」

「いーや。……こないだの、先に進む気はあるかい?」

「!!」

 く、とリーナルの細い顎を、ヴァンが持ち上げる。馬鹿、と彼女が発声する瞬間に、

「その根性、熱湯消毒くらいじゃ直らないカシラ」

「熱い熱い熱い熱い! レイティア!」

 いつの間にか彼の背後に居た踊り子が、その衣服の背筋へ沸きたての湯(加減はした、とはレイティア談)を注いだ。

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