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(四)

 空に三日月が浮かんでいる。


 リーナルは、旅の疲れはあったものの眠る気にはなれなくて、天幕の外でボンヤリと空を見上げていた。

 辺りはシンと静まり返っていて、星の瞬く音さえ聞こえてきそうだ。

 ファリドと別れた後、フォモールから解放されたケトと落ち合った。

 酒を飲まされ足元がおぼつかないのは予想していた通りで、笑いながら彼を介抱し、寝入るのを見届けた。

 相変わらずヴァンは姿を消したままだったが、朝食の時間となれば戻ってくるだろう。そういう男だ。

 ……そういえば

 星空を見上げたまま、リーナルはヴァンについて記憶を手繰り寄せた。


『リーナル、紹介するよ。友人のヴァンだ。きっとお前を守ってくれる』

 王位を返上し、母の実家で騎士見習いをしていた頃に兄から紹介されたのが彼だ。

 温厚な兄とあまりにも対照的な傭兵の振る舞いに気後れしたのも束の間、からかわれては反論する、そうしているうちにそれが当たり前の関係となった。

 出身も、経歴も知らない。知らなくても、現在の彼を知っていればそれで良いと考えたからだ。


 兄と弟が険悪であるこの時期に、西方の不穏な噂。

 吟遊詩人の嘘。

 噂を確かめに動いた時、吟遊詩人の姿は見当たらずヴァンが居た。


「ヴァン」

 名を音にしてみる。

 黒き剣のヴァン。刃に着いた血糊が黒く変色しても振るい続け闘い続ける凶暴さから付いた二つ名だ。

 彼が実際に戦う姿は、未だ目にした事は無かった。

 賭け闘技場で小遣い稼ぎをする様子は見たが、実力の全てを発揮しているとも思えない。

 腹の底が読めない。読もうとも思わなかった。けれど――今回は、違う気がするのだ。

 黒い髪、浅黒い肌、鳶色の瞳はイーハの特徴的な容姿ではあるが、他国で珍しいというわけでもない。

 各国の流儀に詳しいのも、流れ者であれば納得できる。

 とりわけ疑問に思った事はないが――……

「嬉しいね、俺のいない時にまで思い浮かべてくれてたのかい」

「馬鹿いわないで」

 草を踏む音がして、闇の中にふらりと男が現われる。

 リーナルは、ヴァンを軽く睨みつけた。

「……故郷へ戻るのは何年ぶり?」

「ざっと二十年。といっても、ここじゃない。血まみれの平定で潰された、ちっせぇ邑だ。クラウによって、俺だけ助けられた」

「兄上が?」

「年が近かったから、案内役をしていたんだ。それで」

「そう」

 年の近い子供など、たくさんいただろう。恐らくは首領の息子か血縁だったに違いない。命拾いしたとはいえ、惨劇の片棒を担ぐこととなったのであれば、戻ることもできなかったのは納得できる。

「どうして……今回のことを?」

「それを俺に聞くか」

 ハハ、と笑うヴァンに、酷薄な表情が浮かぶ。

「……ヴァン?」

「クラウは、俺の恩人だ。あいつの大事なものを守ってやりたい。それだけだ」

「……兄上の……?」

 『きっとお前を守ってくれる』

 思い出したばかりの、兄の言葉が脳裏をかすめる。

「フォモールが言ってたろ。王都は今、血で血を洗う状況だって。暮らしてるお前が知らないとは言わせねぇ」

「それは……だけど」

 兄クラウと、弟ソラスは冷戦状態にある。政務で国民の指示を集める兄、家臣を味方につけようと動く弟。確かに見ていて穏やかではない事は確かだが、実際に血を流しているわけではない。

「騎士団所属の姫には、王宮の内部まで話は回ってこないだろう。王位を返上するってのはそういう事だ」

「そんな、まさか」

 自分の知らないところで、兄と弟が、直接的な行動をとっていると?

「ヴァルフィルトは、辺境の呼び名の上に胡坐をかいている。"どうせ自分たちは田舎者だ"そういって、外へ目を向けないのさ。小さな箱庭で暮らしている」

「どういうこと?」

 さすがに、祖国を悪く言われてはリーナルも険しい表情となる。

「その質問が、答えさ。あんた達は、何も知らない」

「…………」

「『血まみれの三日月』は俺からの警鐘だった。なのに、ヴァルフィルトは余所からの脅威だと決めつけた。決めつけに誰も反論しなかった。呑気なものさ」

 ヴァンの言葉に、リーナルは目を見開いた。

「気づいたのはクラウだけだったな。あいつはさすがだ。クラウが玉座に着けば、少しはマシな国になろうさ」

「ヴァン、あなたは何を考えているの?」

「"企む"じゃないのかい? 嬉しいね、まだ信じていてくれるのか」

「信じるも何もないわ。ヴァンは、兄上の友人よ。それだけ」

 真意を読みとれないいらだちからヴァンの胸ぐらをつかみそうになる衝動を必死に耐えて、リーナルは言葉を紡ぐ。

「フォモールの、チビ姫が言ったのサ。『世界を引っくり返す、何かがしたい。この閉塞感を突き破りたい』ってな」

 チビ姫……。ミュウのことだ。リーナルは従騎士時代に紹介を受けていた。今頃は十五、六歳くらいであろうか?

「夜の、舞い手も流れ者だが……イーハで流行り病に罹ってな。ロクな手当ても受けられず、鈴のような声を失った」

「声を失う病……?」

「大したモンじゃねぇ。普通の生活をする人間にとってはな。けど、あいつは声が生活の糧だった。さぞ絶望したろうぜ……。歌い手として諸国を旅していた頃に出会っていたから、レイティアの変わり果てた様子に俺は言葉を無くしたよ」

 そこで、ミュウの願いと重なるというのか。

「全てが全て、ヴァルフィルトのせいとは言わない。王国へ助けを求めないのはイーハの誇りからだ。しかしそれだって、二十年前の夜のせいだ」

 ヴァンの瞳は、リーナルではなく、遠い王国を睨み据えていた。

「そこで俺は、チビ姫の一計に乗る事にしたのさ」

「一計……」


「箱庭を引っくり返す。平和なヴァルフィルトを引っくり返す。血まみれになるのは――王国の番だ。この、三日月の夜に」


 パン、

 乾いた音が夜空に響く。

 反射的に、リーナルがヴァンの頬を張ったのだ。

「いい平手打ちだ、姫さん」

「違う。違うわ」

「何がだ?」

「国を、変えるのは……」

「変わるさ。言っただろう、今夜、血にまみれるってな……。クラウの手勢がソラスを暗殺する手立てとなっている」

 明日の朝食の内容を話すかのように、ヴァンは言って見せた。リーナルの顔から血の気が引く。

「クラウ自身は知らない。しかし、必ず遂行される。ソラスの死を巡り物議が起きようが、生き残ったのはクラウだ。あいつが王位を継ぐしかなくなる」

「どうして、どうして私をイーハへ!?」

「リーナル姫は、クラウにとって何より大事なモンだからな。あんたが遠く離れたイーハに居る事は周知だ。あんたに嫌疑がかかる事は無い」

「馬鹿なこと言わないで!」

 そんなもの、兄の願いと違う。

 幼い、ミュウの願いとも違うだろう。

「馬鹿なのはソラス王子さ。自分の器も知らないで、クラウに勝とうってんだからな。万が一、アレが玉座を取ったら完全に王国は終わりだ。下手すると、ソラスが王を殺しかねねぇ。リーナル、お前は知らないのか。ナーザ王が体調を崩したのは、ソラスの手によって食事に毒が混ぜられてるからなんだぜ」

「! あの子が、そんな」

「それでいて、王の近くで献身的に支えているフリをしている。大したタマだな」

 やめて やめて やめて

 リーナルの視界が真っ暗になる。

 ヴァンは何を言っている?

 真実はなんだ?

 自分は何を見てきた?

 聞きたくない、とは思わない。全てを知らなければ判断は下せない。だけど、こんなのあんまりだ!

 クラウもソラスも、リーナルにとっては血を分けた兄と弟だ。

 それが、どうして!

「……ま、一度に話し過ぎたな。俺からの種明かしは以上さ。本当は、ずっと黙ってるつもりだった」

「馬鹿にしないで。それくらい、気づくわ」

「ふ、質問の連続だったけどなぁ?」

「ヴァン!」

 リーナルは、今度こそヴァンの胸ぐらを掴んだ。きつく睨みつける。

「クラウの気持ちは、俺もわかる」

「何を」

「あんたには、綺麗でいてほしいのさ」

 夜空に輝く、三日月の輪郭のように。

 似合わないセリフを言って、ヴァンはリーナルの腰を抱き寄せた。戸惑ったままの、彼女の唇を塞ぐ。

「もう、遅い。今夜は眠りな」

 驚きを顔に貼りつけたままのリーナルに苦笑を浮かべ、最後に彼女の鼻の頭にキスを落とすと、ヴァンは身体を離した。


 もう、遅い?

 本当だろうか。

 ヴァンの姿が闇に溶けてから、リーナルの肩が小さく震えはじめる。

 夢であれば良かった。

 目をつぶり、起きたなら、見慣れた騎士団宿舎の天井が広がっていたのなら、どんなにか。

 けれど……夢ではないのだ。

 よりにもよって、あんな形で感じたヴァンの体温が、生々しく残っている。

 ああもう、本当に憎たらしいったら!

 今になって、ようやく顔に血が昇って来た。はじめてだった。はじめてだったのに!!

 リーナルは己の天幕に入ると、支度もそこそこに頭から毛布を被ってしまう。


 月が沈み、太陽が昇る頃に動き出そう。

 ケトは……おそらく二日酔いで苦しいだろうけど、乗り切ってついてきてくれるだろう。

 『血まみれの三日月』を、退治しに行かなくてはいけない。

 決意を新たに、そうしてリーナルは眠りに就いた。

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